ジューシーミートの歌ってなんだろうね
塔を出ると既に辺りは暗くなり始めているところだった。
広場は日中ほどの活気は無く、多くの探索者が今日一日の仕事を終えて、帰宅の途についているようだ。少なくとも見知った顔は既に見当たらない。
近代錬金術復活のおかげで、以前までの古典魔道具に比べれば圧倒的に少ない量の魔石でより遅い時間まで広場は明るくなった。しかし人の習慣というものは早々変わるものでも無いようで、探索や広場での商売に精を出すよりも、探索者の精はより長く、より多く夜の街に繰り出す方に費やされていたりする。
まあ、その分都市内の経済がより潤沢に回るということなのでそれ自体は決して悪いことでは無いだろう。人は日々を楽しく過ごしてこそ健全でいられるのだから。
念のため改めて辺りを見渡してみたが、やはりブリジットの姿は見当たらなかった。時間的には今まさに家に帰っている最中だろうか。
今日は寄り道をしていなければ良いけど、……漂ってくる匂い次第か。
さて、ブリジットのことは置いておくとして、お目当ての魔道具を取りにさっさと家に戻らなければならない、のだが……。人が減っているとはいえ、さすがにこの場所でかくれんぼ君を起動すると目立ってしまうだろう。
広場を一人で歩いている探索者は珍しいせいか、こちらの様子を窺っている者もチラホラといるようだ。プチマリナさん状態である。
仕方がないので身を隠せそうな場所を探して管理事務所に入る。中に入って軽く周りを見渡すと、たまたま地下に下りる階段が目についた。あそこなら周りの視線は減るだろうか。
ひとまず地下に向かう階段を下りながらかくれんぼ君を起動することにする。幸い階段で誰にも鉢合わせることが無かったので誰にも見つかること無く無事姿を隠すことができた。
それじゃあ急いで家に戻りますか。
再び一階に戻り外に向かう。まばらになったとはいえ人の流れはそれなりにあったりするので、間違ってもぶつからないよう流れに逆らわずに気をつけて歩く。……これは思っていたよりも集中力を必要とする上に少々時間がかかってしまった。
効率を考えれば、外に出て人が減ってから身を隠すべきだったかもしれない。
事務所を出てからモノクル越しに見える地図を確認する。後ろから衝突されないように、一歩横にずれながら自宅の方角を確認する。――こっちか。
マーカーにつられるように目の前に視線を向ける。その視線の先には大通り――ではなく、もちろん幾つもの建物がそびえ立っている。まあ自宅まで直通の道があるわけではないので当然といえば当然のことだろう。
やはり最速で自宅に帰るのであれば、このルートが最適だと思われる。そう考え自宅へのルートを確定する。
屋根を渡るためには当然ながら屋根まで上る必要があるのだが、現在は姿は隠しているのでどんなに急いでも人目に止まる心配はない。
僕は周りに遠慮すること無く、大きく飛び上がり屋根の上へ着地する事に成功する。視界良好、進行方向に目立った障害物は無し。屋根を行き交う某横着者も見当たらない。
先程まで障害物である建物に重なるように見えていた自宅の場所を指し示すマーカーがモノクル越しに見える視界の先にはにはっきりと表示されている。
自宅までの道程は非常に順調だった。変わったことといえば途中、眼下に歌いながら歩いているブリジットを見かけたくらいだろうか。とはいえ、せっかく楽しそうにしているので、水をささないよう声は掛けなかったわけだが。……ジューシーミートの歌ってなんだろうね。掛ける言葉が見当たらないというほうが表現としては正しいかもしれない。
自宅に到着した後はそのまま自室に直行する。実は姿を消したまま玄関の扉を開けてしまった。家に着いたことで少々気が緩んでしまったのだろう。
もしその現場を目撃してしまった人がいたら、驚かせてしまったかもしれない。
気を取り直して目的の魔道具を捜索する。実は目的の魔道具は研究室を出るときには置いてきていたので、最近までは手元に存在はしていなかった。
天獄塔の異界を探索する中でいずれ使うこともあるかもしれないと思い作りなおしたのだ。仕組み自体はそれほど難しいものではないので、異界都市で手に入る素材で作ることは可能だった。しかし、まさかこんなに早く使うことになるとは思っていなかったので、自宅のストレージに入れたままになっていた。
今回も見つけたのがただのウォーター・エレメンタルだったら、素材の採取は次回の探索に持ち越していたことだろう。……異界産の炭酸って中々興味深いよね。
こんなことだったらアイテムポーチに入れておけばよかったかなあ。まあ今さら言っても始まらないか。近いうちにアイテムポーチの中身を再整理するか容量を増やすことは検討しておこう。
家に帰ってしまうとつい一服したくなる誘惑に駆られるが、それほど深く考えずともアリスがいないので食器の場所すらわからない事に気づくまで時間は必要としなかった。
ストレージから取り出した魔道具をアイテムポーチにしまい家を出る。
幸いブリジットはまだ帰ってきていないので、戸締まりだけしてからかくれんぼ君を起動して、自宅の屋根に飛び乗る。ブリジットに見つかったら間違いなく掴まって想定外の時間が費やされることになってしまうから仕方がない。
さて往路は何事も無かったが、復路でも何事も起こらない保証はもちろんない。今最も注意するべきは同じように屋根の上をショートカットに利用する輩だろう。
進行方向に飛び込んでくる者がいないか、注意しながら屋根から屋根へと飛び走っていると、とある建物の上を通りすぎようとした時に、視界の端に違和感を覚えた。下に目を向けると――
「……こんな時間に? いや、無いこともない、か?」
つい独り言を口走ってしまったが、幸い周りには誰も反応する人はいなかった。
一瞬見えた眼下の様子を気にしながらも、皆を待たせているという事実を優先し、暫定的に記憶の隅に追いやることにする。
再び天獄塔に戻ってきた。既に周りはすっかり暗くなっており、近代魔道具の街灯の灯りが行き交う探索者達を彩る。先程よりも更に少なくなってはいるが皆明るい表情で歩いている。
先ほどと同じ要領でかくれんぼ君を解除するため、管理事務所の階段へ向かう。たまたま職員とすれ違ったので、バレないように避けながら気配が遠のくのを待たなければ成らなかったため少し解除に時間がかかってしまった。。
姿を表し再び階段を上がり一階に出ると、そのまま広場に抜けて天獄塔の中に入る。
受付の職員は先ほどと同じ人だったので、先ほど話した甲斐もあり特に訝しむ様子もなかった。恐らくだがそれほど探索者に興味があるわけでもないのだろう。
ポータルで第十九層に移動してからアリスに連絡を入れる。
しばらく呼び出し音が鳴り続けるが、予想に反してアリスはすぐに反応してくれなかった。……まさかとは思うが、もしかして何かトラブルでもあったのだろうか?
「――もしもし、すぐに出れずに申し訳ありません! ちょうど魔物と遭遇して戦闘している最中でした」
少し反応が遅かったので心配してしまったが、たまたま魔物と戦闘中だったらしい。
しかたがないとはいえ、邪魔をしてしまった事には変わりないのだが、逆に謝られてしまったのでこちらからは謝りそこねてしまった。
マーカーを確認して合流地点へと向かうと、そこには素材を採取できなかったカーボネーテッドウォーター・エレメンタルが地面を濡らしていた。
そのまま視線を向けて皆の様子を確認すると、皆怪我一つ無いようで、疲れた様子もなく思い思いの作業をしながら休憩をしていた。
「狩りの方はどうだった?」
「レアアース・エレメンタルの強さは下の階層と変化はありませんでした。カーボネーテッドウォーター・エレメンタルはこちらの攻撃に反応して流動的にコアが移動するため、想定よりも時間がかかってしまいました」
「なんか炭酸の泡でコアの動きも見えづらいんだよな。すげえ泡で剣筋もぶれちまうし」
ふむ、カーボネーテッドウォーター・エレメンタルはノーマルに比べて一癖あるようだ。




