↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Boundary  作者: 楓シロ
139/140

第139話 戻ってきた日常

 壁に掛けられた液晶テレビから、無機質なアナウンサーの声が流れていた。


『──続いてのニュースです。先月、大阪港・夢洲地区で発生した大規模な地盤沈下および爆発事案について、警察庁と防衛機構は本日、過激派組織「AI推進派」による組織的なテロ行為と断定しました。


 容疑者グループは、旧時代のメインフレーム『マザー』を利用し、社会の統制を図っていたとみられています。


 また、組織の主要幹部の多くが施設の崩壊に巻き込まれ、死亡したとみられており、当局は引き続き事件の全容解明を進めています──』


 あの大崩壊から、数週間が経った。


 防衛機構の片隅にある日当たりの良い作業室で、日和は針と糸を握り締め、一心不乱に机に向かっていた。


 机の上には、パーツを組み直された相棒たちが並んでいる。


「よし……。これで、一通り接続は終わった、はず……」


 日和は息をととのえ、三体の顔を順番に覗き込んだ。

「ノア! クロエ、アウル!わかる? 私だよ、日和だよ!」


 日和が身を乗りだして顔を近づける。

 しかし、目覚めたノアたちは、以前のように日和に飛びついてくることはなかった。首を傾げ、どこか不思議そうな、無機質な目でじっと日和を見つめ返してくる。


「くぅ……?」

 ノアが短く鳴き、日和の手のひらの匂いをくんくんと嗅ぐ。まるで、初めて会う人間を観察するような、そんなおずおずとした仕草だった。


 完璧には、元通りにならなかった。

 マザーの猛攻で受けたダメージが深すぎたのだ。フレームは直せても、彼らの内部に蓄積されていたこれまでの「記憶」の大部分は、綺麗に消え去ってしまっていた。


「そっか……。私のこと、忘れちゃったんだね……」


 日和は胸が締め付けられるような寂しさに襲われ、ふっと視線を落とした。


 目の前には、不思議そうな顔でこちらを覗き込むノアの姿があった。


「くぅ……?」

 ノアは首を傾げた。

 日和はすぐに目元を拭い、目の前の相棒たちに優しく微笑みかけた。


「ううん、いいの。生きててくれただけで十分。……はじめまして、ノア。私は日和。また、これからよろしくね」


 その隣で、椅子の背もたれに寄りかかっていた蓮が、少しホッとしたように息を吐き出した。

 蓮の視線は、日和の肩へと飛び移った黒猫のクロエへと向けられる。


「おいおい、前の獰猛さが消えて随分お上品になったじゃねえか。……ってかクロエ、お前パーツが変わって、前よりちょっとスリムになったな?」


 蓮が何気なく指先を伸ばした、その瞬間だった。


「フシャーーーーッ!!」


 ザシュッ!!!


「痛っ、てぇぇぇぇッ!!?」


 クロエの鋭い爪が、蓮の鼻先を容赦なく引っ掻いた。


 記憶は消えていても、蓮に対する苛烈な「塩対応」だけは、魂の奥深くに刻まれていたらしい。


「てめぇっ、記憶がなくなっても可愛げのなさはそのままかよ!」


「ふふ、あははは! クロエ、ナイス!」


 鼻を押さえて飛び退く蓮を見て、日和にようやく心からの笑顔が戻った。失われたものは大きくても、彼らの新しい日常は、確かにここからまた始まっていた。



 一方、防衛機構の医務室──。

 モニターに表示された生体データを睨みながら、さくらが手際よく包帯を巻き直していく。


 ベッドに腰掛けているのは、諜報部員の御影だった。

 敵の干渉によって右の義手に異常が生じ、脱出の際には取り外さざるを得なかった。今は新しい義手の調整を受けている。


「よし、神経の同期率も安定してるわね。でも御影さん、まだ全快じゃないんだから、勝手に裏の調査仕事に戻ろうとしたら承知しないわよ?」


「……善処します、さくら先生」


 御影は新調された黒い義手の指を一本ずつ動かしながら、少し困ったように苦笑した。冷徹な諜報部員も、この優秀で鋭い女医の前では形無しだった。


 その時、医務室の前の廊下から、バタバタと騒がしい足音が近づいてきた。


「ちょっと紫苑くん! 待ちなさいよー! まだデータの入力が終わってないの!」

「しつこい、俺はもう帰る……っ、引っ張るなモモさん!」


 ガラッと勢いよく扉が開き、紫苑が医務室へ飛び込んできた。


「さくら先生、助けてくれ!」

 そのすぐ後ろから、モモが顔を出す。

「ちょっと紫苑くん!まだ終わってないわよ!」

「俺は実験動物じゃない。……」


 いつもはクールな紫苑が、モモの勢いにすっかり振り回され、困り果てた顔でさくらを見ている。


「モモさん、どうされたんですか?」


「今度の彼が紫苑に似てるのよ!逃げ……振られないために紫苑でじっくり研究するの!」


「だから俺を巻き込むな!」


 そんな二人のやり取りを見て、さくらが微笑んだ。

「ふふ、元気そうで何よりです。」


 死線をくぐり抜けた彼らのもとに、ようやく騒がしくも平和な日常が訪れていた。


 そして、防衛機構の付属病院──。

 白を基調とした静かな病室のベッドに、師乃は上半身を起こして座っていた。


 あの凄まじい大怪我だ、いまだ退院の許可は出ておらず、全身に幾重もの包帯が巻かれている。


 コンコン、と控えめなノックの音がして、扉が開いた。


「お兄ちゃん」

 入ってきたのは、醍醐たちによって救出された師乃の妹だった。


 手には、近くの庭で摘んできた小さな白い花が握られている。


「……また、来たのか。私は大丈夫だと言っているのに」


 師乃はいつもの癖で、少しぶっきらぼうに、返事をした。


 けれど、妹はそんな兄の言葉など気にも留めず、トコトコとベッドの脇まで歩み寄った。

 小さな手で、ベッドサイドの棚に花を置く。


「ううん。お兄ちゃんが元気になるまで、毎日来るよ」


 妹が満面の笑みを浮かべる。


「……仕方ないですね」

 師乃は小さく息を吐き、妹が置いた白い花に目を落とした。


 2人の間に、春の陽だまりのような、穏やかな時間がゆっくりと流れ始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。