第139話 戻ってきた日常
壁に掛けられた液晶テレビから、無機質なアナウンサーの声が流れていた。
『──続いてのニュースです。先月、大阪港・夢洲地区で発生した大規模な地盤沈下および爆発事案について、警察庁と防衛機構は本日、過激派組織「AI推進派」による組織的なテロ行為と断定しました。
容疑者グループは、旧時代のメインフレーム『マザー』を利用し、社会の統制を図っていたとみられています。
また、組織の主要幹部の多くが施設の崩壊に巻き込まれ、死亡したとみられており、当局は引き続き事件の全容解明を進めています──』
あの大崩壊から、数週間が経った。
防衛機構の片隅にある日当たりの良い作業室で、日和は針と糸を握り締め、一心不乱に机に向かっていた。
机の上には、パーツを組み直された相棒たちが並んでいる。
「よし……。これで、一通り接続は終わった、はず……」
日和は息をととのえ、三体の顔を順番に覗き込んだ。
「ノア! クロエ、アウル!わかる? 私だよ、日和だよ!」
日和が身を乗りだして顔を近づける。
しかし、目覚めたノアたちは、以前のように日和に飛びついてくることはなかった。首を傾げ、どこか不思議そうな、無機質な目でじっと日和を見つめ返してくる。
「くぅ……?」
ノアが短く鳴き、日和の手のひらの匂いをくんくんと嗅ぐ。まるで、初めて会う人間を観察するような、そんなおずおずとした仕草だった。
完璧には、元通りにならなかった。
マザーの猛攻で受けたダメージが深すぎたのだ。フレームは直せても、彼らの内部に蓄積されていたこれまでの「記憶」の大部分は、綺麗に消え去ってしまっていた。
「そっか……。私のこと、忘れちゃったんだね……」
日和は胸が締め付けられるような寂しさに襲われ、ふっと視線を落とした。
目の前には、不思議そうな顔でこちらを覗き込むノアの姿があった。
「くぅ……?」
ノアは首を傾げた。
日和はすぐに目元を拭い、目の前の相棒たちに優しく微笑みかけた。
「ううん、いいの。生きててくれただけで十分。……はじめまして、ノア。私は日和。また、これからよろしくね」
その隣で、椅子の背もたれに寄りかかっていた蓮が、少しホッとしたように息を吐き出した。
蓮の視線は、日和の肩へと飛び移った黒猫のクロエへと向けられる。
「おいおい、前の獰猛さが消えて随分お上品になったじゃねえか。……ってかクロエ、お前パーツが変わって、前よりちょっとスリムになったな?」
蓮が何気なく指先を伸ばした、その瞬間だった。
「フシャーーーーッ!!」
ザシュッ!!!
「痛っ、てぇぇぇぇッ!!?」
クロエの鋭い爪が、蓮の鼻先を容赦なく引っ掻いた。
記憶は消えていても、蓮に対する苛烈な「塩対応」だけは、魂の奥深くに刻まれていたらしい。
「てめぇっ、記憶がなくなっても可愛げのなさはそのままかよ!」
「ふふ、あははは! クロエ、ナイス!」
鼻を押さえて飛び退く蓮を見て、日和にようやく心からの笑顔が戻った。失われたものは大きくても、彼らの新しい日常は、確かにここからまた始まっていた。
一方、防衛機構の医務室──。
モニターに表示された生体データを睨みながら、さくらが手際よく包帯を巻き直していく。
ベッドに腰掛けているのは、諜報部員の御影だった。
敵の干渉によって右の義手に異常が生じ、脱出の際には取り外さざるを得なかった。今は新しい義手の調整を受けている。
「よし、神経の同期率も安定してるわね。でも御影さん、まだ全快じゃないんだから、勝手に裏の調査仕事に戻ろうとしたら承知しないわよ?」
「……善処します、さくら先生」
御影は新調された黒い義手の指を一本ずつ動かしながら、少し困ったように苦笑した。冷徹な諜報部員も、この優秀で鋭い女医の前では形無しだった。
その時、医務室の前の廊下から、バタバタと騒がしい足音が近づいてきた。
「ちょっと紫苑くん! 待ちなさいよー! まだデータの入力が終わってないの!」
「しつこい、俺はもう帰る……っ、引っ張るなモモさん!」
ガラッと勢いよく扉が開き、紫苑が医務室へ飛び込んできた。
「さくら先生、助けてくれ!」
そのすぐ後ろから、モモが顔を出す。
「ちょっと紫苑くん!まだ終わってないわよ!」
「俺は実験動物じゃない。……」
いつもはクールな紫苑が、モモの勢いにすっかり振り回され、困り果てた顔でさくらを見ている。
「モモさん、どうされたんですか?」
「今度の彼が紫苑に似てるのよ!逃げ……振られないために紫苑でじっくり研究するの!」
「だから俺を巻き込むな!」
そんな二人のやり取りを見て、さくらが微笑んだ。
「ふふ、元気そうで何よりです。」
死線をくぐり抜けた彼らのもとに、ようやく騒がしくも平和な日常が訪れていた。
そして、防衛機構の付属病院──。
白を基調とした静かな病室のベッドに、師乃は上半身を起こして座っていた。
あの凄まじい大怪我だ、いまだ退院の許可は出ておらず、全身に幾重もの包帯が巻かれている。
コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開いた。
「お兄ちゃん」
入ってきたのは、醍醐たちによって救出された師乃の妹だった。
手には、近くの庭で摘んできた小さな白い花が握られている。
「……また、来たのか。私は大丈夫だと言っているのに」
師乃はいつもの癖で、少しぶっきらぼうに、返事をした。
けれど、妹はそんな兄の言葉など気にも留めず、トコトコとベッドの脇まで歩み寄った。
小さな手で、ベッドサイドの棚に花を置く。
「ううん。お兄ちゃんが元気になるまで、毎日来るよ」
妹が満面の笑みを浮かべる。
「……仕方ないですね」
師乃は小さく息を吐き、妹が置いた白い花に目を落とした。
2人の間に、春の陽だまりのような、穏やかな時間がゆっくりと流れ始めていた。




