第34話 師乃はオカン
今日の合同訓練がすべて終了し、師乃がパチンと音を立ててモニターを閉じた。
その動作は、いつもの几帳面な彼にしては、ほんの少しだけ急ぎ足に見えた。
「――あれ、師乃さん、もう帰るんですか?」
荷物をまとめていたソラが、不思議そうに尋ねる。
「はい」
「珍しいですね。いつもならこの後、データの再検算で2時間は残るのに」
「……妹が、プリンを作ったらしいので」
フロアの一角が、水を打ったように静まり返った。
ソファでスマホを弄っていた蓮が、ゆっくりと顔を上げる。
「……は?」
「妹から、プリンが美味しく焼けた、と先ほど連絡が入りました。早く帰って消費しなければ、賞費期限が切れる恐れがあります」
師乃は至って大真面目な顔で端末を鞄に詰め込んだ。
「では、お先に失礼します」
「ちょ、ちょっと待て待て待てぃ!」
蓮がガタッと立ち上がった。
「師乃、お前さぁ……妹のことになると、急に行動速度が3倍くらい跳ね上がるよね!?」
「そのような客観的事実は存在しません」
「いや、今日一番の素早い動きマニュアルを披露してるよ。残像見えたもん」
「気のせいです。眼科に行くことを推奨します」
師乃が感情の消えた顔のまま、スタスタと自動扉へと向かう。
「師乃さん、妹さんにお土産とか買って帰らなくて大丈夫ですか!?」
ソラが背中に向けて叫ぶと、師乃の足が、ピタッと一瞬だけ停止した。
「……何が良いと思いますか」
「ほら止まったぁぁ!」
蓮がすかさず指を差す。
「止まっていません」
「いや、絶対ロボットみたいに一時停止したって!」
師乃は一度コホンと深呼吸をし、眼鏡のブリッジを押し上げた。
「……では、失礼します。これ以上遅れると、カラメルの風味が損なわれる」
今度こそ、師乃は恐るべき速度で扉の向こうへと消えていった。
蓮が堪えきれずにドッと吹き出す。
「あはは! 師乃の奴、ああ見えて妹のことになるとマジで余裕なくなるよなー」
「なんか、意外ですけど可愛いところありますよね」
ソラも笑う。
ソファで寝転がっていたカイが、面倒くさそうに足を組み替えた。
「……ほっとけ、あいつの病気は今に始まったことじゃねぇ」
ぶっきらぼうに呟くカイだったが、その口元は微かに、楽しそうに綻んでいた。
「あーあ、俺も街にでも繰り出そうかなぁ」
蓮が両腕を頭の上に伸ばし、大きな伸びをした。
「どこ行くんですか?」
ソラが食いつく。
「ミナミ。なんか美味いもんでも食いたい気分なんだよね」
「あ、俺も行きたいです!」
「よし、じゃあ決定。日和は?」
窓際でノアを抱っこしていた日和が、静かに振り返った。
「……行く」
「じゃあ、紫苑は?」
急に名前を呼ばれ、紫苑はピクリと肩を揺らした。
第一部隊に来てまだ日が浅い。第二部隊では任務外で隊員同士が遊びに行くなど有り得なかったため、こうした突発的な誘いにどう応じていいか分からなかった。
「……俺は。邪魔になるのでは」
「邪魔なわけないじゃん。ほら、行くよ」
蓮があっさりと、断る隙すら与えずに紫苑の背中をポンと叩いた。
紫苑が視線を落とすと、日和の腕の中のノアが「行くクマ」と小さく呟く。
「……分かった」
カイは「俺は寮で寝る」と来なかった。
日和が自身の能力である幻獣をそのまま連れて行こうとしたので
紫苑は反射的に日和に注意する。
「日和。外では好き勝手させないようにと師乃さんに言われていただろ」
蓮がクスクスと笑う。
「師乃、もういないのにね」
日和はノアを抱きしめたまま、ぼそっと言った。
「……なんか、幻聴で聞こえた気がした」
「引っ込めなさい、って?」
日和は小さく頷く。
「うん」
「俺も聞こえた」
紫苑が真顔で言った。




