それは盲点だった
視界の先に見える二体の魔物を確認した後、そのまま戦うような事はせずに、相手の感知範囲に入らないよう距離を保ちながら作戦会議を行う。
「なんでこのまま戦わねえんだ?」
作戦会議を行う。
「あのシュワシュワ吹き出してる魔物、何かやべえのか?」
「あー、いや多分普通に戦う分には、それほど脅威は無いと思うよ。あのカーボネーテッドウォーター・エレメンタルなんだけど、なんとか素材を採取したいなあ、って」
「レアアース・エレメンタルならともかく、ウォーター・エレメンタルはコアを破壊したらバシャッとなっちゃうわよ?」
僕の要望に対してエリーシャがもっともな意見を口にする。
そう、基本的にエレメンタルはコアがその形状を保つための役割を担っている。当然のことながらコアを破壊すると形状を保てなくなりその場に崩れ落ちるのだ。
元がしっかりとした固形物であるアース・エレメンタル等であれば、その場に崩れたところで素材の回収は容易だ。
しかしながら無形であるファイア、ウォーター、エア等のエレメンタルは素材を採取するためには、コアを破壊する前に素材を採取しなければならないのだ。
「そうなんだよね、普通のウォーター・エレメンタルの素材を採取するときでも、それ用の準備をしていたからなぁ。今回は炭酸もきちんと残したいからなぁ」
「その炭酸っていうものはそんなに貴重な素材なの?」
「飲み物にすると美味しいよ? スッキリしたのどごしが堪らない」
僕がそう答えると、皆の視線が再びカーボネーテッドウォーター・エレメンタルに向く。
「……何だか見た目には何かが吹き出してるし、いくら美味しいとは言っても……あれを見るとイマイチそそらないわね」
「まあ、我慢すれば飲めねえことは無いんじゃねえか?」
……飲み物としては一度も飲んだことがない以上は興味が持てなくても仕方がない、か。
ジークの表情からははそれなりに興味があるように見て取れるが、女性陣の反応はといえば僕が想定していたものとは異なっていた。
よろしい。
それならば、このネタならどうだろうか。
「残念だなぁ、炭酸は美容にも良いんだけどなぁ」
その一言で場の空気が一瞬で変化した。先程まで興味なさげだった女性陣の瞳の奥に何かが灯ったように感じる。
皆が僕に向ける視線は先程とはまた違った、そう真剣そのものだ。さらに続く言葉を待っているのだろう。
僕としては飲み物の素材として使用する方が断然興味が有るのだが、やはり女性にはこちらのほうが効果的ということか。理解しきれない部分もあるが、もちろん尊重はする。僕は少しだけしたり顔で皆を見た。
「その様子だと興味が湧いたかな?」
「そ、そうね。具体的にどう美容に良いのかしら?」
普段よりも率先してマリナさんが会話をつなぐ。一番食いつきが良いのはマリナさんだな。次点でエリーシャ、そして気持ち反応に乏しいように見えるのはアリスだ。
実際のところエリーシャはエルフなのでそれほど美容に必死にならなくても良い気がするが、そちら方面の欲求は共通なのだろうか。
まあ、それは今は良い。ひとまずはこのまま興味を惹かなければいけない。
「まず一つ目の用途は炭酸が溶けた水を飲む。そうすると一時的に体内に二酸化炭素が増えて、身体が危険を察知する」
「危険って……」
女性陣の顔に落胆の色が見え始める。しかし興味を失うにはまだ早い。
「ところがどっこい、それによって酸素濃度をあげようとして血流が促進される。美肌効果も期待できて痩せやすくなる。まああまり飲み過ぎるのは良くないけどね」
「知らない単語がいくつも出てきたせいかさっぱりわからないけど、少し身体に悪いことをすると逆に身体に良くなる、それが肌にも良いってことなのね?」
「そうだね、鍛錬すると身体は疲れるけど、結果的に身体は強くなるよね」
ちょっとだけ例えが分かりやすかったのか、マリナさんも大きく頷いた。
「そしてもう一つは水に炭酸を溶け込ませた高濃度の液体を霧状にして肌に吹き付ける。コレをすると肌がしっとりもっちりに……」
おお、と感嘆の声を漏らす女性陣。
「というわけで、なんとか素材を採取できないかな? という作戦会議をはじめます。異論のある方?」
満場一致で話し合いが始まった。
――それから結界を設置し魔物との距離を気にしながら作戦会議をすること十五分、ああでもないこうでもないと意見を出し合った結果。
「……ということは現状では厳しい、か。仕方がない、今日のところは普通に倒すことにしようか」
「――悔しいわ」
マリナさんはその言葉通り表情には悔しさを滲ませている。ちょっと期待を盛り上げすぎてしまったかもしれないな。
確かに炭酸は美容に役立つのだが、あくまで日常レベルでの話だ。ポーションや万能薬のように劇的な効果があるわけではない。とはいえ視界の先でうごめいている炭酸は異界産の素材なので、その効能は高い可能性は十分にあるが、さて。
「――あ」
ふとアリスが小さな声を上げる。
皆が静かになったタイミングだったので小さな声でも皆の耳に入ったようで、自然と皆の視線がアリスに集まる。
「アリス、どうしたの?」
「あ、いえ。ちょっと思ったのですが……」
アリスは少し言い淀んで僕の顔を見つめる。どうしたというのだろうか?
仕方がないので話すように促してみると、アリスは申し訳無さそうにしながら口を開く。
「この場で無理に何とかしようとせずに、今から家に必要な魔道具を取りに帰れば良いのでは無いでしょうか?」
「――ああ」
それは盲点だった。僕を含め皆この選択肢を考えてもいなかったのだろう。皆が一様に大きく頷いた。
今回はこのまま第十九層を踏破する予定で、下層から継続して探索を始めたせいですっかり忘れていたが、よくよく考えてみればさほど離れていない距離にポータルがあるのだ。
ならば取りに戻れば良いじゃない。当たり前の話だった。そうと決まれば善は急げだ。
「それじゃあ急いで取ってくるよ。マリナさん、かくれんぼ君借りても良いかな?」
「え、なんでそんなものがいるのよ?」
「全速力で走って取りに戻るから、目立たないように隠れていこうと思ってね」
「ああ、そういうことね。わかったわ、ちょっと待ってね」
そう言ってマリナさんが空間に手を入れて、アイテムボックスの中から取り出したかくれんぼ君を、受け取って身に付ける。
「すぐに戻るから、暇だったら適当に狩りでもしてて良いよ」
「いやいや、俺達が移動しちまうと最悪合流できねえってこともあるんじゃねえか? ここは広いからな」
「その点は心配要らないよ。アリスがいるから第十九層に戻ったらすぐに連絡はつくしね」
「あの、もしもしってやつか?」
短距離通信機ね。
「ちょっと違うけど、似たようなものかな」
同じ異界にいないと阻害がかかるが、異界の中でもセントラル経由で連絡が可能だし、マーカーで居場所はわかる。何の問題もない。
皆と別れて一人、全速力でポータルまで戻る。
途中、最近では珍しく別の探索者パーティとすれ違ったのだが、かくれんぼ君を起動していたため向こうは気が付かなかったようだ。さすがはかくれんぼ君だ。
ポータルを使用する際には隠れていると無用なトラブルを巻き起こしかねないので、かくれんぼ君を止めて姿を表して移動することにする。
光とともに目の前の景色が切り替わる。
見慣れた一階、他の探索者は見当たらない。しかしそのせいか受付の職員も暇を持て余しているのか、僕が一人で戻ってきたことを訝しむ様子でこちらを見ている。
「何かトラブルでしょうか?」
「いえ、特に問題は起きていません。ちょっと忘れ物を取りに戻ってきただけなので大丈夫ですよ」
そう答えると職員も安心し興味を失ったようで、目の前の書類に視線を戻した。
さ、急いで取りに行かなきゃな。また屋根の上でも走っていくか。ってフラグだったりして。




