第26話 踏み込んだアクセル
廃棄区域に、しんと静寂が戻る。
足元には、ひたひたと澄んだ水が広がっていた。
それは先ほどまで空間を狂気で満たしていた熱を冷ますように、静かに、ただ静かに波紋を広げている。
第二部隊の隊員たちは、その場に呆然と立ち尽くしていた。
彼らの瞳から不気味な光が消え、いつもの知性がじわじわと戻ってくる。
一人の隊員が、濡れた自分の手を見つめ、それから恐る恐る周囲を見回した。避難路の向こうーーーそこには怯えきった目で自分たちを見つめている民間人たちの姿があった。
自分が先ほどまで、どんな「正論」を振りかざし、どんな酷い言葉で彼らを追い詰めていたのか。その記憶が呼び覚まされ、隊員の顔がみるみるうちに青褪めていく。
「俺……なんてことを……」
「さっき、俺はあの人に……何て言った……?」
隊員たちの手が、激しく震え始める。誰も、次の言葉を発することができなかった。突きつけられた現実の重さに、ただ圧倒されていた。
その光景を、九条はただ、立ち尽くして見つめていた。
正気に戻り、己の罪の重さに絶望し始めている部下たちの姿を、言葉もなく見つめることしかできない。
ガク、と、九条の膝から力が抜けた。
大理石のように強固だった彼の身体が、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。
「……私が、あいつらを追い込みすぎたのか」
絞り出すような、掠れた声だった。
自分の部隊が、一番最初に模造コアの餌食になった。
自分が彼らのためにと言い続けてきた「教育」が、模造コアによって最悪の形に増幅され、人を裁く刃になった。
規律を守れ。
正しくあれ。
秩序を保て。
すべては、自分の間違った指導のせいだ。九条は深く絶望し、泥にまみれた地面に拳を突きつけた。
「ちげえよ、苦情先輩」
上から降ってきたのは、いつもと変わらない、カイの気怠げな声だった。
九条が、縋るように顔を上げる。
「お前のせいじゃねぇ。お前の言葉を歪めて武器にしたのは、あの模造コアだ」
カイは九条の目を真っ直ぐに見返した。
その瞳には、いつになく真剣な光が宿っている。
「お前の目的は、いつだって『人を守ること』だったろ。その本質は、一ミリもブレてねぇよ」
「だが、結果はこれだ……! 私の規律が、部下を怪物に変えた!」
「結果は最悪だったな」
カイはあっさりと、残酷な事実を肯定した。
「でもよ、目的が悪かったわけじゃねぇだろ」
九条は息を呑み、言葉を失った。
「ただ…」
「……なんだ」
「普段からブレーキを踏み続けてる真面目な奴はさ、限界が来た時にブレーキを放すんじゃなくて、パニックになってアクセルを床まで踏み込んでしまうんだよ」
九条の身体が、微かに凍りつく。
「お前の部隊はずっと正しくあろうとしてた。それを利用された」
カイは、足元に転がるコアの残骸を爪先で小突いた。
九条は、何も言い返せなかった。自身の掲げた正義の危うさを、これほど正確に突かれたことはなかった。
カイはフゥと息を吐き、背を向ける。
「……では、私はどうすればいい。どうやってあいつらを導けば……」
「知らねぇよ、そんなの」
カイは振り返りもせずに手を振った。
「俺のスタイルがお前に合うとも思わねぇしな。ただ、」
カイは少しだけ首を傾げ、不敵にニヤリと笑った。
「たまには肩の力を抜けばいいんだよ。お前も、部下も。たまには不揃いなかき氷でも食ってさ」
すれ違いざま、カイの大きな手のひらが、紫苑の肩をバチィンと手荒に叩いて歩いて行った。




