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Boundary  作者: 楓シロ
80/84

第80話 結衣

すみません、76話が飛んでることに気がつきました

8/15日に76話を追加しています

 本部食堂の大型テレビは、朝から重たいニュースを流し続けていた。


 画面の中で、ニュースキャスターが神妙な面持ちで原稿を読み上げる。

『――昨日の鶴見緑地で発生した大規模戦闘を受け、複数の市民団体が連名で抗議声明を発表しました。度重なる能力者による市街地被害に対し、中央機構の管理体制そのものへの疑問と批判の声が急速に高まっています』

『また、過激化するAI支持派の市民団体が、本日都心部にて大規模なデモ行進を敢行。参加者は一千人を超え、“感情に左右されない、公平かつ絶対的なAI管理社会の実現”を強く訴えています』


 紫苑は周囲の雑音など耳に入らないかのように、淡々と、食事を続けている。

 日和はただ、じっと画面を見つめている。


『機構は本当に安全と言えるのか、という市民の切実な不安に対し、政府関係者は――』


 食堂の最奥の席では、カイが微動だにせず画面を凝視していた。

 何も言わず、ただ冷めかけたコーヒーを一口すする。

 師乃はその傍らで、いつも通り腕の透過モニターを高速でスクロールさせながら淡々と食事を口に運んでいた。その姿はいつもの彼と何も変わらないように見えた。


『さらに、能力者の完全隔離を求める急進的な市民団体が、明後日にも機構本部前での大規模な抗議活動を行うと予告。当局は――』


「……誰か、それ消せ。」


 食堂のドアが開き九条が入ってきた。

 めずらしく酷く疲弊した表情で、前髪を乱暴にかき上げる。

「朝から気が滅入る。ただでさえ、上の連中への報告書で徹夜だってのに」

「珍しいですね」蓮が少しだけ表情を緩め、箸を動かした。「九条さんがそんな、人間くさい愚痴を言うなんて」

「……私だって人間だ」


 九条は短く吐き捨て、パイプ椅子を引いた。

 その言葉に、蓮が小さく笑う。

 誰かがリモコンのボタンを押し、テレビの画面が暗転した。


 食堂に、不自然なほどの静寂が戻ってくる。

 だが、それはあまりにも静かすぎた。たとえスピーカーからの音声が途絶えても、今しがた耳にこびりついた「不安と敵意」の言葉が、全員の頭の中に重く澱のように残り続けていた。


 そんな息の詰まるような沈黙を切り裂くように


「お兄ちゃーーーーん」


 食堂の入り口から、ひときわ高く、弾けるような明るい声が響き渡った。


 全員が一斉に振り返った。

 白いワンピースの裾を揺らし、くりくりとした大きな瞳を輝かせた、小学生くらいの小さな女の子がそこに立っていた。


 それは、師乃とは、対照的な少女だった。


「――結衣」


 師乃が勢いよく立ち上がった。


 いつもの彼からは想像もつかないほど素早い動作で、愛用していたモニターを机に放り出す。


「来ちゃった!お兄ちゃん大事なもの忘れてたよ!」


 結衣は小走りで駆け寄ると、師乃の腰のあたりに遠慮なくギュッと抱きついた。

 師乃さんは一瞬だけ戸惑うように両手を泳がせたが、すぐにその小さな身体を壊れ物を扱うように優しく受け止めた。


 その瞬間、師乃の顔に、いつもの無機質な冷徹さはなかった。

 ほんのわずか、張り詰めた糸が緩むような、穏やかな変化。


 それを見た蓮が、口をあんぐりと開けて固まった。

「……おい、嘘だろ。師乃が、笑ってる……?」

「いつも笑ってます」

 師乃は即座に結衣から身体を離し、元の無表情に戻って言い張った。

「いやいやいや!いつもはこう、歩く報告書」

 蓮が眼鏡をぐいっと上げる真似をする。

「そんなことはありません。あなたの観察力の低下を疑います」

「そうだって! なぁ、ソラも思うよな!?」


 蓮の騒ぎっぷりを無視して、結衣はきょろきょろと興味津々に食堂を見回した。

「すごい、お兄ちゃん。本物の第一部隊の人がみんないる!」

「結衣、あまり騒がしくしちゃダメだよ」


 師乃が低めの声で嗜めるが、結衣は「はーい」と生返事をしながら、今度はソラの目の前まで歩み寄ってきた。

「初めまして、時量結衣です。お兄ちゃんがいつもお世話になっています」

「あ、えっと、ソラです。新人で、こちらこそ師乃先輩にはいつもお世話になってます。よろしくお願いします」

 ソラが慌てて頭を下げると、結衣は嬉しそうに目を輝かせた。

「あ!お兄ちゃんから、たまに話聞いてる!」

「……結衣」

 師乃が小さく眉を寄せる。

「なに? ちゃんと挨拶したほうがいいって、お兄ちゃん言ってた〜」


 そのやり取りを見ていた蓮が、身を乗り出した。

「なぁ、なあ! じゃあ俺のことは!? 第一部隊のエースで超格好いい先輩がいるって話してるよな!?」

「ん〜それは聞いていません」

「即答!?」


 蓮は大げさに肩を落としたあと、すぐに結衣へ笑いかけた。

「蓮です。よろしくね、結衣ちゃん」

「あ、蓮さん。知ってるよ。雷の人!」

 結衣がそう言った瞬間、蓮の表情がほんの少しだけ固まる。

 だが結衣は、その変化に気づいたように、少しだけ声をやわらかくした。

「……ニュース見てたんです。大変そうだなって。」

 蓮は一瞬だけ言葉を失った。

「……まぁ、かなり無茶だったな」

「うん。だってみんな、怪我しながら 悪いロボットをやっつけて、守ってくれたんでしょ? 格好良かったよ」


 蓮は大きな目を瞬かせ、それから、恥ずかしそうにふいと視線を斜め下に逸らした。その耳の端が、少しだけ赤くなっている。

「……そっか。まぁ、そうだな。俺、エースだからな」


 結衣が、窓際の特等席にぽつんと座る日和を見つけたのは、それからすぐのことだった。

 日和はいつものように、胸にノアを抱きかかえたまま、じっとこちらを見つめていた。

 結衣がトコトコと近づいていく。

「わあ……このぬいぐるみ、すっごくかわいい」


 日和は結衣を見つめ返した。その表情は、いつもの感情の読めない無表情だ。

 けれど、結衣は全く怯まなかった。

「つぎはぎだらけ! お姉ちゃんの大事なんだね。お名前ある?」

「……ノア」

 日和が小さく、消え入りそうな声で答える。

「ノア! ねぇ、ちょっとだけ触ってもいい?」


 日和の動きが、わずかに止まった。

 腕の中のノアを見る。すると、ノアのつぶらな瞳が、日和を見上げて、小さく小刻みに動いた。

「……いいクマ」

「ひゃあ!? ぬいぐるみが喋った――!!」

 結衣が驚きのあまり、飛び上がって叫んだ。

「しゃべるよ」

 日和が、ほんの少しだけ誇らしそうに言う。

「すごーい! 本物の魔法みたい! 」

「他にもいるクマ」

「お姉ちゃん、他にもお友達がいるの?」

「……クロエちゃんと、アウル」

「え〜見てみたい、」


 日和は少しだけ迷った。

 前の自分なら、きっと嫌だった。

 ノアたちを誰かに触れさせるのが怖かった。

 けれど今は、不思議とそう思わなかった。

「……いいよ」


 日和の手のひらから、温かな光が漏れる。

 ぽふん、と影の中からクロエが姿を現した。

「まったく、騒がしい場所ニャ……」

「わあ! 黒猫ちゃんだ! かわいい!」

「猫じゃないにゃ! 我輩はクロエニャ!」

 クロエは結衣の手をひらりとかわした。

「でもかわいいよ? お目目、キラキラしてるし」

「……っ」

 クロエの動きが、一瞬止まる。

「……なんか、こいつ苦手にゃ」

 ぼそっと呟き、ぷいっと顔を背けた。

 けれど、尻尾は逃げるどころか、わずかに機嫌よさそうに揺れているのが隠しきれていない。


 結衣の視線は、食堂の隅で静かに羊羹の袋を開けていた紫苑へ向いた。

 紫苑は背後の気配に気づき、ゆっくり視線を上げる。

「……何か」

「えっと、こんにちは」

「……どうも」

「髪、すごく綺麗な色だね。海みたい」

 紫苑は少しだけ黙った。

「……初めて言われた」

 短く、いつも通りのトーンで答え、再び羊羹へと視線を落とす。だが、その耳朶じだはほんのりと淡い桜色に染まっていた。


 師乃が、歩き回る結衣の肩をやんわりと掴み、自分の席へと引き戻す。

「結衣、あまり皆んなの邪魔をするなよ」

「わかってるよ、お兄ちゃん」

結衣はぷくっと頬を膨らませた。

「でも、みんないい人たちだね。お兄ちゃんが前に話してたのと、全然違う」

「……私は、どんな話をあなたにしたと思っているのですか」

「だって、お兄ちゃんの周りには『変な人たちしかいない』って言ってたじゃん」


 その言葉を聞き逃さなかった蓮が、ガタッと椅子を鳴らして顔を上げた。

「おい師乃!お前、俺たちのこと裏で『変な人たち』って呼んでたのか!?」


 師乃は本日一番の深い溜め息をつき、静かに深呼吸をした。

 その妹にだけは形無しになっている光景を見て、ソラは思わずクスリと笑ってしまった。


 その時、それまで静かにコーヒーを飲んでいたカイが立ち上がった。

「俺は行く」

「あ、カイさん、もう行くんですか?」ソラが尋ねる。

「溜まっている書類がある」

「えぇっ!? カイさんが自分から書類仕事に行くなんて!」蓮が大袈裟に声を上げる。「いつもは師乃が催促しないと絶対やらないのに!」

「……うるさい」


 カイは短く返し、出口へ向かう。

 その途中、結衣の前で足を止めた。

「結衣」

「はい!」

「暗くなる前に帰れよ」

「えぇー、もうちょっといたい!」

「あと師乃が困ってるぞ」

 カイが、珍しく調子を崩されている師乃を見て、ほんの少しだけ口元を緩める。

「困っていません」

「いや、困ってるじゃん」蓮が即座に突っ込んだ。

「あなたは黙っていてください」


 結衣がはっとしたように師乃を見上げる。

「えっ、お兄ちゃん、ごめんなさい……!」

「あ、いや……」

 途端に勢いを失った師乃に、食堂の空気がふっと緩んだ。

 カイはそんな二人を見て、静かに言った。


「……元気そうで何よりだ」


 それだけ言い残し、食堂を後にする。

 自動ドアが閉まったあと。

 結衣が小さく笑った。

「カイさんはいつも優しいね」

「そんなこと言うのは、由依くらいですよ。大抵の子どもに警戒されます」

「ええっ、優しいのに…」


「ボクも同感です」

ソラが手を上げた。

「厳しいけど優しいです」

「それ、矛盾してるだろう」

 蓮が突っ込む。

「でも隊長が1番ハチャメチヤ…」

 日和がポツリと呟く。

「だよな、まともな俺くらい」

「蓮はハチャメチャに入ってるぞ」

「あ、紫苑、どう言う意味〜」

 結衣がそれを見ながら楽しそうにしている。

師乃は目を細めてそれを見ていた。


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