# 第二十一話 春風マンションの朝 【ありがとう】
# 第二十一話 春風マンションの朝
【ありがとう】
その文字が浮かんだ瞬間。
ふわりと、
305号室の空気が軽くなった気がした。
静かな風。
揺れるカーテン。
そして。
それっきり、
不思議な文字はもう現れなかった。
「……終わった?」
ひまりが恐る恐る聞く。
榊が肩をすくめる。
「たぶんな」
紗雪は小さくあくびした。
「……眠い」
「そりゃそうだよ!」
気づけば、
外は少し明るくなり始めていた。
雨も止んでいる。
長い夜だった。
地下行って。
幽霊騒ぎして。
プリン食って。
天井裏登って。
情報量が多すぎる。
すると。
結衣が窓の外を見ながら、
小さく笑った。
「……朝ですね」
その横顔は、
最初よりずっと柔らかかった。
数十分後。
俺たちは管理人室へ戻っていた。
全員、
かなり疲れている。
ひまりはソファでぐったり。
「もう今日は仕事休む……」
「漫画家って自由だな」
「締切あるから地獄だよ」
自由じゃなかった。
麗華はコーヒーを飲んでいる。
紗雪はもう寝そう。
榊は猫を撫でていた。
そして。
結衣は、
管理人室をきょろきょろ見回している。
「……ここ、落ち着きますね」
「ボロいけどな」
「それがいいんです」
そう言って笑う。
その時。
ぐぅぅぅ……
また鳴った。
全員沈黙。
結衣、顔真っ赤。
「あっ……」
ひまりが腹抱えて笑う。
「ほんと毎回鳴る!!」
「もうやめてくださいぃ……!」
涙目である。
俺も笑ってしまった。
すると。
三枝さんが買い物袋を置く。
「はい、朝ごはん」
中には、
おにぎりと味噌汁。
「えっ」
「若い子はちゃんと食べないと」
優しい。
結衣は、
少し驚いた顔をした後、
小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
その姿を見ながら、
俺は思った。
春風マンション。
変な場所だ。
でも。
ここにはちゃんと、
“誰かを気にかける人”がいる。
その時。
ガタガタッ!!
突然、
管理人室の外で大きな音。
「っ!?」
全員びくっとする。
ひまり、
もう悲鳴すら出ない。
俺は慌てて外へ飛び出した。
すると。
そこには。
大量の段ボールを抱えた女性が、
廊下で転んでいた。
「いたたた……」
二十代後半くらい。
スーツ姿。
メガネ。
髪ボサボサ。
そして。
段ボールには、
大きくこう書かれていた。
【403号室】
女性は俺を見る。
「あ……」
そして、
疲れ切った顔で言った。
「……今日から住みます」
その瞬間。
春風マンションの新しい騒動が、
また始まった。




