第六話 303号室の元住人
第六話 303号室の元住人
303号室の前。
深夜一時半。
雨音だけが静かに響いていた。
男は、
ぼさぼさの髪をかきながら、
ゆっくりこちらを見る。
鋭い目。
無精髭。
古びたジャージ。
正直、
かなり怪しい。
「……303の元住人だよ」
低い声だった。
結衣が不安そうに俺の後ろへ隠れる。
そりゃ怖い。
俺も怖い。
すると麗華が一歩前へ出た。
「……何しに来たの」
声が冷たい。
男は肩をすくめる。
「別に。猫見に来ただけ」
白猫が、
にゃー、と鳴いた。
知り合いなのか、
男の足元へ寄っていく。
「……タマ、お前まだここいたのか」
男は少しだけ優しい顔になった。
さっきまでの危ない雰囲気が、
少しだけ消える。
紗雪が小さくため息をついた。
「相変わらず勝手に入ってるのね」
「オートロック壊れてるからな」
「威張ることじゃない」
ひまりが俺に小声で説明した。
「この人、榊さん」
「榊?」
「前に303住んでた人。今は別の場所いるんだけど、たまに来るの」
「なんで?」
「猫の餌やり」
平和な理由だった。
でも。
麗華だけは警戒を解いていない。
「……もう住人じゃないんだから、夜中に来るのやめて」
「悪かったって」
榊は苦笑する。
その時。
榊の視線が、
結衣へ向いた。
「……新しい住人?」
結衣の肩がびくっと震える。
「あ……はい……」
「303入るの?」
「えっと……」
すると榊は少し黙った後、
ぽつりと呟いた。
「……なら、夜だけは窓閉めとけ」
空気が変わった。
「は?」
俺が聞き返す。
榊は303号室を見る。
暗い部屋。
古い窓。
揺れるカーテン。
「この部屋、夜になると風変な入り方するから」
「……それだけ?」
「それだけ」
でも。
言い方が妙だった。
何か隠してる感じ。
麗華が鋭く睨む。
「紛らわしい言い方しないで」
「悪い悪い」
全然悪いと思ってなさそう。
すると。
ぐぅぅぅ……
静かな廊下に響く音。
まただった。
全員の視線が結衣へ集まる。
「あっ……!」
結衣、顔真っ赤。
ひまりが耐えきれず吹き出す。
「また鳴ったぁ!!」
「うぅ……!」
榊まで笑っていた。
「なんだ、面白い子入ったな」
結衣は恥ずかしさで涙目。
でも。
その空気で、
張り詰めていた空気が少し緩む。
榊はしゃがみ込み、
白猫を撫でた。
「……このマンション、変な奴ばっかだけど」
ぽつり。
「悪い場所じゃねぇよ」
その言葉は、
少しだけ本気っぽかった。
そして榊は立ち上がる。
「じゃ、俺帰るわ」
「もう来ないで」
麗華が即答。
「冷てぇなぁ」
榊は笑いながら手を振った。
そのまま、
雨の廊下の向こうへ消えていく。
静かになる303前。
結衣が小さく呟いた。
「……なんか、不思議な人でしたね」
「かなりね」
麗華は疲れた顔。
ひまりは笑ってる。
紗雪は白猫を抱き上げた。
すると。
結衣がそっと303号室を見る。
暗い部屋。
ボロい畳。
古いカーテン。
でも。
さっきより、
少し怖くなく見えている気がした。
「……ここ」
結衣が小さく言う。
「私、ちゃんと住めるようにしたいです」
その声は、
最初より少し強かった。
俺は頷く。
「じゃあ明日、掃除ですね」
「はい」
結衣が笑う。
その時だった。
ピチョン。
303号室の奥から、
水の落ちる音。
全員が止まる。
「……え?」
ピチョン。
また音。
でも。
この部屋の水道、
さっき確認した時、
完全に閉まっていたはずだ。
ゆっくり。
全員の視線が、
部屋の奥へ向く。
そして――
誰もいないはずの浴室の扉が、
少しだけ開いていた。




