もう一度言う
店を後にする頃、すでに僕の精神力はかなり削られていたと思う。何をどう表現して良いものやら皆目検討もつかないが、今はとにかく甘い、いや激甘空間だったと表現するに留めておこう。……あれ、手が震えてきた。
どうも僕の処理能力を超えてしまったようで、途中辺りからの記憶がぽっかりと抜けてしまっている。気がついたときには、店から出て外を歩いていた。
珍しく僕の横ではなく前を歩くアリスは、足取りも軽く今にも飛びそうな様子で幸せそうにしていた。まあ、この結果だけを見ればあの店に来た意味はあったと言っても良いだろう。
そんなアリスの様子を微笑ましく眺めていると、ふと視界の端に特異な雰囲気を醸し出している者がいることに気がついた。
つられるようにそちらに目をやると、一人の人物が【修道士の隠れ家】を遠巻きに眺めていた。……行動だけを見れば特に違和感を感じるようなものでは無い。では、一体何がおかしいのか?
特異な雰囲気の原因となるもの、それはその人物の服装にある。
比較的特殊な人間が集まりやすい傾向にあるこの異界都市においても、ひときわ異彩を放つ見た目であろう。
まず色で表現するならばピンク、とにかくピンクで統一されている。そしてスカートの裾や袖口にあしらわれた華美なフリフリ。僕がこれまで見てきた中でもトップクラスでキツい。
……いや、僕にはそう思えるというだけで、実際はごく一般的に馴染みのある格好だったりするのかもしれない。あー、いや訂正。店前に出来ている行列に並んでいるカップルたちも怪訝そうな様子でその女性を眺めている。
服の出来栄えから想像するに、あの服を売っている店が存在していると考えても良いだろう。百歩譲って考えれば一部の特殊なコミュニティでは需要があるということなのだろうか。
髪の色は非常に薄い青、どちらかと言えば白髪と言っても差し支えない程である。色白小柄で少々病弱にも見えるその容姿は、普通の格好をしていれば十分に人からの庇護欲を引き出すことが可能であろう。
ただ鮮やかな服装に対してその人物の表情は非常に暗い。恐らくは何かを思い悩んでいるのだろう。そしてよく目を凝らして見てわかったのだが、実はその顔には見覚えがある。
「……メディナス?」
「えっ?」
つい口から漏れてしまった名前に反応を示したということは、決して僕の見間違いではなくメディナスであるということで決定だろう。
予想していなかったであろうタイミングで名前を呼ばれた事もあって、普段は生気の無さそうな目が控えめにではあるが見開かれている。
「せ、先生、どうしてこんなところに……」
「え、ああそこの店にアリスと行ってきたんだよ。なかなか特異なお店だった、かな」
「そう、ですか」
はは、と軽めに笑ってみたものの、一瞬先ほどの悪夢が蘇りかけて顔が引きつってしまっていたかもしれない。浮かれて先を歩いていたアリスもこちらに気がついたようで、顔を赤らめてこちらに戻ってきた。
「ところで何か店を眺めてたけど、何かあったのかい?」
「え?」
「ああ、ゴメン詮索するつもりは無いから言いにくければ聞かなかった事にして」
問いかけたところメディナスに驚かれてしまった、これはしまったかな。よく考えれば土足でずかずかと入り込むようなものだったか。
少し申し訳なく思い謝罪をしようと思ったところ、メディナスが慌てて首を左右に振る。
「あ、いえ、気にしないでください、こんなことしてたら不思議に思うのも当然ですから。……じ、実はですね、本当は今日のお昼に彼氏とこの店に行く約束をしていたんです。でも、知り合いからこのお店の雰囲気を聞いたのか、話が違うって断られてしまいました」
……直近でキャンセルした客ってもしかしてメディナスだったのかな。そういうことならお願いだからメディナスの彼氏にはもうちょっとだけ勇気を持って踏み込んで頑張って欲しかったかな。
「……それから何故か連絡もつかなくなってしまって、……そんなにも嫌だったんでしょうか? つい先日付き合い始めたばかりなのに、お前のことは全部受け入れるなんて言われて浮かれてしまって、……もっと仲良くなりたくて急ぎすぎてしまいました。……はあ、私これからどうすれば」
メディナスはそう言って一層暗いオーラを全身から漂わせ始める。……そういう話であれば、原因は【修道士の隠れ家】の実体などではない可能性も出てくるな。
「バーナード様、この方はもしかして……」
隣でアリスが小声で耳打ちをしてくる。そういえばアリスはメディナスと対面するのは初めてだったが、もう気がついたようだ。さすがだな。
この眼の前の人物、メディナスはこの身なりや一人称からは想像しづらくはあるが、シェリルさんも研究に対して努力する様を見て一定の期待を寄せている近代錬金術研究所の見習い職員の一人。なぜか女性率の高い職員事情において、数少ない男性職員でもある。
もう一度言う、メディナスは男性である。
……僕の予想はこうだ。
ごく最近にメディナスと知り合い付き合うこととなった彼氏は、メディナスの見た目から女性であると勘違いしたまま恋仲となり、のぼせ上がって全て受け入れるなんていう男らしい告白をした。……そして何がきっかけかはわからないがメディナスが男性であるという事実をどこかから伝え聞き知ってしまった。つまり「話が違う」という訳であろう。
単純に【修道士の隠れ家】の激甘具合に耐えられないと言うだけであれば、連絡がつかなくなるのはどう考えてもおかしい。
うーん、なんだろう。さすがにこれは僕の手には余る事案だろう。そのうちメディナスには素敵な彼氏が出来ることを祈りつつ、ある程度不安を吐き出してもらった辺りで逃げさせてもらおうか。
「――最近は近代錬金術の方も伸び悩んでるし、もう一体どうすれば……」
ん、伸び悩み? 近代錬金術に?
「あれ、今はまだ近代錬金術の基礎からやり直しているところじゃなかった?」
確か彼女、いや彼ら近代錬金術研究所の見習い錬金術師は基礎のおさらいからやっていて、先日確認した限りでは錬金術がその名前に冠している金の錬成を修練を始めたばかりであるはずだ。
――錬金術を志すものであれば一度は通る道、それが金の錬成である。
古来から研究されてはいたが古典錬金術では金の錬成はついに実現できなかった。しかし、セオドールの革命的な発見によって生まれた近代錬金術はそれすらも可能にした。
実現当時、多くの錬金術師が喜び勇んで金の錬金を行ったのは今でも記憶に色濃く残っている。かくいう僕も金を錬成した回数は数回に及ぶ。
この話だけを聞くと誰しもがある疑問にたどり着く。金が錬成可能になったにも関わらず、なぜ貨幣価値がおかしくならないのか?
答えは簡単、金の錬成に必要な素材の価値が錬成結果である金の価値を上回るからに他ならない。デミゴールドスライムの粘液やメタルエレメンタルのコアそして錬成粉、簡単に言ってしまえば大赤字である。
閑話休題、金の錬成は各種金属錬成の中では割りと初歩的な部類に入る。つまり基本的には修練さえ積めば誰でも習熟が可能な技術だったりする。――とある例外を除けば。
「アリス、ごめん。悪いけどデートの続きはまた後日にしても良いかな?」
「ふふ、かしこまりました。今日は十分満喫出来ましたから気になさらないでください」
アリスが僕の謝罪に満面の笑顔で答えてくれた。出来る限り近いうちに埋め合わせをしてあげたいところだ。
一方のメディナスはというと、突然目の前で起きたやり取りを不思議そうに眺めている。まあ、仕方がないか。
……錬金術に打ち込む若者達の悩みならほうっておくわけにはいかない。
「あ、あの、一体何の話ですか?」
「えー、このあと場所を変えて近代錬金術の特別講義を行います」
「は?」




