第91話 師乃の異変
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夜になっても、第一部隊のフロアにはまだ明かりがついていた。
「珍しいな」
蓮が時計を見ながら呟く。
「何がです?」
ソラが振り向く。
「師乃がまだいる」
部屋の隅。
師乃はいつものように透過モニターへ向かっていた。
だが、普段ならとっくに帰宅している時間だった。
「あー……確かに」
ソラも時計を見る。
「結衣ちゃん、心配しません?」
「する」
蓮は即答した。
「だからあいつ、どんな修羅場でも妹との飯だけは絶対帰るんだよ」
「そこまでですか?」
「前、一回だけ泊まり込みになった時あったけど、三十分おきに『結衣はちゃんと食べたでしょうか』って聞いてきた」
「重っ」
紫苑が真顔で言った。
「お前にだけは言われたくないと思うぞ」
蓮が笑う。
だが、その笑いも途中で止まった。
師乃の様子が、おかしかった。
モニターを見ている。
……だけだ。
指が動いていない。
解析データも切り替わっていない。
まるで、画面を見ているふりをしているみたいだった。
「師乃さん?」
ソラが声をかける。
師乃は数秒遅れて顔を上げた。
「……なんですか」
その返答に、ほんの僅かな間があった。
反応が、一拍遅れた。
「いえ、コーヒー飲みます?」
「結構です」
即答だった。
だが視線は、モニターから動かない。
その横顔に、妙な張り詰め方があった。
蓮が空気を変えるように立ち上がる。
「よし。こんな時は甘いもん食いに行こうぜ。コンビニ」
「またですか」
紫苑が露骨に嫌そうな顔をする。
「お前羊羹の件まだ引きずってんの?」
「黙れ」
少しだけ、空気が緩んだ。
結局、師乃を除く全員で外へ出ることになった。
◇
蓮の一言で、機構近くのコンビニまでぞろぞろ歩いて来ていた。
「だから俺はアイスが食いたかっただけなんだって」
「夜に食うな」
「紫苑、育ちのいい母親みたいなこと言うなよ」
「育ちはいいんだよ」
「わぁーそんな事自分で言っちゃう〜」
蓮と紫苑がそんなやり取りをしている少し後ろで、ソラは缶ココアを両手で持ちながら歩いていた。
ふと、公園脇のベンチに視線が止まる。
「あ」
公園のベンチに座っていたのは、鶴見緑地で会ったあの男だった。
ジャージ姿で缶コーヒーを片手に座っている。
男こちらに気づき、露骨に顔をしかめる。
「……なんで能力者ってのは、こう、いっつも群れるんだよ」
「蓮さん、ちょっと先に行ってて下さい」
ソラは蓮たちを手で制すると、ベンチの男の方へ小走りで駆け寄った。
「こんばんは!」
親しげに手を振るソラに、男は心底うんざりしたように缶コーヒーを煽る。
「無視しろよ、そこは……」
男の迷惑そうな声を綺麗にスルーして、ソラはその隣に自然な動作で腰掛けた。
男の肩が、びくっと小さく揺れる。
「……お前、人との距離感おかしいって言われないか」
「あはは、よく言われます」
「だろな」
男は小さく舌打ちをすると、諦めたように前を向いた。
しばらく、静かな沈黙が流れる。
冷えかけた夜気の中で、公園の白い街灯が二人を静かに照らしていた。
「……なんでお前ら、そんな自然に集まってんだよ」
男が、ぽつりと、ぼそぐちを溢すように言った。
「え?」
ソラが缶ココアを持ったまま振り返る。
男はベンチの背もたれに深く体重を預けたまま、少し先でまだ揉めている蓮たちの方を顎で示した。
「別に仕事中ってわけでもねぇのに、ずっと一緒にいるだろ」
「面白いですよ?」
「絶対嘘だろ」
男は即答した。
「コンビニ来るだけで、あんなに騒げる意味が分かんねぇ」
「ふふ、蓮さんたち賑やかですからね」
「……ああいうの、疲れねぇの?」
ソラは少しだけ考えた。缶ココアのじんわりとした温かさを手のひらに感じながら、素直に答える。
「疲れる時もありますよ」
「あるのかよ」
「でも」
ソラは笑った。
「一人でいるよりは、好きです」
男はそこで口を閉ざした。
遠くから、また蓮の大きな声が風に乗って聞こえてくる。
『紫苑がハーゲンダッツ買うか五分も悩んでる!』
『悩んでいない、吟味しているだけだ』
『同じだろ!』
ソラは思わず吹き出した。
男はその笑い声を隣で聞きながら、ただじっと自分の缶コーヒーを見つめている。
「……そういうの」
男の、低く掠れた声がこぼれた。
「最初から持ってる奴らを見ると、たまにムカつく」
ソラは目を瞬かせ、男を見た。男の横顔は、全く笑っていなかった。
「俺にはそういうの、最初から無かったからな」
「……」
しばらく、静かな沈黙が流れた。
ソラは何か言おうとして、結局言葉を飲み込んだ。
軽々しく励ませる話ではない気がしたからだ。
遠くから蓮たちの騒ぐ声が聞こえてくる。
「おーい! ソラー! 行くぞー!」
蓮が大きく手を振っていた。
ソラは思わず苦笑する。
「……呼ばれちゃいました」
男は小さく鼻を鳴らした。
「見りゃ分かる」
「じゃあ僕、そろそろ行きますね」
ソラはベンチから立ち上がった。
真男視線を戻さないまま、「おう」とだけ短く返事をする。
数歩、蓮たちのいる方へ歩き出した時だった。
「……おい」
背後から、不器用な声がソラを引き留めた。
振り返ると、男は相変わらず前を向いたまま、どこか突き放すような、けれど祈るような声音で、ぶっきらぼうに言った。
「お前ら、気をつけろよ」
ソラは少し目を丸くした。
男は続ける。
「死ぬと面倒だから」
「ふふ」
ソラは笑った。
「はい」
男は、最後までこちらを振り返ることはなかった。
ただ、冷え切った缶コーヒーをもう一度、静かに口に運んでいた。
みなさん、こんにちは!
毎日『Boundary』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
実は、小説の「し」の字も知らないような初心者で、このサイトの使い方もまだまだよく分かっていない状態です!
そんな私の書いたお話ですが、読んでくださる方がいるというだけで、本当に毎日の励みになっています。
もしや‥毎日のぞいてくれる人もいる?などと想像しながら、なんとかここまでやってきました。
見つけて読んでいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
物語もいよいよ最終章に向けて、怒涛の展開へ突入しますのでお楽しみください。
そして、次回作についても準備を始めています。
まだまだ不慣れなところばかりですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします!




