第38話 笑顔の裏側
通天閣の足元、静まり返った通りの中心で、黒いマントの首領は蓮をじっと見つめていた。
その瞳は、ひどく冷酷で、同時にすべてを見透かしたように、ねっとりと湿った歓喜に満ちている。
「――お前も、笑うだろう?」
その言葉が投げかけられた瞬間、蓮の頰の筋肉が、ピキリと不自然に凍りついた。
「知っているはずだ。自分の本心を隠して、ただへらへらと笑ってさえいれば、その場が一番波風立てずに『丸く収まる』ということを」
蓮は、答えなかった。答えられなかった。
「人間に期待するから傷つく。誰かと本気で向き合おうとするから、裏切られて絶望する。だったら最初から、全部分かったような顔をして、心の底で諦めていれば一番楽だ……。私はね、その『正しい生き方』を、この愚かな市民どもに解放してやっただけだよ。」
黒マントの滑らかな声が、蓮の鼓膜を震わせる。
「口では『誰も傷つけたくない』などと綺麗事を言いながら、その実、傷ついた他者を見て、自分が罪悪感で傷つくのが耐えられない我が身可愛さの臆病者ども……。だから、その面倒な心を殺してやった。あとは全部、感情のないAIにでも判断を委ねて、生ける屍として生きていけばいい。我々はただ、こいつらが元々持っていた諦めの引き金を、ほんの少し引いてやっただけさ」
その瞬間、蓮の視界がぐにゃりと歪み、脳裏にドス黒い濁流のような、古い、古い記憶の断片が強烈にフラッシュバックした。
◇
『……ごめんなさい』
震える声。
俯く誰かの背中。
『どうしよう』
幼い自分の声。
張り詰めた食卓。
冷え切った空気。
『ね、ねえ!』
無理やり作った笑顔。
必死に明るくした声。
誰かのために。
空気を壊さないために。
怒鳴り声が聞こえる前に。
何かが壊れる前に――。
『今日は機嫌が良かったのに……』
ぽつりと零れた声。
胸の奥が冷たくなる。
違う。
違うのに。
それなのに――
『やっぱり、言っても無駄なんだ』
◇
「――ハッ、」
蓮が気づいた時、視界は元の曇り空と、通天閣の見える通りへと戻っていた。
目の前には、黒いマントの男が立っている。男は、蓮の顔を覗き込みながら、歪んだ嘲笑を深く刻み込んだ。
「ほら、分かるだろう? 本音をぶつけたって何も変わりはしない。誰も理解してくれない。だからお前は、今日もそうやって中身のない笑顔を貼り付けて、自分を騙し続けている……。そういうことだろう、第一部隊の『平和主義者』さん?」
蓮の顔には、いつもと同じ笑顔が浮かんでいた。
唇の両端を綺麗に吊り上げた、誰もを安心させる完璧な笑顔。
けれど――。
その隣で、ずっと蓮を凝視していた紫苑の目は、隠しきれない戦慄に染まっていた。
蓮の笑顔は、止まっていた。
ピキピキと音を立てて崩壊していくかのように、表情は笑っているのに、その瞳の奥は、完全に光を失った漆黒の闇に染まっている。
そして。
蓮のダラリと下げた両拳が、今までに見たこともないほど、激しく、怒りと絶望で震えていた。




