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Boundary  作者: 楓シロ
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第87話 自分は誰も守れない

「……違、う」


 蓮の声が、情けないほどに震えた。


 その瞬間、カイの身体が弾徹のように地を蹴った。

 空気が裂けるような閃光のような一太刀。

男の胴体を真っ二つに両断――するはずだった。


 キィィィン!!


 金属と金属が激突したような、甲高い拒絶音が山林に響き渡る。

 カイの刀は、男の身体の数センチ手前で、目に見えない強固な「壁」に阻まれ、完全に弾き返された。


「固いな」カイが微かに眉をひそめる。


「斬れないんですか!?」


「幻影だから切ねぇんじゃね。厄介だな。」


 幻影の男は、カイの存在など最初から視界に入っていないかのように、一瞥しただけで再び蓮を睨みつけた。


「他人の後ろに隠れるか。お前には関係のない事だ、部外者はすっこんでいろ」


カイには聞こえてないのだろう

何度か切っているがやはり無理そうだ。

カイは刀を収めた。

視線は男から外さないまま、低く言う。


「これは俺の仕事じゃない」


一拍置いて、蓮を見る。


「お前の雷なら、可能性がある」


「そんな……!」


 男は容赦なく、蓮の心の最も柔らかい傷口へと、言葉のナイフを突き立てていく。


「お前はあの頃から、何一つ変わっていない。


男の声は静かだった。それが逆に、刃のように鋭い。


「何が第一部隊だ、もう忘れたのか」


 蓮の手の中で、紫の雷が狂ったように揺れる。焦げた空気の匂いが周囲に広がる。


「母親が怒鳴られていた時」

ただ、蓮だけを見るつめる。


「お前は笑っていた」


「……黙れ」


―ー視界が、急速に色を失っていく。ーー


 脳裏に蘇るのは、あの日の晩ごはんの光景だ。


  ◇


『今日はね、お父さん機嫌が良いのよ』

 母親が、珍しく安堵したように笑っていた。

 穏やかな空気だった。

めったにない、穏やかで温かい家庭の空気が嬉しかった。


 だが。

ほんの些細なことだった。

コップを倒したのかもしれない。皿を落としたのかもしれない。

今となってはもう思い出せない。


ただ、その瞬間。

父親の顔から笑みが消えた。


『おい』


低い声。

それだけで、部屋の空気が凍りつく。


『何をやらせてもどん臭いな、お前は』


 始まった。

いつもの時間だ。


(俺のせいだ)


蓮は必死に頭を回した。


どうにかしなきゃ。

何とかしなきゃ。

せっかく、お母さんが笑っていたのに。


「――今日な!」


気づけば声を張り上げていた。


「学校でな!」


必死に笑う。


面白くもない話をする。

教室であったこと。

友達の話。

思いつくことを片っ端から口にする。


空気を変えたかった。

母親を笑わせたかった。


けれど。


何も変わらなかった。


父親は不機嫌そうに立ち上がり、そのまま部屋を出ていく。


静まり返るリビング。


残された母親は、力が抜けたように椅子へ座り込んだ。


そして。


ぽつりと呟いた。


『……今日は、お父さん機嫌が良かったと思ったのに……』


誰に向けた言葉だったのか。


今なら分からない。


母親はただ疲れていただけなのかもしれない。

ただ悲しかっただけなのかもしれない。


けれど、あの日の蓮には違った。


(俺のせいだ)


そう聞こえてしまった。


(俺が余計なことをしたから)


胸の奥へ沈んだその言葉は、何年経っても消えなかった。


どれだけ笑っても。

どれだけ場を明るくしても。

自分は誰も救えない。

守れない。

そんな思いだけが、ずっと心の底に残り続けていた。



  ◇


 現在の蓮の唇から、かすかな喘鳴が漏れる。

 膝をついたまま、蓮は狂ったように頭を振った。

「違う……俺は……っ!」


「お前がやったのは、笑って場をごまかし、敵から逃げることだけだ!」

「それの、何が悪いんだよ……!!」

 蓮は叫んだ。叫びとともに、青白い電光が爆発的に周囲へ散らばる。近くの巨木に雷が直撃し、凄まじい爆音とともに幹が真っ二つに裂けた。


「蓮、落ち着け。何が見えてる」

「カイさん……! 俺、今、能力の出力が抑えられない……!」

「分かってる」

「呼吸しろ」

「そんな状況じゃ、ない……!」

「息を吐け」

「無‥理だ……!」


その瞬間。

カイの手が、蓮の腹部に短く当たった。

殴るというより、“止める”一撃だった。

「ッ……!」

蓮の息が強制的に途切れたその後、

大きく息を吸う。

大きく暴れていた雷が少しおさまった。


しかし、男の糾弾は止まらない。

「お前がいつもヘラヘラと笑っているのは、目の前の現実と戦うのが怖くて堪らないんだろう。……ほら、笑ってみせろ」

 蓮は、口角を上げようとした。

だが、動かない。頬が固まっている。


「歪んだ家庭の、歪んだ出来損ないめ。父親の前で笑うことすらできない。それがお前の限界だ。」

男が近寄ってくる

「そして」

一段と低い声で


「お前は誰も守れない。」


 ドサリ、と蓮はその場に膝をついた。

 手から雷が完全に消えた。

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