パリス
翌朝を迎え、小鳥のさえずりを聞きながら一人で朝食の準備を行う。窓から差し込む光がキッチンを明るく彩る。
食事の準備などは慣れたものなのですぐに終わると思っていたのだが、意外なことに所々で手間取ってしまい時間がかかってしまった。そう言えばこういった事をするのは実に久しぶりだったりする。
アリスたちと生活を共にするようになってからと言うもの、家事全般から離れっぱなしになっていた。アリスは率先してやってくれているし、それはそれで錬金術の研究に専念できるので助かっているのだが、ここまで手際が悪くなってしまうのも考えものである。
「……たまには僕がやるようにしないといけないかな」
手元に視線を戻すと、そこには仕上げを残すのみとなった朝食が暖かな湯気を立ち上らせていた。
さて、なぜ僕がこの様な事をしているかと言えば、状況から見てもわかるがこの場にアリスがいないからだ。
いつもであればもう少し早い時間にはアリスが朝食の準備を終えているのだが、今日のアリスは疲れが溜まっていたのか、布団にくるまれて気持ちよさそうに寝ていたりする。
そんなわけもあって、久しぶりにやってみるかと思い立ち、代わりに僕が皆の朝食を準備しているのだ。
「お兄ちゃん、おっはよー。今日も良い匂いだねぇってあれ? アリスちゃんは?」
「おはよう、ブリジット。アリスならまだ寝てるよ。すぐに朝食の準備ができるから、今のうちに顔を洗っておいで」
「はーい! でも珍しいこともあるもんだねー」
手を上げて元気に返事をすると、ブリジットは洗面所の方に向かった。すると間もなくジューシーミートの歌が聞こえてくる。今日もブリジットは元気いっぱいだな。
朝食を作り終え、配膳を済ませたあたりでブリジットが元気よく食卓に戻ってきた。
「おおぅ、これまた美味しそうだねー。で、でも我慢しなきゃ」
目の前の食事をかぶりつくように眺め、その目を輝かせながらブリジットが声をあげる。
「はは、アリスはもう少し寝かせてあげよう。冷めるといけないし先に食べちゃおうか」
「やったー、いっただっきまーす!」
先に二人で食べ始めると、ブリジットの前に大皿で用意された料理がものすごい勢いで消費されていく。
「アリスちゃんの料理には及ばないけどお兄ちゃんの料理もすごく美味しいね」
「料理は久しぶりだったからあまり上手くは作れなかったけど、そこそこ自信はあるよ」
以前よりも料理が下手になってしまったが、ブリジットの基準には達していたようだ。何にしてもこれほど美味しそうに食べてもらえるのは見ていて嬉しくなってしまう。
朝食を食べ終えてブリジットが出かけるのを見送ってから一休みしていると、寝室からドタンバタンとものすごく慌てた音が聞こえてきた。起きたみたいだ。
「も、申し訳ありません!」
「クスッ、おはようアリス。そんなに慌ててないでこれでも飲んでちょっと落ち着いて。はい」
丁度、一杯分ティーポットに残っていたのでカップに注いでテーブルに置くと、アリスは申し訳なさそうに椅子に腰掛けた。
――平謝りするアリスをなだめるのに時間がかかってしまい、落ち着いた頃には家を出る予定の時間がせまってしまっていたのはご愛嬌。
天獄塔に辿りついた頃には丁度、太陽が真上を過ぎようとしていた。
「今日は集合時間に遅れずに済みそうだね」
「も、申し訳ありませんでした。私がもっと早く起きていればこんなことには――」
「あー、ごめん。その話はこれでおしまい」
自らの失言に少々後悔しつつも、アリスの状態に苦笑しながら集合予定場所へと目を向けた。そこにはマリナさんがすでに到着しており、手持ち無沙汰に人並みを眺めていた。今日はジークとエリーシャはまだ来ていないようだ。
大きな声を出さなくても届く程度に近づくと、ようやくこちらに気が付いたのか、軽く手を振って――そして首をかしげる。
ん?
「マリナさんお早うございます。どうかしましたか?」
「え、ああ、うん。二人共いつもと少し様子が違う気がして。何かあった?」
そう言ってマリナさんは目を細めながら、僕とアリスを交互に眺める。そしてニヤリと口角を上げ――
「ふーん、そっかそっか」
「何がそうかわかりませんが、僕はいつもどおりですよ」
「良いの良いの、皆まで言いなさんな。ふふふ」
何がわかったのかわからないが、何かを勘違いされたようにも思える。誤解を解いておくべきだろうか?
その後、間もなくジーク達とも合流したので、事務所に入りそこから受付を一望する。昨夜の流れで言えば受付にはシェリルさんが待ち構えているものと思われるが、さて。
「――受付にはいませんね」
皆がシェリルさんの姿を探していると、いち早くアリスが呟いた。そう、不思議な事に待ち構えているはずのシェリルさんが受付にいないのである。
確かに何時に再訪するのか、と言った予定を昨日の受付窓口では伝えた覚えは無い。しかしながら昨日のやり取りをした結果で考えるならば、まず間違いなく手紙の指示通りに昼頃には僕達が来ることはわかるはずだ。その辺りの情報がシェリルさんに伝わっていない、などという事はさすがに考えづらい。
そう思っていると、左手の方から一人の女性が僕達に近づいてきた。――昨夜の受付を担当していた女性だ。
「バーナード様、到着をお待ちしておりました。改めてご挨拶をさせていただきます。私はパリスといいます。本日は私がご案内いたしますのでこちらへどうぞ」
口上を述べると女性改めパリスは深々と頭を下げる。
……あれ? てっきりシェリルさんが出てくるものだと思っていたのだが。
少々想定外の展開に戸惑いつつも、僕たちはパリスに促されるまま後ろに続くことしか出来なかった。
事務所の通路に僕達の足音だけが響く。普段であれば探索者である僕達は使うことのない職員用通路なので、さきほどから人とすれ違うことはほとんどない。
ひとまずは他の探索者達の目につかない場所で一通りを確認するということなのだろうか? まあ、今回の踏破をより効果的に広報するためには様々な事が検討されていると思うので仕方がないことか。
今一度、前を歩く女性、パリスの後ろ姿へと視線を向ける。背丈は少々低めで、体格はやや痩せ気味。服装は例に漏れずギルド職員の制服をきちんと着こなしている。髪の毛は腰よりも少し上辺りまで伸びるロングで若干紫がかった青色。年齢は成人に成り立てか少し下くらいだろうか?
歩き始めてすぐに質問したところ、昨夜からの連続勤務中とのことだったがくたびれた様子は見受けられない。普段から身だしなみには気をつけているということなのだろう。
まだそれほど面識は無いが、記憶にある印象は笑顔を絶やさ無いことを大切にしつつも、規則を守ろうとする意思は強い。やり取りした限りでは利発そうではある。
「――こちらです」
パリスの一言で意識を戻される。通路の先にある扉の前で一度立ち止まり、ドアノブに手をかけていた。
……この扉の向こうは事務室だろうか?
パリスがドアノブをひねり、扉を奥に押し開くと隙間から想定外の明るさで光が漏れてくる。
「え、外?」
つい声が漏れてしまったが、開かれた扉の向こうは事務所の外だった。どうもここは事務所の裏口に当たる場所だったらしい。
「皆様にはこれから馬車で移動していただきます。お手数ではありますが、快適な移動をお約束させていただきます」
そう言って、パリスは笑顔でこちらに向き直ると、再び深々と頭を下げた。その所作は若いのによく教育されているものだと感心してしまう。
それにしても馬車、か。そうなると目的地は恐らくシェリルさんの屋敷ということなのだろう。パリスが手続きではなく案内と言ったのは、そういう意味だったようだ。




