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Boundary  作者: 楓シロ
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第28話 正しさの代償

 翌日、能力管理局の中央会議室に各部隊の隊長たちが集められた。


 長い長方形のテーブルの上座には、いつも通り機構のトップである局長・醍醐がどっしりと腰を下ろしている。


 だがその隣には、見慣れない男が座っていた。


 五十代半ば。寸分の乱れもない黒の高級スーツを纏い、髪をきっちりと固めている。

彫刻のように表情が薄く、「徹底的な効率至上主義者」のオーラを放つ男。


 彼の名は、久世高臣くぜ たかおみ。政府の能力管理部門において絶大な権力を握る、上級顧問だった。


 テーブルを挟んだ向かい側に、カイ、モモ、九条の三人が並んで座っている。



  ◇



 会議室の外――廊下の影では、師乃が静かにモニターを起動し、ホログラムの数値を追っていた。

 昨日の暴走事件から徹夜で叩き出した、最新の分析結果。


「……模造コア、Ver.3。いえ、完全に新しいタイプです」


 シノは冷徹な眼差しで画面をスクロールする。


 構造は機械というよりナノマシンに近く、今回は食品へ混入される形で市井に流通していた。

 その最大の特徴は、直接的に感情を書き換えるのではなく、


「その人間が元々持っている強固な精神傾向を、リミッターを外して暴走させる」


 という極めて悪質なもの。


 正義感が強い人間には、独善的で冷酷な正義感を。

 秩序を重んじる人間には、規律への強迫観念を。


 ――その人間が持つ最も誇り高き“強さ”を、最も鋭利な“凶器”へと反転させる。


 シノの指が、画面の上でピタリと止まった。


 混入されていたのは、蓮のファンが贈った差し入れのお菓子だった。つまり、敵の真の狙いは最初から「第一部隊の破壊」だったのだ。


 それを紫苑が貰って第二部隊に持ち帰ってしまった。

 敵は第一を狙い、結果として第二が巻き込まれた。

 これは、ただの偶然なのか。それとも――。

 師乃はその答えには辿り着けずにいた。


    ◇


 重苦しい沈黙が支配する会議室の中で、久世顧問が冷徹な声を響かせた。


「九条隊長。昨日、貴官の部隊員が避難区域において、民間人に対し著しく不当な言動を働いたことは紛れもない事実だ」

「……はい」

「たとえそれが模造コアによる精神侵食の影響下であったとしても、結果として我々が守るべき被害者を深く傷つけた。機構としての信頼を失墜させる大問題だ」

「弁解の余地もありません。深く重く、受け止めております」


 九条は背筋を伸ばしたまま、微塵も反論することなく頭を下げた。

 久世は薄い唇の端をわずかに歪め、手元の資料に目を落とす。


「そもそも、貴官の部隊に敷かれていた過剰な規律と抑圧が、今回の暴走の温床となったのではないか? 模造コアのせいにするのは容易いが、根本的な原因は、九条隊長――あなたの指導方針そのものの歪みにあると判断せざるを得ない」

「それは、」


「九条の指導のせいじゃねぇよ」

 低く、地を這うような声が会議室の空気を叩いた。

 カイが椅子の背もたれに深く寄りかかったまま、久世を睨みつけていた。


「……カイ隊長。これは第二部隊の内罰問題だ。発言は慎んでもらいたい」

「模造コアがあいつらの『真面目さ』をピンポイントで狙い撃ちした。ただそれだけの話だろ」


 カイの目が、冷たく据わる。

「それを九条さんの指導方針のせいにして、全部の責任を一個人に押し付けようってのは、あからさまに筋が違うんじゃねぇの?」

「しかし、結果として実害が出ているのだ。組織としては――」

「結果だけで全部を判断して、事情も知らねぇ安全な上座から人を一方的に裁くのか」


 カイはそこで言葉を切り、フッと鼻で笑った。

 その脳裏には、昨日、精神を汚染されて一般人を正論で追い詰めていた第二部隊員の姿があった。


「――へぇ。あんたが今やってること、昨日の第二部隊の化け物どもと全くおんなじだな」


 一瞬、会議室の時間が止まった。

 モモが「ちょっと、カイ……」と息を呑み、醍醐局長は無言で顎を引く。


 久世の完璧に統制されていた表情が、屈辱で微かにピクリと動いた。


 その時、部屋の最奥――影の落ちる壁際から、カツン、カツンと静かに杖を突く音が響いた。

 気配を完全に消してそこに佇んでいた老人が、ゆっくりと光の中に歩み出てくる。


「……賢者様」


 久世が即座に立ち上がり、一礼した。


「うむ」


 賢者様は久世の手振りを制し、真っ直ぐに九条の前に立った。


「九条よ」

「……は、はい」

「お前が部下たちへ注いできた愛情は、紛れもなく本物じゃったな」


 九条が、弾かれたように顔を上げる。


「お前はただ、戦場で決して失敗させたくなかった。誰一人として傷つけたくなかった。……その必死な不器用さも、想いも、全て本物じゃ」

「ですが、私のせいで、結果としてあいつらは……」


「人は、間違うものじゃよ」


 賢者様は慈愛に満ちた瞳で、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「どれほど正しくあろうとしても、どれほど完璧を求めても、間違う。それが人間という脆き生き物じゃ。本当に大切なのは『間違えないこと』ではない。間違えてしまった時に、どう己の過ちと向き合い、次の一歩を踏み出すかじゃろう」


 九条の喉が、きつく締め付けられる。


「ただし」


 賢者様の声に、少しだけ鋭い芯が混ざる。


「お前が信じた『正しさ』が、時に他者を切り裂く刃になり得るということ。それは生涯、忘れるでないぞ。強さとは、使い方を一つ誤れば、最も愛する者すら容易く傷つける」

「……はい。肝に銘じます」


 賢者様はくるりと振り返り、久世顧問を静かに見据えた。


「久世よ。組織としての処分は必要じゃろう。不問にせよとは言わぬ。……けれど、九条という男の誠実さは本物じゃ。それだけは、決して見誤るでないぞ」


 政府の上級顧問たる久世も、この老人の言葉を無視することはできない。彼は深く頭を下げ、「心得ました」とだけ答えた。


 醍醐局長が、コンコンとテーブルを叩いて結論を告げる。


「九条隊長、減給三ヶ月とする。また、部隊の今後の指導方針およびメンタルケア案について、速やかに再提出せよ」

「承知いたしました」

「第二部隊の隊員に関しては、処分は全て保留だ。まずは専門医による心理的フォローを最優先する。今回の件は個人の問題ではない、組織の総力として対応する」


 それは、最悪の事態を免れた、これ以上ない寛大な裁定だった。

 政府上級顧問の久世は、最後まで不満そうな顔を崩さなかったが、賢者様の手前、それ以上口を開くことはなかった。


 九条の処分が決定し、会議室の空気がわずかに緩んだその時――醍醐局長が、鋭い目光のまま言葉を続けた。


「――よし。九条の件はここまでとする。だが諸君、もう一つ重要な議題がある」


 醍醐が手元の端末を操作すると、中央の巨大な透過モニターに、複雑な回路図といくつもの暗号化されたデータ資料が映し出された。一瞬にして、会議室の空気が再び張り詰める。


「先日、中之島公会堂の地下調査で我が部隊が回収した、『旧AIコア』の分析結果が出た」

 その言葉に、それまで椅子の背もたれに深く寄りかかっていたカイが、わずかに身を乗り出した。


「旧AIコア……。例の、過去の大戦で封印されたっていう遺物ロストテクノロジーですか。それが今回の模造コアと、何か関係が?」

「大ありだ」


 醍醐は腕を組み、モニターの数値を指し示す。

「技術班が模造コアの内部構造を極限まで分解・分析した結果、その中核に『旧AIコア』の暗号化アルゴリズムと、未知のナノマシン製造技術が流用されていることが確認された。……つまり」


 廊下の影でモニターを見ていた師乃が、インカムを通じて冷静に言葉を挟む。


「――敵が模造コアを量産・進化させるための『大元マスターデータ』として、旧AIコアが不可欠である、ということですね」

「そういうことだ。敵は旧時代の遺産をハッキングし、現代の兵器として悪用している」


 会議室が、水を打ったように静まり返った。

 模造コアという最悪の兵器のバックボーンに、まさか国家機密レベルの旧AIが絡んでいるとは。


「旧AIコアは、当時の記録によると全部で『7個』存在している」


 醍醐はモニターの画面を切り替えた。7つのスロットのうち、3つにロックがかかる。


「現在、所在が割れているのは3個。我々が中之島で回収した1個と、ソラ隊員が拾った分、今回の廃棄施設だ」

「……残り、4個」


 九条が、鋭く痛む額を押さえながら尋ねる。


「残りの4個の所在は、現在どこに?」

「不明だ。封印されたかあるいは破棄されたとされているが、正確な位置データは過去のデータクラッシュで失われている。……なのは、もし敵に先を越され、残りのコアを全て回収されれば、模造コアの爆発的な量産と、さらなる凶悪な進化を許すことになる。残る4個の早期発見、および回収が我が機構の最優先急務となった」

 カイは煙草を咥えたまま、黙ってモニターを見つめていた。

 全部で7個。残りは4個。

 もし敵がその全てを手中に収めた時、一体何が起きるのか。人類の精神が完全に書き換えられるのか、あるいは――。

 まだ、その全貌は誰にも分からなかった。

 だが、一刻の猶予もないことだけは、この場にいる全員が嫌というほど理解していた。


久世は最後まで不満そうな顔を崩さなかったが、それ以上口を開くことはなかった。


 

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