26.拝啓 お兄様
エリオットは少し気まずそうな顔で口を開く。
「いや、何というか。配られた教科書を見て顔が真っ青になっていたから。」
「なっ!」
何と、初日ですでに推しに勉強ができない事がバレてしまった。私がAクラスになり、こんなにも気分が落ち込んでいる理由の一つはそのせいであった。出来れば推しにカッコ悪い姿を見せたくはない。
「隠したかったんだと思うけど、心配で。」
もちろん隠していたつもりだった。
「良かったらこれ、使って。役に立つと良いんだけど。」
エリオットが私に手渡したのは一年用の教科書と美しい文字が綴られたノートだ。
「これは?」
「私が一年の時に使っていたものだよ。Eクラスの授業はその……何というか……進むスピードが遅かったと聞くから。」
私は推しに何という気遣いをさしてしまったのだろう。高位貴族の令息が、こんなにも言葉に詰まるなんて……。Eクラスの授業は進むスピードが遅かっただけではない。スタート地点が全く違ったのだ。そしてそこからの亀のような歩み。一生かかっても追いつかないほどの差がついていただろう。春休みの先生方の努力の甲斐あって、『もしかすると奇跡的に何かの間違いで追いつくかもしれない』くらいのレベルには持ち直した。
「ありがとうございます!一生懸命、読み込ませていただきます!」
「良かった。」
エリオットがホッと息を吐く。私はその意味が分からずキョトンとしてしまう。
「ああ、ごめん。もしかしたら『失礼だ!』て追い返されるんじゃないかと思ってたから。」
「そんな事しませんよ。すごく助かります。」
額に汗を浮かべるエリオットと見て、私はクスリと笑ってしまった。そんな所も愛おしい。
気分が落ち込んでいたもう一つの理由。せっかく推しと同じクラスになり、鑑賞し放題の距離にいるというのに、勉強と実習について行くので必死でそれどころではない可能性が高かった。そんなのとんでもなく辛すぎる。それならばいっそ別のクラスの方が諦めがついたというものだ。リディアの身体が死ぬ前に、私の心が死ぬ。
「これで一年前の恩返し、少しはできたかな?」
なんて笑っている。そんなの、血みどろ事件ですでにチャラになっていたはずだ。これはエリオットの百パーセント純粋な優しさ。きっと、私に気を遣わせないためにそう言ってくれたのだ。
「これで絶対に、Aクラスの授業レベルに追いついて見せます!」
今年の目標はAクラスの授業レベルに追いつく、そして優雅に推しを鑑賞する。
「リディア嬢ならきっと大丈夫だよ。よほどのことがない限り、この先二年間は同じクラスだと思うから。これからもよろしくね。」
二年、三年はクラス替えがなく持ち上がりだと聞いている。しかしエリオットの言葉が少し引っかかる。
「よほどの事があればクラスが変わったりするんですか?」
「そうだね……例えば………。」
エリオットは顎に手を当てて斜め上に視線を移す。
「例えば?」
「昔、演習中に魔力を暴走させた生徒がいて、校舎を半壊させてしまったんだよ。その生徒は魔力制御用の魔道具を付けられてDクラスに落とされてしまったらしい。」
「……べ、勉強になります。」
感性で魔法を操っている私にとっては全く人ごとではない。
「ちなみにその事件がきっかけで今の新校舎に建て替えられたらしいよ。」
そしてラミア事件につながる、と……。
「他にも、当時王太子であった国王陛下の婚約者に嫌がらせをした生徒が退学させられたり。」
何と、悪役令嬢もこの世に存在するらしい。そして見事に『ざまあ』されたはずだ。
「その時の婚約者が今の王妃殿下だね。」
もちろんそうだろう。違ったらまた話がややこしくなる。
「それから…………。」
「それから?」
なぜか言葉を切ったエリオットに私は首を傾げる。
「二年の夏休みにある林間合宿で、その年の生徒の半数が魔物に食べられちゃたり……。」
急に抑揚をなくして話し始めたエリオットの声に、私はゾゾゾッと肌が粟立つ。
「じょ、冗談ですよね……。」
「冗談でそんなこと言わないよ。」
エリオットはにこりと微笑み首を振る。なぜそこで笑ったのか、私は推しの事をまだまだ理解しきれていないようだ。
拝啓 お兄様
今年の夏も、リディは家に帰れないようです。
私の無事を祈り、応援していてください。
お兄様の応援が何よりも力になります。
リディア・ヴェルディ




