第21話 思考という名の檻
訓練室の床には、激しい衝撃で削られた無数の痕跡が刻まれていた。
「――そこまで。ソラ、一歩目が遅い。実戦なら首が飛んでる」
「は、はい……っ! ありがとうございました!」
木刀を握ったまま、ソラはその場にへたり込んだ。全身汗だくで、呼吸が激しく乱れている。
対するカイは、息一つ乱さず、愛刀を鞘に収めながら退屈そうに首を回していた。
その時、開いた自動ドアの向こうに、タオルを手にした紫苑の姿が見えた。隣の自主練スペースへ向かう途中、たまたま通りかかっただけなのだろう。
すかさず、カイの目が紫苑を捉えた。
「おい、紫苑」
「……何でしょうか、カイ隊長」
「ちょうどいい。ソラの代わりに、俺の相手をしろ。木刀でも能力でも何でもいい」
「拒否します。私は自分のメニューを――」
「ほら、構えろ」
カイは紫苑の言葉を完全に無視し、床に転がっていた練習用の木刀を、足先で器用に跳ね上げて紫苑へと飛ばした。
紫苑は反射的にそれを掴まざるを得なかった。カイの構えは、すでに「拒否」を許さない圧倒的な重圧を放っている。
「……分かりました」
紫苑が短く息を吐き、木刀を正視する。
次の瞬間、訓練室の空気が一気に凍りついた。
紫苑の魔力が一瞬で数本の鋭利な氷柱を具現化し、カイの退路を断つように全方位から襲いかかる。同時に、紫苑自身が最速の踏み込みで木刀を振り下ろした。
完璧な連携、完璧な速度。
――だが。
パキィン!!! と、軽い音が響いた。
カイは一歩も動いていなかった。ただ、最小限の軌道で振るわれたカイの木刀が、紫苑の放った氷柱の「結節点」を正確に叩き割り、そのまま紫苑の木刀の軌道を綺麗に逸らしたのだ。
均衡が崩れた。紫苑の体勢がわずかに傾いた瞬間、カイの木刀の先端が、紫苑の喉元へピタリと突きつけられていた。
わずか一撃。
制御を失った紫苑の氷が、自らの質量に耐えかねて、足元でパラパラと不格好に砕け散っていく。
「いい攻撃だった」
「崩れたら意味がない」
紫苑が忌々しげに、苦い声を吐き捨てた。
室内を、張り詰めた静寂が支配した。
カイはしばらく黙ったまま、床に散らばった歪な氷の破片を見つめていた。やがて、突きつけていた木刀をゆっくりと下ろす。
「……お前、自分に厳しいんじゃないな」
「は?」
「雑に扱ってるだけだ」
紫苑の眉が、わずかにひそめられる。
「何を言っているんですか」
「できなかった所だけ見て、できた所は捨てる」
カイは床に散らばった氷片を顎で示した。
「失敗した自分は削除。そんな感じだろ」
「違う」
紫苑の声に、初めて微かな拒絶の鋭さが混じった。
「私は冷静に事実を分析しているだけです。中途半端な技術に価値はない。制御できない力なら、初めから出すべきではない。ただの合理的思考です」
「違わない。ただ、見てて窮屈だ」
カイはそれ以上何も言わず、木刀を床に放り出すと、「ソラ、休憩終わりだ」とだけ言って背を向けた。
隅で見ていたソラは、紫苑の横顔を見て、息を呑んだ。
紫苑は微動だにせず、ただ自分の足元を見つめていた。その拳が、白くなるほど強く握り締められている。
「……お先に失礼します」
それだけ言うのが、精一杯だった。
紫苑は逃げるように訓練室を後にした。
◇
夜。自室のベッドに腰掛け、紫苑は暗闇の中で自分の手のひらを見つめていた。
『雑に扱ってるだけだ』
カイの言葉が、耳の奥で何度も、何度も不気味にリフレインする。
「……馬鹿馬鹿しい」
紫苑は小さく呟き、頭を振った。
あの何を考えているか分からない男に、自分の何が分かるというのだ。
自分はただ、砺波の人間として、完璧な成果を出すための最善の方法を考えているだけだ。
なのに。
カイのあの、すべてを見透かしたような目が、どうしても脳裏から離れない。
「雑に扱ってるだけだ」
その言葉だけが妙に耳に残った。
意味が分からない。
分からないはずなのに。
なぜか無視できなかった。




