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Boundary  作者: 楓シロ
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第20話 呼吸

 九条から書類の束を手渡されたのは、午後の日差しが傾き始めた頃だった。

 第一部隊の師乃宛て。公的な捺印の受領。

「俺が、行くんですか」

「他に手が空いている者がいない」九条は淡々と透過モニターに視線を戻した。「受け取りのサインをもらって来い。それだけだ」

「……分かりました」

 

 それだけの手続きのはずだったーー

 紫苑は第一部隊の詰め所の前に立ち、規則正しく三回、ドアをノックした。


「はーい!」

 中から蓮の小気味いい声がして、自動ドアが開いた。

 紫苑の顔を見た瞬間、蓮の瞳がこれ以上ないほどパッと輝く。


「おっ、ミスターかき氷じゃん!」

「……その悪質な呼び方をやめろ」

「えー? なんで? かわいいのに」

「かわいくない。絶対にだ」

 蓮がケラケラと笑いながら道を譲り、紫苑は渋々フロアに足を踏み入れた。


 ソラがノートからパッと顔を上げる。

「あ、紫苑さん! こんにちは!」

 あまりにも無邪気で、嬉しそうな歓迎。


 日和の肩の上のクロエが、気怠げに紫苑を指差した。

「氷野郎が来たにゃ」

「俺には紫苑という名前がある」

「ミスターかき氷にゃ」

「クロエ、お前……」

 蓮がさらに大爆笑し、紫苑は早くも頭痛を覚え始めていた。


 目的の師乃は、部屋の隅のデスクにいた。モニターを三枚同時に展開し、膨大なログを超高速でスクロールしている。


「書類の届け出です。九条隊長から」

「確認します」

 師乃は受け取ると、一瞬で全ページを視線スキャンした。

「内容に齟齬そごはありません。こちらにサインを」

 サインの受領。手際よく終わった。


 すぐに帰るべきだった。第二部隊の規律正しい空間へ。

 けれど、紫苑の足は、フロアの奥から聞こえてくる奇妙な電子音に引っかかって止まった。


 蓮と日和が、床に座り込んで一枚のパネルを覗き込んでいた。ポータブルの対戦格闘ゲームだ。 

 突如、蓮が悲鳴を上げる。


「ちょっと待って今の何ぃぃっ!?」

 隣の日和の顔は、完全な無表情だった。ノアを脇に挟み、恐るべき指捌きでコントローラーのコマンド入力を完了させる。

 画面の中で、蓮の操作するキャラクターが派手なエフェクトと共に木っ端微塵に爆発した。


「日和お前、そのキャラにそんな凶悪な即死コンボあったのっ!?」

「……あった」

「エグすぎるだろ! 容赦なさすぎる!」

「強いから、使う」

「ひどい! もう一回! 次は負けない!」

「……いいよ」


 紫苑は呆然とそれを見ていた。

 あの日和がゲームをするという事実にも驚いたが、何より彼女が、なかなかにえげつない戦術で蓮を完膚なきまでに叩きのめしているのが衝撃だった。


「紫苑も見てく?」

 蓮が悔しそうに振り返る。

「日和、ゲームだとマジで鬼強いんだよ」

「……少しだけなら」


 気がつけば、紫苑は壁に背を預け、ゲーム画面を凝視していた。


 三秒後、蓮のキャラが再び画面外まで吹き飛んだ。

「くそーっ! どうやってそのコンボ繋げてんの!?」

「……こう。弱パンチ、強キック、キャンセル、爆破」

「待って待って、もう一回見せて!」

 日和が無表情のまま、全く同じエグいコンボを寸分の狂いなく再現する。

 紫苑は、本当に危うく、口元が緩みそうになるのを必死で堪えた。


    

 ふと見ると、フロアの逆側ではソラが妙な奇行に走っていた。

 目を固く閉じ、両腕を前方に思い切り突き出して、ぶるぶると震えている。


「……何をしているんですか」

 見かねて紫苑が声をかけると、ソラは目を閉じたまま答えた。

「イメージ訓練です! 誰かのことを強く思い浮かべたら、能力のきっかけが掴めるかなって……!」

「それで能力が出るんですか」

「出ないです。全く。かすりもしません」

「では、時間の無駄では?」

「でも、いつか出たらいいなと思って」

 紫苑は、腕を伸ばしたまま虚空を睨みつけているソラを見つめた。


「……非効率的すぎます」

「そうなんですよね」ソラがようやく目を開けて苦笑する。「でも、カイさんが『頭で考えるな』って言うから、考えないようにしようと思って」

「『考えないようにしよう』と脳内で思考している時点で、すでに考えているのでは?」

「……あ。それ、俺も今思いました」

 二人の間に、なんとも言えない静かな時間が流れる。


「……カイさんの訓練、本当に意味不明ですよね」ソラがふっと笑った。「でも、なんか楽しいんですよね。この変な特訓」

「楽しいかどうかで、自分の能力を決めるんですか」

「だって、楽しくないと続かないじゃないですか」


 楽しくないと、続かない。

 紫苑はその言葉の響きを、胸の中で反芻した。


 気がつけば、かなりの時間が経っていた。

 カイは相変わらずどこかへ出かけて不在で、シノは黙々と超並列処理を続け、蓮は日和に十数連敗を喫し、ソラはまた変なポーズで固まっている。

 第二部隊とは、あまりにも何もかもが違いすぎた。

 張り詰めた糸もない。整列もない。それぞれが、それぞれの居心地の良いテンポで勝手に呼吸している。


「……なぜ、これが許されるんですか」

 紫苑は、隣で端末を叩く師乃にボソッと尋ねた。

「何がですか」

「この、締まりのない雰囲気です。これでは規律ある訓練にならない。能力の制御など……」

「カイさんの方針です」

 師乃は淡々と言った。

「それで、結果が出るというんですか」

「隊長は結果なんてどうでもいいと思ってるのでね」


「あ、そうだ。紫苑さんって、好きな食べ物なんですか?」

 ソラが急に、脈絡もなく尋ねてきた。

「……なぜ、そんな質問を」

「気になったので」

「任務には何の関係もないはずですが」

「関係なくても、知りたいじゃないですか。仲間なんだし」


 仲間、という響きに紫苑の心臓がかすかに跳ねる。そういう質問を、されたことがなかった。

「……羊羹ようかん

「渋っっ!!」蓮が驚愕して振り返った。「え、羊羹!? マジで!?」

「何か問題が?」

「いや、意外すぎて。もっとこう、オシャレなアイスとか言うかと」

「アイスも、嫌いではないですが……」

「かき氷は?」

「……嫌いではない」


 蓮がニヤリと悪巧みのような笑みを浮かべる。

「ほら、やっぱりミスターかき氷だ!」

「その呼び方をやめろと今言ったばかりだ!」

 詰め所が、蓮のケラケラとした笑い声で満たされる。


「あ、そうだ!羊羹好きならさ」

 部屋の隅から紙袋持ってくる。

「ほい、お菓子のお土産〜」

「……俺に?」

「俺のファンって子にもらったんだ!」

 紫苑が袋を覗き込むと、丁寧に包まれた上品な和菓子が入っていた。

「第2のみんなで食べてよ!」

「……ありがとうございます」

 

    ◇


 第二部隊のフロアに戻ると、張り詰めた空気の中で何人かの隊員がプロテインを飲みながら休憩していた。

 紫苑が手に紙袋を持っているのに気づき、一人の隊員が声をかける。

「何それ、紫苑。書類のおまけ?」

「いえ……お土産です。第一部隊の」

「は? 第一から?」

 隊員は少し驚いて、もう一人の隊員に目配せをした。

「あそこはいつも楽しそうだな」

「まあな」

「たまに思うんだよ。俺たち、こんなに規律だ何だってやってるけどさ」

「……」

「あっちの方が能力伸びたりするのかなって」


 紫苑は、お土産の袋を握りしめたまま、その言葉を黙って聞いていた。

 脳裏に、さっきの第一部隊の光景がフラッシュバックする。

 ゲームに負けて悔しがる蓮。無表情のまま少しだけ楽しそうだった日和。馬鹿みたいに真っ直ぐな目で特訓していたソラ。そして、それを見守りながら世界中のデータを解析していた師乃。

 彼らは、遊んでいたのだろうか。

 気楽に、何も考えずにいたのだろうか。


(……違う)

 チリ、と、胸の奥で小さな火花が散った。

 紫苑は、お土産の袋を自分のデスクに静かに置いた。

 なぜ自分が、第二部隊の「正しい」はずの仲間たちの言葉に、モヤモヤを覚えているのか。

 自分でも、まだ全く分かっていなかった。



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