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Boundary  作者: 楓シロ
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第19話 かき氷

 第二部隊の訓練室は、不気味なほどに静まり返っていた。

 静か、というよりは、一本の細い糸が限界まで張り詰めているような緊張感。

 隊員たちは一列に整列し、それぞれの能力を展開していた。乱れない。崩れない。隊長である九条が定めた厳格なマニュアルの通りに、正確に、過不足なく。


 紫苑は部屋の片隅で、小さく氷を生成していた。

 手のひらに収まる程度の、薄く均一な立方体。崩れないように、広がりすぎないように、神経を尖らせて魔力を制御する。


 隣の隊員が、前を向いたまま小声で囁いた。

「またセーブしてるよ、あいつ」

「仕方ないだろ。これ以上出したら制御できなくて暴走しかけるんだから」

「いくら最大出力がデカくても、実戦で使えなきゃ意味ないよな」


 紫苑には、すべて聞こえていた。

 聞こえていて、そして――否定できなかった。


「紫苑。安定性を重視しろ」

 近づいてきた九条が、モニターの数値をチェックしながら声をかける。

「今のサイズで精度を上げることを最優先にするんだ。出力は後からついてくる。まずは強固な土台を作れ」

「……はい」

「焦るな」

「はい」


 九条の言葉は、ぐうの音も出ないほど正論だった。紫苑にもそれは分かっていた。

 けれど、その言葉を聞くたびに、脳内で別の声が再生される。

『今のお前では、使い物にならない』と、そう突きつけられている気がしてならなかった。


 その時、前触れもなく訓練室の重いドアが跳ね上がった。

 気怠げに入ってきたのは、第一部隊長のカイだった。部屋の空気が一瞬で弛緩し、隊員たちの動きがピタリと止まる。 


「よ、九条。ちょっと借りるぞ」

 カイはまっすぐ紫苑の前に歩み寄ると、その鼻先を指差した。

「今から、来い」

「……は?」

「ちょっと第一に来いって」


「待て、カイ!」

九条が血相を変えて立ち上がる。

「ノックくらいしろ。それに勝手に他部隊の人間を連れて行くな、今は訓練時間中だ!」

「五分で終わる」

「五分の問題ではない。手順というものが――」

「じゃあ貸してください、九条先輩。五分だけ。な?」

「そういう問題では……っ」


 九条が言い切るより早く、カイはすでに廊下へ背を向けていた。

「紫苑、来い」


 紫苑が困惑して九条を見ると、九条は盛大なため息とともにこめかみを押さえた。

「……行ってこい。ただし、事後報告は義務付ける」


 紫苑が列を離れると、後ろで第二部隊の隊員たちが一斉にざわめき出した。

「おい、なんであいつだけ……」

「第一部隊のサボり魔に気に入られたのか?」

  

  ◇

 

 廊下に出て、重い防音扉が閉まる。

「……何ですか。訓練の邪魔をしないでください」

 カイの後ろを歩きながら、紫苑は不機嫌さを隠さずに言った。

「かき氷」

「は?」

「暑いだろ。お前、氷出せるよな」

 紫苑は思わず足を止めた。

「……それだけ、ですか?」

「それだけだが?」

「俺の能力は、かき氷を作るためにあるんじゃないです」

「今はそのために使うんだよ」

 カイが振り返り、ニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべる。

「何か問題あるか?」

 紫苑は必死に反論の言葉を探した。規律、効率、部隊の面子。だが、

「……システム的には、ないですけど」

「じゃあ決定。来い」


 第一部隊の詰め所に入ると、いつもの締まりのない光景が広がっていた。

 蓮はソファで大の字になって寝転び、日和は窓際でノアをぎゅっと抱きしめ、師乃は透過モニターのデータを流し読み、ソラは床に座り込んでノートに何かを書き殴っている。


 紫苑が入ってきた瞬間、全員の視線が一斉に彼に集まった。

「おー、紫苑じゃん!」

 蓮がバネのように起き上がる。

「隊長から聞いた? かき氷作ってくれるって!」

「……聞いてない。今、拉致された」

「マジ? 隊長、ちゃんと言っときなよー」

蓮がカイを睨み、それから紫苑に満面の笑みを向けた。

「というわけでさ、かき氷の氷、おねがい!」


 紫苑はしばらく、部屋の中の面々を見回した。

 そこには、第二部隊にあるような雰囲気は一つもなかった。ただ純粋に、夏の暑さに茹だって「冷たいものが食べたい」という欲望だけがそこにあった。


「……どのくらいの大きさですか」

「これくらい」

カイが手で大雑把にボウルほどの球体を作った。

 紫苑は諦めたように、無造作に手を前に突き出した。

 ――パリ、と涼やかな音が響く。

 何も考えていなかった。形を整えようとも、ミリ単位の制御をしようとも思わなかった。ただ、氷の塊を出した。

 テーブルの上に、ころんとした不揃いな氷の塊が五つ、並んだ。

「うおおおっ!」

 蓮が身を乗り出す。

「すっげー! 一瞬じゃん!」

「綺麗……!」

 ソラも目を輝かせて立ち上がる。

「つめたいニャ」

 いつの間にか現れたクロエが、肉球でひょいと氷に触れた。

「当たり前だろ」

蓮がゲラゲラと笑う。


「削ることもできる」

 紫苑は並んだ氷の一つに、そっと手をかざした。

 意識の向くままに、魔力を微振動させる。表面がカンナで引いたように薄く削げ、綿雪のような白い粒がふわっと宙に舞った。


「うわあああ! やばい! 天才じゃん!」

蓮が飛び跳ねる。

 師乃もモニターから視線を上げ、小さく頷いた。「非常に実用的で、エネルギー効率も良いですね」

 カイが満足げに紫苑の肩を叩く。

「ほらな、十分だ」


 あっという間に、不揃いだが山盛りの「かき氷」が五つ出来上がった。

 紫苑は自分の分としてイチゴシロップのかかった器を渡され、戸惑ったままそれを受け取った。


「紫苑って、かき氷好きなの?」蓮がスプーンを動かしながら尋ねる。

「別に」

「じゃあ嫌い?」

「嫌いでもない」

「じゃあ食え! せっかくお前が作ったんだから」

 蓮が豪快に一口頬張る。「うっま!」

「おいしい……!」ソラも顔をほころばせる。

 日和は静かに、スプーンの先で氷をすくった。

 

「紫苑、もう一個おかわり!」

 蓮に器を差し出され、紫苑は再び手をかざそうとした。

 ――その瞬間。

 頭の奥で、不快なキーンという耳鳴りと共に、「あの部屋」の記憶が蘇った。

 

 白い大理石の床、高すぎる天井。紫苑が幼少期を過ごした、本家の訓練室。

 そこには、いつも冷徹な父親が立っていた。

『もう一度だ、紫苑』

 父親の、低い声が響く。幼い紫苑が必死に作った氷の結晶。その先端が、わずかに自重で崩れ落ちた。

『端が崩れた。制御が甘い。完璧に制御できない力など、我が家系には存在価値がない』

『も、もう一度やります……!』

『歪んでいる。美しくないものはゴミと同じだ。もう一度』

 どれだけやっても、返ってくるのは冷徹な『もう一度』の四文字だけだった。一度だって、「よくやった」と言われた記憶はない。

『お前は、致命的に足りないな、紫苑』


「――紫苑? 大丈夫?」

 蓮の声で、ハッと我に返った。

 目の前には、イチゴシロップの器を持つ蓮の顔があった。

「……あ。はい、問題ありません」

 蓮は紫苑の顔をまじまじと見つめたが、それ以上は何も深掘りせず、あっさりと器を差し出してきた。

「そっか。じゃ、もう一個作ってよ。今度はメロンね!」

「……はい」


 また、適当に氷を出した。

 今度も形はバラバラだった。けれど蓮は「サンキュー!」と笑って、緑色のシロップを並々と注いだ。

 紫苑は、その緑色の塊をじっと見つめる。

 不揃いでも、「ありがとう」と言われた。

 完璧じゃなくても、誰かを喜ばせることができた。


「楽しいか」

 いつの間にか隣に立っていたカイが、ボソッと呟いた。

 紫苑は、自分の手のひらを見つめながら、少し考えてから答えた。

「……分からないです」

「そうか」

「でも、」

 紫苑は手を握りしめる。

「さっき氷を出した時、何も考えていませんでした。失敗したらどうしようとか、完璧にやらなきゃ、とか。……そんな風に能力を使ったの、初めてかもしれません」

 カイはそれ以上何も言わなかった。

 ただ、自分のかき氷をザクッとすくい、口に放り込んだだけだった。

「紫苑、ラストもう一杯!」

 また騒ぎ出した蓮の顔を見て、紫苑の口元が、ほんの少しだけ、本当にわずかだけ、緩んだ。


    ◇


 第二部隊の区画への帰り道。廊下の薄暗がりに、腕を組んだ九条が立っていた。


「事後報告をしろ。カイは何を企んでいた」

「……かき氷でした」

「……何だと?」

「第一部隊のフロアで、かき氷の氷を出しました。それだけです」


 九条はしばらく絶句したまま紫苑を見つめ、やがて、頭痛を堪えるように廊下の天井を仰いだ。


「あいつは、本当に……規律というものを何だと思っているんだ」

 ため息を吐き、そして、少しだけ声音を和らげて紫苑に問いかける。


「お前は……無理をしてないか」

「はい。何も」

「氷はできたのか?」

「不揃いでした。九条隊長の設定した基準値には、到底届かない出来です」

九条は少し止まる

「…私は、お前に完璧を求めたつもりはない」

紫苑が目を上げる。

「まずは暴走せず、安定して扱えること。今日な氷も、少なくとも暴走はしてなかった。十分だ」

「……でも、綺麗じゃなかったです」


九条は、一瞬だけ言葉に詰まった。

 形の話をしているのではない。だが、二人の会話はどこか噛み合わない。

「……第一部隊で能力を出した時は、どうだったんだ」

 九条の問いに、紫苑はポケットの中で指を動かし、感覚を思い出す。

「……あまり考えずに出したので、よくわかりません」

 九条は、何も答えなかった。

 けれど、その厳格な仮面のような表情が、ほんの一瞬だけ、寂しそうに揺れ動いたのを、紫苑は見逃さなかった。



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