第24話 全部、凍らせろ
カイは、ゆっくりと第二部隊――そして、紫苑に視線を戻した。
シオンが展開した氷の結晶が、ガラス細工のように儚く砕け散る。
「おい、紫苑。お前、何にブレーキかけてんだ?」
カイが、退屈そうに首を傾げてこちらを振り返った。
「そんな氷で何を守るつもりだ」
「……」
「――全力で出せ」
「……っ」
全力。その無責任な一言が、紫苑の心臓を冷たく掴んだ。
出せるわけがない。全力を出せば、あの『怪物』がまた顔を出す。
カイの言葉が引き金となり、紫苑の意識は一瞬にして、あの息の詰まる『砺波』の屋敷へと引き戻された。
◇◇
名門御三家、具現の砺波。
生まれたときから、紫苑には巨大な「期待」という名の檻が用意されていた。
幼少期から突出した魔力を持ち、氷を具現化する才能は一族の中でも随一。
周囲の大人たちは口を揃えて「さすが砺波の神童だ」と彼を褒めそやした。
だが、紫苑の能力には致命的な欠陥があった。出力が高すぎるがゆえに、制御が極めて難しかったのだ。
感情が少しでも昂れば、氷は牙を剥き、周囲のすべてを無差別に凍結させ、破壊した。
『美しくない』
庭に広がった不恰好な氷の塊を見下ろし、父親は冷酷に言い放った。
『端が崩れたら意味がない』
『もう一度だ』
『もう一度』
『もう一度』
毎日のように繰り返される、果てのない訓練。
完璧な結晶。完璧な角度。完璧な強度。
ほんの少しの歪みも許されない環境の中で、幼い紫苑は気づいてしまった。
(――ああ、心を動かすから、氷が歪むんだ)
怒りも、恐怖も、焦りも、悲しみも。
全て削ぎ落とせば、氷は静止する。
そうして心を凍らせ、感情のブレーキを限界まで踏み込み続けることで、彼はようやく「完璧な砺波の跡取り」を演じてきたのだ。
なのに、この男は。
第一部隊の隊長は、そのブレーキを今すぐ全力で叩き壊せと言っている。
『完璧でなければ意味がない。完璧でなければ――』
父親の声が頭の中で反響する。
完璧じゃなくていい?
崩れても、歪んでも、そこに意味があるというのか。
だったら――僕が今まで殺してきた心は、一体何のためにあった?
紫苑の呼吸が、乱れる。
その前へ、カイがゆっくり歩み寄った。
その瞳には、一筋の曇りもなかった。
「全部、凍らせろ」
「っ、だけど…」
「崩れても、歪んでも構わねぇ。全部凍らせて、あいつらの動きを止めろ。――暴走したら、俺が責任を取って止めてやる。お前はただ、檻をぶっ壊せ」
紫苑は、深く、長く、熱い息を吐き出した。
踏み込み続けていた心のブレーキから、ゆっくりと、けれど確実に足を離す。
脳裏にこびりつく父親の幻影に向かって、紫苑は魂の底から吐き捨てた。
(……黙れよ、クソ親父)
今は父親のレッスンじゃない。
お前の歪んだ美学なんて、もうどうでもいい!
「――あぁぁぁあああッ!!!」
紫苑の口から、これまで決して表に出すことのなかった「感情」の咆哮が、荒々しく 迸った。
同時に、彼の身体から溢れ出た魔力が、大気を激しく震わせる。
ドクン!!! と周囲の空間が波打った次の瞬間。
バリバリバリッ!!!
大地を、崩落した壁を、狂気じみた速度で純白の氷が駆け抜ける。廃棄区域の一角が、一瞬にして白銀の世界へと変貌した。
「ひっ……!」
あまりの光景に、民間人たちが悲鳴を上げる。
だが、刃のような氷の群れは、誰一人として傷つけることはなかった。紫苑の脳内には、理屈を超えた感覚が走っていた。
初めてだった。
完璧に制御しようとしないのに、氷の流れが見える。
どこに人がいて、どこを避けるべきか。
考えていない。
なのに、全部分かった。
民間人の足元だけを、まるで避けるように氷の波が迂回していく。
そこに完成したのは、高熱の爆風からも遮断された、美しく強固な「氷の避難路」だった。
「走って……っ!!」
紫苑の叫びに、民間人たちが一斉に突き動かされる。氷の通路を駆け抜け、安全地帯へと逃れていく。
「全員俺に続け! 誘導する、こっちだ!」
蓮が声を張り上げて先導する。
「ソラ、右側の瓦礫をカバー! 日和、ノアで背後の盾を作れ!」
カイの指示が飛び、ソラが弾かれたように走り、日和はノアを巨大化させて民間人の背後を死守した。
地獄のようだった避難現場が、一気に行路を見出していく。
住民の安全を確保した紫苑は、次に、暴走する第二部隊の隊員たちの周囲へと視線を向けた。




