二人の情事
こそこそと座り直したところ、まるで待ち構えていたかのように店員が襲来、瞬く間にテーブルの上は華やかになった。
……あれ、こんなに大量に頼んだかな?
そう思いアリスの様子を窺うとと、その目は色とりどりのケーキに注がれていた。
スイーツに恋する乙女の目と、スイーツを狩るハンターの目が同居しているような、何とも表現に困る有り様だが、ただひとつ言えるのはアリスが幸せそうだということだろうか。
さすがにこの量のケーキを食するには、紅茶の追加が必須となってしまうだろう。
想定外の物量攻撃を何とか凌ぎ切った僕は上機嫌のアリスを伴い錬金術研究所に向かった。
「思っていたよりも小さい建物ですね」
「ここは以前、別の用途で使われていた建物らしいよ。本来ならもっと仰々しい建物にしたかったらしいんだけど、さすがに建造が間に合わなかったみたい」
「そういうことですか」
先程まで上機嫌だったアリスの表情が少々芳しくない。とはいっても普段から見ていなければ気がつかないくらいだと思うので、それほど深刻というわけでもない。
まあ、僕も最初にこの建物を見た時は流石に落胆を隠せなかった。
シェリルさんとしては近代錬金術の復活宣言をした以上はもっときちんとした建物を用意したかったようなのだが、さすがに間に合わなかったのだそうな。
僕が天獄塔から降りてきたタイミングは完全に想定外だったはずだから、仕方がないこととも言える。
とはいっても、近いうちに錬金術研究所の為に新しい建物が完成すると言う話は聞いているので、あくまでここは一時的に利用するだけだ。
「そういえば警備兵の姿が見当たりませんが、何かあったのでしょうか?」
「少なくとも入り口には警備兵は必要ないよ。関係者以外は入ることはできない。まあ、実際にやってみようか。アリス、そこのくぼみにあるレバーを握って上部の穴を覗き込んでみて」
僕の指示にしたがってアリスは入り口横のくぼみにあるレバーを握り、その上に設置されている穴を覗き込む。
『認証中――認証完了しました。転送します』
「え!?」
驚きの声を上げたアリスが僕の目の前から一瞬で消える。
僕もアリスに続き同様の手続きを行うと、アナウンスの後、視界が切り替わる。僕の目に周りをキョロキョロと見渡すアリスの姿が映る。
「この入口にはシェリルさんからの要望もあって、他では類を見ないレベルのセキュリティを施してあるんだ」
「類を見ないセキュリティ、ですか?」
アリスが視線を僕に戻して真剣な面持ちで質問してくる。
「うん、先程握ったレバーから使用者の魔力を微量に吸収して、その魔力の魔紋そして魔力そのものを利用して目の虹彩を読み取って個人を特定する」
「その二つで個人の判断が可能、ということでしょうか? 魔紋だけではダメなのでしょうか?」
「魔紋はいずれ再現が可能になる事が想定されるからね。虹彩に関しては、百年経った今でもあまり知られていないみたいなんだけど、人の虹彩っていうのは個人を特定するのに非常に有用なんだ。つまりこの二つを組み合わせたことで登録した個人を非常に高精度で特定できるというわけ」
するとアリスは研究所の入り口に近づき手を添える。
「……開きませんね」
「そこはダミーだよ。出入りには先ほどの魔道具が必須となる。その入り口は相当頑丈に作り変えたから破壊して進入することもできない」
暫定的とはいえ、この研究所は近代錬金術の研究において言えば最重要施設となる。
ここが妨害工作に晒されてしまっては、シェリルさんの目的に致命的な問題が発生することは容易に想像できるのでしかたがないこととも言える。
建物内に入ったその足でシャーロットがいるであろう研究室を目指す。
移動中に何人かの錬金術師見習いとすれ違う。
中には僕達に対して奇異の目を向ける者もいた。しかし、恐らくシャーロットのおかげだろう、半数以上は最低限の面識はあるので、その混乱もすぐに収まる。
「あ、バーナード様。いつもお世話になっております。今日はどのようなど要件でいらっしゃったのでしょうか?」
遠巻きにこちらを窺っていた見習い中から、一人の女性が僕達のもとに近寄ってきた。
腰まで伸びる金髪は綺麗に整えられ、見習い用の制服とあいまって非常にきちんとした印象を受ける。決して背が高い訳では無いのだが、背筋をピンと伸ばした姿勢の良さからかスマートさは際立っている。
名前は確かゼノヴィアだったかな。ゼノヴィアは僕を見かける度に毎回律儀に声を掛けてくれる。
「ゼノヴィアさんこんにちは。僕のことは様付けしなくても構いませんよ。今日はシャーロットに用があってここに来ました」
「え、シャーロット様ですか? ……あー、今は研究室には近寄らないほうが――」
「え、何か問題が発生しているのでしょうか?」
「あ、いえ! 決してそのようなことは……ただ、少々取り込み中のようでしたので」
ゼノヴィアは何やら奥歯に物が挟まったような物言いをしている。
「研究上の問題であれば僕も力になれるから気にしなくていいよ」
「あ!」
「ん、どうかしましたか?」
「い、いえなんでもありません。それでは私はこれで……」
ゼノヴィアは用事でも思い出したのか、シャーロットの研究室とは反対方向に向かって足早に去っていった。
ゼノヴィアと別れたあと、程なくしてシャーロットがいつも利用している研究室の前に到着した……のは良いのだが。
「も、もうダメ、です」
「何を言う、まだまだ始まったばかりだぞ!」
「あ、ダメ。そんなに、そんなに激しくかき混ぜたら、ダメになっちゃいます! あっ!」
「すごい反応じゃあないか、では、こうすれば良いのか?」
「あっ!」
……ゼノヴィアが言い難そうにしていたのはこの事か。
えっと、おいおいシャーロットさんや、そういうことは他所でやってもらえませんかね?
って嫌がっている、のか?
それにしても部屋から漏れてくる男性の声は、なんとなく聞き覚えのある声のような気もするのだが、僕の気のせいだろうか?
「もうやめてください!」
「あ、こら!」
男女の言い争う声と共に、勢い良く部屋の扉が開かれた為、慌てて一歩後ろにさがる。
……危なかった。もう一歩近づいていたら開いた扉に激しくぶつかってしまうところだった。って、おい!?
部屋から息を切らせながら飛び出てきた女性に目をやる。
ナチュラルブラウンの左右に青いメッシュが入っているのが特徴的で、肩まで伸びた髪を右側だけ耳に掛けている。
可愛らしいピンク色の丸ぶちメガネをかけて知的な印象を受ける。
それとは対照的に本来であれば清楚にみえるはずの衣服は少々着崩れており、潤んだ瞳から一筋流れる涙と上気したように赤くなった頬は、否応なしに艶やかさを感じさせる。
もしかしなくてもつい今しがた悩ましい声をあげていたのはこの女性、シャーロットである。
部屋の奥に目を向けてみると、そこには目を見開いて驚いた表情のまま固まっている男性の姿が目に映る。……うん、もしかしなくてもフィリップだね。
互いに数瞬硬直した後、フィリップの視線がシャーロットと僕の間を行き来する。
……僕の後ろにいたアリスが無言のまま部屋に入りつつ近くにある小型の鈍器を手に取り素振りを始めた。
「……消しますか?」
「うん、そうだね」
「ちょ、ちょっと待て! 誤解だ!」
フィリップは事の重大さに気がついたのか必至で弁解を始める。前に突き出して左右に振る手にも魂がこもっているかのようだ。
数分後、僕達の目の前には先程までフィリップという名が付いていた肉塊が横たわっていた。というのは冗談で、部屋を出てすぐの廊下で、フィリップとシャーロットが二人仲良く正座をしている。
僕もアリスも一瞬勘違いしてしまったのだが、実はシャーロットが服を着崩しているのはいつもの事だったりする。
基本、首から上はきちんとしているのだが、その着こなしはいつもだらしないのだ。
なんでも先程の会話は魔道具の性能実験のやり取りだったらしいのだが、その会話内容はあまりに紛らわしい。もしかして、この二人はいつもこんな会話回しをしているのだろうか?
見習いであるゼノヴィアが知っているということは研究所のほとんど全員が先ほどの声を耳にしていてもおかしくはない。
研究室を訪れたのが僕達だったから良かったものの、万が一目撃者があの短気なシェリルさんだったのなら、間違いなく魔術で燃やされていたことだろう。
……まったく、困ったものだ。




