人間辞めてしまったので聞こえます
外に出て少しだけ待っていると、離れた場所から聞き慣れた馬の歩く音と車輪が回る音が聞こえてきた。皆の視線が音のする方に自然と集まる。建物の角を曲がり入ってきたのは想像していた通りシェリルさんの所の馬車だった。
相変わらず一般の馬車に比べて派手なところは変わらない。とはいえ酷いデザインかと言われればそんな事は全く無いので、ただ上流階級仕様の馬車がこういったデザインであると言うだけのことなのだろう。
始めの一台に続いて後ろからもう一台の馬車が現れる。……今回は人数が多いので二台の馬車が用意されているようだ。
程なくして馬車は御者の操る動きに従い僕達の目の前に横付けするように停車した。馬車から御者が降りてこちらに頭を下げる。
「それでは馬車が到着しましたので皆様分かれてお乗りください」
「わかりました」
パリスに促されるままに割り当てられた馬車に乗り込もうと移動する。前の馬車にはマリナさん、ジーク、エリーシャ。そして後ろの馬車には僕とアリス、それにパリスが乗ることになるようだ。
そして馬車に乗り込もうとした瞬間、隣の様子が気になってしまい顔をジーク達の方に向ける。
……何やら挙動不審に陥っている人物が約一名、ジークだ。
「ジーク、どうかしたの?」
「ど、どうもこうも、どうすりゃ良いんだ?」
いや、どうって言われても。
「乗れば良いと思うよ?」
「お、俺は自慢じゃねえが馬車は乗合馬車にしか乗ったことねえんだ。作法なんて知らねえぞ?」
ジークが自信なさげな表情でこちらに訴えかけてくる。確かに自慢にはならないな。
……そう言われてみれば、これまで僕がシェリルさんに拉致られた時には必ず避けてきていたな。あれはただ単にシェリルさんから避けていたと言うだけではなく、この馬車を避けていたというのも大きな理由の一つだったのかも知れない。
事実、現在のジークの表情から一番読み取れる感情は《不安》だ。何かしらの苦手意識を持っているところを見ると過去に何かきっかけがあったのかもしれない。
足場に掛けた足を一度下ろし、ジークの元へ歩み寄る。遠目にも分かりやすかった不安が近づくことでより強く感じられる。
「大丈夫だよ、別にとって食われたりしないから。礼儀作法だってそんなに気にすることもないさ。ジークはいつも通りで構わないよ。パリスさん、そうですよね?」
ジークに話しかけ、一度後ろを振り返りながらパリスさんに問いかける。気配を感じていた通り僕のすぐ後ろに控えていたようだ。パリスさんは再び笑顔を絶やすこと無く頷く。
「勿論です。探索者の方々はこの都市にとって宝ですから。バーナード様、申し訳ありませんが私はこちらに同乗させていただいても宜しいでしょうか?」
「そうですね、申し訳ありませんがサポートをよろしくお願いします」
「それじゃあ、私はそっちに乗ることにするわ」
一方のマリナさんはといえば、まるで動じること無く馬車に乗り込んでいく。彼女は立ち位置が特殊な関係もあって、幼少からこういった機会には事欠かなかったということなのだろう。
エリーシャも、若干の緊張は見えるものの特に作法事態にも困るような素振りも無く、ジークの手を引いて馬車に乗り込んだ。さすがは年の――っと、何やら寒気が。
僕達全員が馬車に乗ったことを確認してからパリスはジーク達の側の馬車に乗り込み、御者に指示を出した。すると御者の手が動き、それに合わせるように馬が静かに歩き始めた。
しばらく馬車に揺られていると、馬車の外の景色が変わってきた。そろそろ魔術師達が多く住む区画に入った頃だろう。
集中して耳を澄ませてみると、前を走る馬車ではジークの緊張を解そうと、エリーシャとパリスが外の町並みに関してあれこれと話しかけて気を紛らわせさせていた。
ふむ、まあ、あの様子なら大丈夫そうかな?
「ねえ、さっきから何度も目をつぶって黙っているけど、私と乗るよりもさっきのパリスちゃんのほうが良かった?」
「え!? あ、いや決してそんな事は。ちょっとジークの様子が心配になって様子をうかがっていただけで」
先程から目をつぶって集中していたためアリスまで一緒になって静かにしてしまっていた。結果マリナさんが放置状態となり、それを邪推したのかパリスに興味があると思われてしまったようだ。
しかしジークの名前が出てきた事で、マリナさんの表情も少しだけ真面目なものとなり――そしてすぐに呆れの混じったものとなった。
「いやいや、馬車が離れてて顔も見えなければ声も聞こえないんだから、確かに心配はあるけど向こうにはエリーシャとパリスちゃんが同乗したわけだし、こっちはそんなことを気にするだけ無駄よ」
「まあ、聞こえないこともないけど」
「え、何か言った?」
「あ、いえ。確かにこちらで気にしても何かが変わるわけでもないし、気にしすぎだったかな」
小声で抵抗してみたものの、やはりあまり意味のない事に思い至ったため、マリナさんの問いかけには適当に返しておくことにした。人間辞めてしまったので聞こえます、とか真顔で言えないしな。頭がおかしくなったのかと本気で心配されそうだ。
ようやく辿り着いた先は馬車に乗る前に予想した通りシェリルさんの邸宅だった。予想と言うか別に聞けば済む話だったのだが、直前に起きたジークの一件があったこともあり、つい聞きそびれてしまったのだ。
馬車が止まり、少しして扉が開く。馬車を下りるとパリスが側に控えていた。
「それでは中にご案内します」
「ありがとう」
一礼してからパリスは僕達の前を歩き玄関へと向かう。見ると扉の前にジークとエリーシャの姿が見える。すでに二人は案内済みだったようだ。
ジークの様子も大丈夫のようなので安心する。それにしてもこの長時間に渡り、きちんと応対ができるというのは重ね重ね感心してしまう。こういった役割を担っているということは、シェリルさんからも相応に期待されているということなのだろう。
建物の中に入ると、パリスは執事と挨拶を交わし引き継ぎを行った。そして脇に数歩避けて改めて一礼する。
「それではこちらへどうぞ」
ここからは執事に案内されて奥へと進む。パリスはこの先へは着いてこないようだ。まあ、ここには専属の役割を持った者たちが居るので、彼女が何かをしなければならないということは無いだろう。
応接の間に案内されてから少し待つと、扉の向こうから人の気配が近づいてきた。そして気配は部屋の前で止まると、扉が数回ノックされた。
「領主様がお見えになりました」
扉を開いた執事はそう言って横に避けると深々と頭を下げると、シェリルさんが部屋の中へ入ってきた。そしていつもの椅子に腰を掛け、一つ呼吸をしてからこちらを見つめる。
「今日はここまで呼んでしまってごめんなさいね。どうしてもやっておきたいことがあったの」
「いえ、そちらにも色々と思惑もあるでしょうから。それでやっておきたいことと言うのは?」
昨日の今日でここに呼んだわけなのだから、天獄塔第二十五層の踏破の件に決まってはいるのだが、念のためにと問いかけることにした。
周りの皆が緊張しているせいなのか、部屋の空気が少しだけ重く感じる。
「そうね、用件は早く済ませてしまいましょうか。まず一点目は天獄塔第二十五層の踏破おめでとう。まさかこんなに早く最前線を越えてくるとは予想外だったわ」
「偶然もいくつか重なりましてね。運が良かったみたいです」
これは勿論、謙遜ではなく本心だ。正直なところたまたまずるをして地面を掘ったからこそ、地下通路へつながる入り口の仕組みに気が付いたわけで。ドームの外で掘っていたらまた結果は大きく異なっていたことだろう。
手続き的なねぎらいはともかく、さて問題はこの先、か。今回の踏破の扱いはどうなるか?
「手続きはこの後、ここで直接私が行わせてもらうわ」
「わかりました」
僕の返事にシェリルさんは満足そうに頷いた。そして――
「それじゃあ、もう一つの要件に関してだけど――」
「え、終わり!?」




