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Boundary  作者: 楓シロ
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第6話 過去の記憶と燃える街

 非常呼集アラートがかかったのは、朝だった。

 師乃さんの作ったスープを口に運ぼうとした、その瞬間。

 施設全体を揺らすような、乾いた電子音が響いて、びっくりした。


「出動です」

 師乃は手元のモニターを見たまま、無駄のない動作で立ち上がる。

 さっきまで壁にもたれて半分寝ていたはずのカイは、無造作にコップを置いた。その目はもう、寝ぼけてはなかった。

「どこだ」

「梅田で暴動発生。警備隊が応戦中ですが、制圧不能。……押し切られています」

「規模は」

「現在、確認できるだけで五十以上。増加傾向」


 食堂の空気が、一段階重くなる。

 さっきまで鼻歌まじりだった蓮が、ぴたりと口笛をやめた。

「五十って、普通に事件規模じゃん……」

 蓮の言葉に、喉の奥が引きつった。

 日和は何も言わない。ただ、抱え込んだぬいぐるみを、壊さんばかりの力でぎゅっと抱き直している。


 僕は、手に持っていたパンを皿に戻した。

 ――梅田

 しばらく寝泊まりしていたところだ。

 よくパンをくれたパン屋のおじさんも、あの辺のはずだ。


「行くぞ」

 カイさんの短い声が響く。

 肌に刺さるような緊張感と共に 慌てて立ち上がった。


  ◇


 現場に近づくほど、強烈な違和感を感じた。

鼻を突く焦げた匂いや瓦礫と化した外壁。遠くから響く、断続的な叫び声。

 そして――何より異常なのは、そこにいる「群れ」だった。


 特別な武装をしているわけじゃない。普通の服を着た、どこにでもいる普通の人。

 だが、その目だけが、虚ろで、何かおかしいと告げていた。


「平等を!」

「選ばれた能力者だけが得をするのはおかしい!」

「俺たちだって、同じ人間だろ!」

 バラバラに叫んでいるはずなのに、その声は同じひとつの“怒りの形”に収束していた。


「この間、ほかの隊から報告あった模造コアですね」 師乃がモニターを確認しながら言う。

「感情増幅型というところでしょうか」

「増幅?」

 蓮が不快そうに眉をひそめた。

「彼らが抱えていた曖昧な不満に、特定の意味を与えて固定している」

「つまり、自分の怒りを“正しい言葉”だと思い込んで暴れてるってわけか」

「はい」


 そのときだった。

 群れの中を走らせていた俺の視線が、一点で凍りついた。

(……あ、)

 よく知っている顔だ。

 親を亡くしてから僕がお腹を空かせていたとき、いつも笑ってパンを分けてくれた、あのおじさんだった。

 穏やかだったはずのその顔は、今は見る影もなく怒りに歪み、見たこともないほど空虚な目をしていた。


「ソラ」

 カイさんの声が降ってきた。

「避難誘導。一般人を外へ出せ」

「でも、あそこ……あの人は!」

「今は普通じゃない。――行け」

 短い言葉だった。

 迷いも、同情も、付け入る隙も一切ない。

 僕は自分の無力さに胸を焦がしながらも、強く頷き、一般人の救出へと走り出した。


 走る。

 喉がちぎれるほど声を張り、混乱する人々に呼びかける。

「こっちです! 早く!」

 なのに、言葉が届かない。

 僕の声は暴徒たちの怒号にかき消され、冷たいコンクリートの壁に吸い込まれて消えていく。助けているはずなのに。手を伸ばせば伸ばすほど、彼らが遠ざかっていくような、不気味な感覚。


 その時、暴徒の一人が狂った笑い声を上げながら、手にした発炎筒を近くの建物へ投げつけた。


 ――ボォォォッ!!!


 激しい音を立てて、赤い炎が爆発的に燃え広がる。

 立ち上る黒煙。パチパチと爆ぜる火の粉。そして、鼻腔を突く、生々しい「焦げた匂い」


「――っ!?」

 ソラの呼吸が、ピタリと止まった。


 頭が真っ白になる。足の裏から強烈な悪寒が駆け上がり、全身の筋肉が凍りついたように動かなくなった。

 火だ。家を失った、あの日と同じ火。


 一年前、あの日もそうだった。理不尽な怒りを叫ぶデモ隊が投げつけた発煙筒が、一瞬にして僕の家を地獄に変えた。激しく燃え盛る炎。崩れ落ちる天井。その向こうで動かなくなった、父さんと母さん。


 視界が煤煙で歪む。

耳の奥で、現実の怒号に混じって、あの日の静かな絶望の音が再生され始める。


『逃げなさい』

 焦げた匂い。視界を覆う赤。母さんの、血の気の引いた震える手。


『振り返らないで。生きるの。……逃げるの、ソラ!』

 僕は、その言葉に従った。

 地べたの泥を這い、大切な人に背中を向け、ただ必死に自分の命だけを繋いだ。

 そうして生き延びた。


 でも――結局、僕は何も守れなかった。


あの日も。そして、今この瞬間も。


 背後で、空気が爆ぜる音がした。

 振り返らなくてもわかる。

 蓮くんが光となって戦場を駆け、日和ちゃんの召喚獣が展開される。シノさんが冷徹に空間を支配し、その中心で、カイさんが圧倒的な「存在」として立っている。


 僕だけが、何もできない。

「第一部隊」が、無駄のない動きをしているのに。

 火を前にして足さえすくませている僕は、その円の、ずっと外側だ。なんの役にも立っていない。


 その時だった。視界の端で、炎に炙られて脆くなった建物が、みしみしと大きく傾いた。

 小さな影が見える。

 煙に巻かれ、激しく咳き込みながら逃げ遅れている、小さな子どもだ。

 その真上から、巨大なコンクリートの塊が、死の重みを持って剥がれ落ちる。


(――あ、)


 足が、動かない。

行かなきゃいけないのに。

目の前で子どもが泣いてるのに。

炎を見るだけで、身体が勝手に後ろへ下がろうとする。


間に合わない。

――また。


 その瞬間、僕の中で、自分を支えていた何かが、音を立てて折れた。


「嫌だ……」


 喉の奥が、焼けるように熱い。

 視界が、ぐにゃりと歪む。


 ――周囲の空気が、まるで心臓のようにドクンと激しく波打った。


 

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