簡単な事だ
「――様、どうかしましたかバーナード様?」
「えっ、ああゴメン。何でもないよ、ほんのちょっと考え事してただけ」
アリスの声に現実に引き戻された。気がつくと目の前で僕の顔を覗き込むようにこちらを見ているアリスとバッチリ目があった。
少し驚いたせいか胸の鼓動が速くなってしまったが、変な声を出すのも失礼なので努めて冷静を装って返事を返す。
「そうですか、何やら疲れた様子で遠い目をしてたのでてっきり何か問題でもあったのかと」
「いや、本当になんでもないよ。心配してくれてありがと」
そう言ってごまかすように笑い返した。
アリスもよく見ているな。だから一時的に僕の元気が無いことに敏感に気がついたのだろう。
シェリルさんとの一件を思い出した事で、ちょっとばかり気が重くなっていたようだ。まあ疲れたとは言っても、確かに有益なアドバイスをくれたことは間違いはない。僕が選ばせられた、いや僕の意思で選んだ服は事実、アリスに非常に似合っている。何の問題もない。……それよりも、アリスにそういう心配をさせてしまったのはいけないな。
最近はほとんどアリスと一緒に行動しているので、今日はデートだと言いつつもいつもの感覚がいまいち抜けない。そう思ってアリスの様子をうかがう。
アリスは特に不快を感じてはいないようだ。むしろ安心をしているようにも見える。今日のことは楽しみにしていたみたいだし、体調不良では楽しめないからな。
それからしばらく見回りの体で街を散策した。特に問題らしい問題も起きてはおらず――まあ、問題が起きる確率のほうが少ないので概ね予想通りではあるが、色々な店に寄り道をして買い物なども出来た。
「それでアリスが見つけたお店にはそろそろ着くかな?」
そろそろ昼の時間帯に差し掛かったところで、二人共お腹が空いてきたのもあって、少しだけ早くはあるが昼食を食べるために移動を始めていた。
「はい、そろそろ着くはずです。でも、お店を教えてくれたのはシェリルさんですよ」
「あ、そうだったんだ。てっきりアリスが――」
アリスが街を散策して見つけたのか、そう言いかけてすぐに気がついた。……よくよく考えてみればアリスはほとんどいつも僕と行動している。用事があれば別だが、暇な時間に街を散策して見つけることなどそうそう出来ることではない。
つい言葉に詰まってしまったが、アリスは不思議そうにこちらを見ているだけだった。……やはり今日はアリスにはしっかりと楽しんでもらわないといけないな。
などと気合を入れては見たものの、アリスと日常を過ごすことに、特別に何かを我慢しなければならないようなことなど、そうそう起こることではない。今日はアリスに好きなことをさせてあげられればそれで良い。簡単な事だ。
――目的のお店はそれから程なくして発見することが出来た。
看板を見る限り、店の名前は【修道士の隠れ家】となっている。なかなかに攻めた名前である。何やら政治的なイメージを抱いてしまう辺り、シェリルさんに毒されてきているということなのかもしれない。
そういえばこんな名前にしてクローツ教は何も文句を言ってこないのだろうか? 少しばかりそう思って、しかしやはり問題は無いのだろうと思い至る。
実はこのお店、以前文字通りこの世の地獄を味わった【セイレーンの歌声】に負けずとも劣らない人気店らしい。事実、店の前には長い行列が出来ていたりする。これだけの人気店であれば、もしも問題があるのであれば、クローツ教が何も行動を起こさないはずがない。
改めて店の前にできている列を見る。今から列の最後尾に並ぼうものなら、平気で昼飯時を越えてしまいかねないほどだ。しかしそれはあくまでも列に並べばの話だ。なんと今回は予約が入れてあるのだ。
こんな人気店によく予約を入れられたものだと関心してしまう。何でもアリスがダメ元でお店に確認したところ、たまたま急なキャンセルが入ってしまったらしく、すんなりと予約が取れてしまったらしい。
期せずして人気店の食事を堪能できる。これはきっとアリスの日頃の行いの良さの賜物だろう。運の良さに感謝感謝である。……とはいっても不安が全く無いわけではない。
少々予約時間には早いが、せっかく到着したので店に入ってみる。店員に予約を取ってある事を伝えるとすんなりとテーブルに案内をされた。
店内の装飾は華美でなく割りと落ち着きのあるインテリアでデザインされていた。恐らくだが店名に従ったコンセプトなのだろう。……これなら大丈夫だろうか。
さて、僕が一体何に不安を感じているかと言えばもちろん料理の味である。
このお店の説明を受けると何故か【セイレーンの歌声】に勝るとも劣らないという枕詞が付く。つまり【セイレーンの歌声】に通じる何かがあるのだろうと邪推できてしまう。
【セイレーンの歌声】は激甘料理というコンセプトが大人気の秘密だった。ということはこの【修道士の隠れ家】も僕にとって何らかの問題を抱えている可能性は否定出来ないのは仕方がないことだろう。
すでに予約時に料理は決めてあった事もあり、テーブルに座るとそれほど待つこともなく前菜がテーブルに配膳された。
見た限りでは非常にシンプルに盛り付けられていた。食材に関してもあまり鮮やかな色の物は使用されていないようで、店の名前に恥じないあくまでも質素さがアピールされている。
とは言えまだ油断は出来ない。恐る恐る前菜にナイフを入れて一口大に切り分けてフォークを刺し、そのまま口に運ぶ。口に入れる一瞬ためらってしまったが、何とかアリスには気が付かれてはいないようだ。
あれ、美味しい?
意外にもという言い方は失礼なのだろうが、僕が不安をいだいていたような味ではなく、適度に酸味が効いており、これからの食欲を掻き立ててくれる。前菜として非常に良く出来た一品だといえるだろう。
激甘料理への不安が頭の中を支配しかけていたところに、これほどの高水準の前菜であり非常に僕の口に合う。これなら十分に戦える。
「これは美味しいね」
「そうですね、他の店にはなかなか見ない酸味が癖になりそうです」
アリスはそう言いながら嬉しそうに食べている。これはなかなかの好スタートを切ってくれたと、安心していた――そう、これから起こる試練など全く予想できない程に。
違和感を感じ始めたのは、メインディッシュが配膳された頃だろうか。前菜を食べたことで最初に最も懸念していた料理に抱いていた不安が解消され、料理とアリスとの会話を堪能できたことが、この油断に繋がったのだろう。
抱いた違和感につられるように、ふと周囲に視線を巡らせる。先ほどまでは食べ物の甘さを必要以上に警戒してしまっていたせいで気が付かなかったが、視界に移る全ての客がカップルだった。そこまでは良い、よくある話である。だが――。
「はい、あーん」
「あーん、うーん美味しー。私幸せで死んじゃいそう」
「ふふ、俺もだよ」
聞いているだけで胸焼けしそうな甘ったるい会話が僕の耳に襲いかかる。こいつら全員危ない薬でもやっているんじゃないだろうか?
……実はキャンセルした客ってこれを知って耐えられないと思ったんじゃないだろうか?
正直なところ甘々すぎて見ていられなくなってしまったので、目の前の料理とアリスに視線を戻す。すると、アリスの様子が何かおかしい。フォークに刺さった料理が僕の口の高さに合わせて持ち上げられた。
「あ、あーん」
……アリス、ちょっと落ち着こうか。そう口に出しかけて思い至る。今日のコンセプトはどのようなものだっただろうか?
――今日はアリスに好きなことをさせてあげられればそれで良い。簡単なことだ。
いや、でもちょっと待って欲しい。確かにそう思ったのは嘘ではない。しかしこれはあまりにも……。そう思ってアリスの様子を窺う。アリスは耳まで赤くしてこちらを見ている。
――簡単なことだ。
僕の心を軽めの絶望が支配した。




