第93話 残された地図
深く椅子に腰掛けていた久世が、不意に立ち上がった。
「私はこれより別件の公務がある。失礼する」
醍醐が、その意図を察したように頷く。
「……承知しました。そちらを優先してください」
久世は無言で資料を閉じると、靴の音を冷たく響かせながら退出した。
それを合図にするように他の部隊長たちも資料をまとめ、順に会議室を後にした。
重厚な扉がカチリと閉まる。
その瞬間だった。
部屋を覆っていた空気が、わずかに変わる。
誰も口にはしない。
だが全員が感じていた。
“外向きの会議”が終わったのだと。
醍醐が扉の外に誰もいないか確認した後に
円卓に残った面々を見回す。
カイ。
九条。
モモ。
シノ。
そして。
部屋の隅で静かに座っていた賢者へ視線を向ける。
「……では、ここから先は機密度を一段階引き上げる」
その言葉を待っていたかのように。
賢者が、コン、と杖を鳴らして立ち上がった。
ゆっくりと円卓へ歩み寄る。
そしてローブの奥から、黄ばんだ紙を取り出し、机へ置いた。
カサリ、と乾いた音が響いた。
円卓の上に置かれたそれを見て、醍醐が目を細める。
「……紙?」
電子データが全てを管理する時代において、珍しい『紙の資料』だった。
「儂が長いこと保存しておいた記録じゃ」
賢者が目を細くして笑う。
九条が信じられないと言った様子で
「どこで、そんなものを……」
「百年ほど前の資料じゃよ」
さらりと言う。
だがその場の誰も、
その“百年”を軽く受け取れなかった。
「師乃、読めるか」
「……やってみます」
師乃がモニターを操作すると卓上カメラが資料をスキャンし、劣化した文字列を自動補完していく。
やがて空中ホログラムに、巨大な図面が展開された。
そこに描かれていたのは、複雑に入り組んだ基盤のような、設計図のようなものだった。
会議室が静まり返る。
「読めますか、賢者様」
師乃の問いに、賢者はゆっくり目を細めた。
「読めるとも」
その声が、ほんの少しだけ低くなる。
「……忘れようにも、身体が覚えておるのぅ」
「百年前、世界を滅ぼしかけたあのAIはな、一つの巨大ネットワークを構築しておった」
賢者の声に合わせ、ホログラムが変形する。
空中に、巨大な光球が現れた。
それと繋がるように六つの小さな光が浮かび上がる。
細い光の線が、蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
「中心にあるのが“マザー”」
賢者が杖で中央を指す。
「そして周囲の六つが、“サテライト施設”じゃ」
師乃が資料を見ながら補足する。
「各施設は独立稼働可能。ただし、全て中央ネットワークと直結しているようですね。」
「へぇ」
モモが身を乗り出した。
「つまり、本社サーバーと各支社みたいなもん?」
「そんな感じじゃな」
賢者が頷く。
「場所を見て欲しいんじゃ」
賢者が杖を動かすとホログラム上で、六つの光点が大阪各地へ展開された。
「これ……今まで旧AIコアが見つかった場所と……」
会議室の空気が変わる。
「待て」
カイがコーヒーカップを持ったまま口を開く。
「じゃあ、俺たちが回収してきた旧A Iコアは」
「全部、サテライト施設の中心核じゃ」
賢者が頷いた。
「六つのサテライトに一つずつ。そして中央の“マザー”本体。合わせて7つじゃの」
杖が中央の黒い円を叩く。
ーーー沈黙。
誰もすぐには言葉を発せなかった。
九条がゆっくり息を吐く。
「……つまり、私たちが今まで回収していたのは」
「枝葉じゃな」
賢者が静かに言った。
「最後のサテライトは、ここじゃ」
師乃が即座にデータを照合する。
空中地図に、赤いマーキングが浮かび上がった。
「大阪南港、咲洲地区」
師乃の目が細くなる。
「コスモタワー。現在は一部封鎖済みの旧湾岸区画です」
「最後のサテライト施設じゃよ」
「マザーは」
カイの低い声が、部屋の空気を切り裂いた。カイは真っ直ぐに賢者を見据えている。
「マザー本体は、どこにある」
「場所は分かっておる」
賢者はカイの視線を受け止め、一瞬だけ、慈しむような、あるいは酷く哀しいような目を向けた。
「ただ……あの事変から百年間、マザーの領域は『完全なる立入不能区域』となっておる。人が近づくこともできん」
「どうして入れないんですか?」
モモが身を乗り出す。
「儂にも正確な原理まではわからん。当時のエンジニアが、人を入れないようにした。それだけは確かじゃ」
部屋が再び静まり返る。
カイがホログラムの咲洲を見たまま口を開く。
「つまり、敵が次行くとすればそこだな」
カイが咲洲を指差す。
「敵が何をしようとしているのか……今ここで断言するのは早いのぅ」
「だったら話は単純だな」
九条が息を吐き、眼鏡を押し上げた。
「敵より先に六つ目を確保する」
「そういうことじゃ。敵も猶予がないはず。急がねばならん」
一段落ついたのを見計らい、モモが少し首を傾げて賢者に問いかけた。
「ねぇ、賢者様。その資料、いつから持ってたの?」
「随分前からじゃよ」
「なぜ今まで黙ってたんですか。もっと早く知っていれば、作戦の立てようもあったじゃない」
賢者は悪びれる様子もなく、ふぉっふぉ、と低く笑った。
「百年前の紙切れ一枚見せて、“世界の真実じゃ”と言われて信じるか?」
「普通は無理ねぇ」
賢者が肩をすくめる。
「何でも早く言えばいいというものでもない。タイミングを間違えば未来は変わるからのぅ」
「未来ぃ?」
モモが胡散臭そうに眉をひそめる。
「また始まったわ、この人」
「ふぉっふぉっふぉ」
賢者は笑って誤魔化した。
モモは、笑みを浮かべる老人の顔をじっと見つめた。
「賢者様ってさ……本当に、何者なの?」
「ただの、死に損ないの老人じゃよ」
その言葉を、その場にいる誰も本気にしてはいなかったが、それ以上追及する者は誰一人としていなかった。
そんな中、カイがコーヒーカップを持ったまま、鋭い目を光らせて問いかける。
「賢者様。マザーに入れない理由。……本当に、わからないんですか」
賢者は湯呑みを置き、カイの視線を真っ直ぐに受け止めた。
「……わからん、とは言っておらんよ」
「じゃあ」
「『今はまだ、言いたくない』。そう言った方が、正確じゃな」
賢者は細い目をさらに細め、諭すように告げた。
「今は咲洲じゃ。目の前の一歩を確実に踏み出しなさい。焦るな、カイ」
「……あんたは、全部知ってるんだな。百年前、何があったのかも」
「全部は知らん。だがな、カイ。儂が知っておることは、お前が思っているより、遥かに多いぞ。……咲洲が終わったら、話せることも出てくるじゃろう。今はまだ、その時期ではない」
カイはそれ以上、言葉を重ねるのをやめた。
醍醐が全員を見回し、重々しく席を立つ。
「よし……では、明朝より第一部隊による咲洲のコア回収作戦を開始する。各自、準備に取り掛かってくれ。本日の会議は以上だ」




