第92話 揺れる指先
翌日、特務機構の作戦会議室には、張り詰めた静寂と、どこか噛み合わない空気の重さが満ちていた。
各部隊のリーダーが円卓を囲み、その部屋の端、影の薄い特等席に賢者が所在なさげに腰掛けている。
中央に立つ醍醐が、手元の資料から視線を上げて口を開いた。
「まず、鶴見緑地での作戦報告から始める」
醍醐が資料をめくる。
「旧AIコアを二個回収した」
会議室の空気が僅かに揺れる
「二個?」
久世が眉をひそめる。
「時量隊員、続きを頼む」
「はい、ではお手元の資料をご覧ください」
一同が手元の資料に目を落とす。
「二個のうち一個は、本部襲撃時に奪われた旧AIコアと一致しました」
会議室にざわめきが起こる。
「二つのコアは互いに増幅し合っていましたが、影響対象は植物群に限定されていたと見られ、人間への直接的な影響は確認されていません」
「……なんだ、実験でもしてるのか?」
久世の問いに、醍醐は顎に手を当てた。
「その割には、敵はコアの回収に執着しているようには見えないがな」
久世は少し考え込む。
「だが、事件のたびに機構への風当たりは強まっている。能力者への規制論も、AI管理体制を再評価する声もな」
醍醐が眉を寄せる
「……世論誘導が目的だと?」
「可能性の一つだ」
「敵の目的はまだ確定しない方がいいだろう。時量隊員、続けてくれたまえ」
「はい」
師乃は次の資料を表示した。
「また、同作戦中に日和隊員の召喚獣に新たな個体の出現を確認しました」
会議室からどよめきが起こる。
「名称は『アカルヒメ』」
ホログラムに赤い光の記録映像が表示される。
「現時点で詳細は不明。ただし、敵対能力の反射、および領域干渉能力を確認しています」
数秒の沈黙。
「……詳細不明で、その性能?」
モモが呆れたように言う。
「はい」
師乃は即答した。
「なお、本人もよく分かっていません」
会議室に微妙な沈黙が落ちる。
「……そうか」
醍醐が諦めたように額を押さえた。
「続いて、生駒山麓における作戦報告に移る」
師乃が滑らかな動作で立ち上がり、中央のホログラム投影機を起動した。
「生駒山の山頂、電波塔付近に旧AIコアを動力源とした『広域精神干渉装置』が設置されていました。これにより、麓の住宅街全域で深刻なパニックが発生。
被害総数は約三百名にのぼり、錯乱による転倒や自傷・他害などで多数の負傷者も確認されています。」
師乃がモニターの資料を切り替える。
「個人の脳内メモリから負の記憶やトラウマを抽出し、最も苦手な『恐怖』を幻惑として見せる、極めて悪質なタイプです。」
師乃の声は、いつも通り淡々としていた。
「第一部隊のカイ隊長、および蓮隊員が発生源を特定。装置を完全に破壊し、五個目となる旧AIコアの回収に成功しました。……報告は以上です」
「待ちなさい」
九条がすかさず手を挙げ、鋭い視線を師乃、そしてその隣で退屈そうに頬杖をついている男へと向けた。
「回収の手順について、現地からの報告書に不可解な記述があるのだけれど」
少しの間があった。
師乃は表情を一切変えずに答える。
「……電波塔ごと、切断し回収しました」
会議室が、水を打ったように静まり返った。
「切断」
九条が、言葉の意味を脳内で処理しきれないように繰り返した。
「あの、生駒山の電波塔を?」
「はい」
「……誰が」
「カイさんです」
全員の視線が一斉にカイに集まった。
当のカイは、紙コップに入ったコーヒーを、微塵の悪びれもなく啜っている。
「カイ隊長」
九条が額を押さえた。
「なぜ、電波塔ごと切断する必要があったの。公共インフラですよ?」
「コアが鉄骨の最上部にあった」
カイはカップを置いた。
「登るより、根元から叩き切った方が早い」
「早ければいいというものではないでしょう!」
「結果的に、敵に奪われる前に最短で回収できた。文句があるか」
「周辺への二次被害はどうするつもりだった!?」
「落下地点の安全は事前に確認した。木しかなかった」
「それは、結果論!」
九条が深く深呼吸をし、胸の怒りを落ち着かせるように声をひそめた。
「……せめて事前に、一言でも相談してください」
「相談したら時間がかかる」
「それが組織の手順というものです!」
「手順に拘ってコアを奪われたら元も子もない。結果がすべてだ」
二人の視線の間に、見えない火花が散る。
その様子を見て、モモが口元を押さえ、笑いを堪えるように肩を震わせていた。
「カイ隊長」
円卓の奥から、久世の冷え切った声が響く。
「あなたの独断専行は今に始まったことではありません。しかし今回は明確な器物損壊です。公共インフラの破壊は、看過できる範囲を越えている」
「コアは確保した」
カイは久世を真っ直ぐ見返した。
「被害拡大前に終わらせた。それだけだ」
「組織には手順があります」
「手順でコアを逃がす気はない」
久世の眉がぴくりと動く。
会議室の空気がさらに冷えた、その時だった。
「まあまあ、結果オーライじゃろ」
場違いなほど呑気な声が割り込む。
部屋の端で、賢者が湯呑みを揺らしていた。
「幻覚症状は時間とともに増幅し、一部では錯乱による自傷・他害も確認されておった」
賢者が湯呑みを置く。
「あの場では、一刻も早く止める必要があったんじゃろ」
それから、少し肩をすくめる。
「鉄塔はまた建て直せる。じゃが、傷ついた人間は元には戻らん」
久世はイライラしながら、椅子の背にもたれた。
「甘すぎます!」
「こんな事態じゃからのぅ。揉めてる場合じゃないぞ」
「……賢者様がそう仰るなら、今はこれ以上言いませんが、今回の件は記録に残して、処分については後日、改めて審議してもらいますからね!」
「好きにしろ」
カイは興味なさそうにコーヒーを啜った。
「今はそれより優先すべき問題がある」
醍醐が小さく咳払いをした。
「……では次の議題に移る」
会議室の空気が僅かに張る。
「内部協力者。――内通者の件だ」
一瞬で、室温が下がったような錯覚が走った。
「内通者、ですか」
九条が眉をひそめる。
「機構内部に、敵側へ情報を流している人間がいる可能性が高い」
醍醐の声は重かった。
「本部襲撃、そして今回の生駒山。どちらもこちらの動きを事前に把握していなければ成立しない」
「つまり、情報が漏れてるってことか」
モモが腕を組む。
「暗号通信、作戦シミュレーション、部隊配置。漏洩経路は現在解析中です」
師乃が淡々と補足する。
その声はいつも通り正確だった。
その一方で師乃の指先だけが、机の下で一定のリズムを刻んでいた。
「現時点で特定個人を疑う証拠はない」
醍醐が続ける。
「よって今後、残る二つのコアに関する情報共有は最小限に制限する。大規模会議も停止。各隊、単独行動時の警戒を強化しろ」
短い沈黙。
「……以上だ。解散」




