第14話 暴走バス
店を出て、次の店へ向かおうとしたその時だった。
遠くで、金属を引き裂くような、凄まじい音が街に響き渡った。
――ギギギギギッ!!!
交差点の向こう。
自動運転バスが、異常な速度でカーブへと突っ込んでくる。
悲鳴を上げる巨大なタイヤ。火花を散らしながら、車体が制御を失って横滑りしていく。
「危ないッ!!」
歩道にいた人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
ソラの目に、バスの窓ガラスに張り付いて泣き叫ぶ、小さな子どもたちの顔が映った。幼稚園の送迎バスか何かだろうか。
なのに、運転席には誰もいない。ただ、警告灯だけが狂ったように室内を赤く明滅させている。
「AIジャックだにゃ……!」
クロエが恐怖で耳を完全に伏せた。
「外部から制御系を完全に書き換えられています」
アウルが緊迫した声を上げる。
次の瞬間、暴走するバスは、真正面にある商店街のアーケードへ向かって一気に加速した。
「止めないと……!」
ソラが息を呑む。
その真横で、日和は完全に硬直していた。
頭の奥底から、あの優しい言葉たちが呪いのように蘇ってくる。
『頑張らなくていいよ』
『危ないからやめようね』
『こうした方がいいよ』
『ちゃんとできる人に頼った方が安心だよ』
日和の“不安”がそのまま伝染したように、ノアの身体が小さく震え、クロエが耳を伏せ、トバリまでもが羽を縮めて身を隠した。
「日和さん!」
ソラが強く、その名前を呼んで振り返る。
「俺、バスに乗ります!」
「えっ……」
「だから、周りの人をお願いします!」
言い終えるが早いか、ソラは地面を力強く蹴り、弾かれたように走り出した。
「ちょっ、ソラ……!」
日和の静止の声など届かない。ソラは猛烈な速度で迫るバスの側面へと肉薄していく。
車体を振りながら暴走するバス。
剥き出しのサイドミラーが電柱を派手に粉砕し、容赦なく火花を撒き散らす。
その隙を突き、ソラが横から車体へと飛びついた。
――ガンッ!!
「うわっ!?」
強烈な慣性に弾かれ、掴み損ねる。
アスファルトに叩きつけられた靴底が白煙を上げ、ソラの身体が無惨に地面を転がった。
「ソラ!」
日和が悲鳴を上げる。
それでもバスは止まらない。
子どもたちの引き裂くような泣き声、割れたガラスの破片、鳴り止まない警告音。
ぐちゃぐちゃに混ざり合った音が、日和の頭へと容赦なく流れ込む。
(無理無理無理無理無理無理、わたしには無理――)
呼吸が浅くなり、胸が締め付けられる。
『危なくない?』『そういうの得意じゃないんだから』
「あの声」が、日和の四肢を縛りつける。
だが、前方で、泥まみれになったソラが再び立ち上がった。その目はまっすぐ前を見据えていた。
ソラはもう一度走る。
今度は死角となる後部へと飛びついた。
ギリギリで車体の突起にぶら下がる。
「あっ……!」
落ちる。日和の目が、恐怖に大きく見開かれた。
次に車体が大きく振られたら、ソラは落ちてタイヤに巻き込まれる!
その瞬間。
日和は、胸に抱えていた紙袋を、指が白くなるほど強く抱きしめた。
中に入っているのは、自分で選んだ布だ。
柔らかくて、温かい色。
自分が「これがいい」と決めて手に入れたもの。
「……アウル」
「はい」
まだ、声は震えている。けれど、そこには明確な「意志」が宿っていた。
「ソラの背中……押して」
アウルが青い光の尾を引いて飛んだ。
風を烈烈と引き裂き、今まさに力尽きかけていたソラの背中を、背後から強く押し上げる。
「っ!!」
推進力を得たソラの身体が前方へ滑り込み、ギリギリのところで割れた窓枠を掴んだ。そのまま、滑り込むようにして車内へと転がり込んでいく。
「っ、はぁ……っ!」
ソラは痛む身体を引きずり、運転席へと飛びついた。
しかし、液晶画面に並ぶ制御盤は、不気味なほど真っ赤に染まっている。
――ERROR
――OVERRIDE
――LOCKED
「止まれ……止まれよっ……!」
いくら力を込めても、ハンドルはびくとも動かない。油圧の抜けたようにブレーキペダルは何の抵抗もなく床に沈み込む。
背後では、子どもたちが「お母さんっ……!」と互いに抱き合って泣き叫んでいた。
バスがまた大きく傾く。この先は、コンクリートの建物に正面衝突するコースだ。
その時。
「ノア」
外から、日和の声が落ちてきた。
いつもの、周囲を伺うようなふわふわとした声ではない。
低く、どこまでも芯の通った、絶対の命令。
「――大きくなって」
――瞬間ーー
ノアの身体が一瞬にして巨大化し、つぎはぎのフェルト生地は、地面を揺らすほどの巨体へと姿を変える。
ノアは正面から、突進してくる暴走バスを迎え撃つように激突した。
――ドゴォォォォン!!!
内臓を揺さぶるような大音響が響き、衝撃波で周囲のビルの窓ガラスが一斉に細かく震えた。
流石のノアの巨体も、猛烈な勢いで突っ込んでくるバスに、ズルズルと後方へ押されていく。タイヤの焦げる臭い。まだ止まらない。
「ノア……!」
日和は布の袋をさらに強く握り締めた。
ミシミシと音を立てて、ノアのつぎはぎの布地が裂け、白い綿が飛び散る。
それでも。
日和の作った人形は、絶対に退かない。
ノアの巨大な足が、執念で地面へと深くめり込む。
――ギギギギギギ、ギギギ…………!
やがて、火花を散らして空回りしていたバスのタイヤが、抵抗を諦めたように、ゆっくりとその回転を止めた。
凄まじい静寂が、街を包み込む。
ひしゃげた車体のフロントガラスの向こうから、白い煙が立ち昇っていた。
「……できた」
泣きながら降りてくる子どもたちの間を抜け、ソラが駆け寄る。
「日和さん、凄かった! ノアすっごい!こんな大きくなるんだね!」
日和は、再び小さなぬいぐるみに戻ったノアを抱き上げた。
「終わったクマ」
「ノア、ありがとう…お腹治そうね」
バスと当たった部分が破れている。
その時、泣いていた小さな男の子が、日和の服を掴んだ。
「お姉ちゃん…」
男の子はまだ身体を震わせながらも
「ありがとう」
日和は少しだけ驚いたように目を丸くした。
「お兄ちゃんもありがとう」
「……良かった。」日和がそう言うと
クロエが鼻を鳴らし、トバリが静かに肩に止まる。
日和は、大切そうに布の入った袋を抱え直した。
「……帰ったら、作るね」
「何を作るクマ」
「まだわからない。でも、私が決める」
◇
街の喧騒から外れた陰で、二つの気配が揺れた。
「また、邪魔が入ったな…」
「でも、そこそこデータは取れましたよ。」
「これで動かせそうだな」
「はい、でも結果は想定とずれています」
「まあ、ここまで操作出来ることがわかればいいだろう。」
低い声がいくつか交わされたあと、2人は路地裏に消えていった。




