最終回 答えのない朝
この物語は今回で一区切りとなります。
ただし、物語はまだ終わりません。
「あれはどういうことだったの?」
「まだ明かされていないことがあるのでは?」
そう感じた方へ。
明日から始まる次回作では、これまで語られなかった物語が少しずつ明らかになっていきます。
そして、今までのboundaryでおきた出来事が少し違って見えるかもしれません。
コンビニ近くの公園は、朝の光に静かに包まれていた。
ソラはベンチの前に立ち、よく晴れた空を見上げていた。
あの夜から数週間。 世界は何事もなかったかのように、元に戻り始めている。
けれど、胸の奥にはまだ言葉にならない何かが残っていた。
不意に、後ろで足音が止まる。
「……お前か」
聞き覚えのある声だった。
ソラが振り返ると、男は以前と変わらない無表情で立っていた。
「こんにちは」
「ああ」
しばらく2人の間を風が吹いていた。
ソラは男を見た。
聞きたいことがあった。
けれど何を聞けばいいのか、自分でもよく分からなかった。
長い沈黙の後、男が先に口を開いた。
「大変だったらしいな」
「はい」
「マザーは止まったのか?」
「……はい」
男は小さく頷いた。
それ以上は何も言わなかった。
ソラは思わず尋ねた。
「あなたは」
男の視線がこちらへ向く。
「どう思いますか」
「何がだ」
「全部です」
男は少しだけ目を細めた。
そして空を見上げる。
「さあな」
それは決して投げやりな返事ではなかった。
本当に分からないのだと伝わる声だった。
「昔は分かった気でいた」
男は静かに続ける。
「正しいものがあると思っていた。それを目指せば救われると」
朝日が公園の木々を照らしていた。
どこかで子どもの声が聞こえる。
「でも今は違うんですか」
「知らん」
男はそう言った。
「ただ」
一度だけ言葉がとまる。
「選べない場所もある。それだけだ」
「……選べない?」
「ああ。生まれる場所も、持って生まれたものもな。そこで生きるなら、そこの決まりに従うしかない」
「それが、間違っていてもですか」
男は少しだけ黙った。
「……間違っていると分かったところで、変えられるとは限らん」
ソラの胸がわずかに痛んだ。
否定できなかった。
旅の中で、たくさんそれを見てきたからだ。
生まれ育つ環境も。背負わされた過去も。あの最深部で失った、あまりにも大きすぎるものも。
人間の力では、誰にも選べない理不尽が確かに世界にはあった。
ソラはゆっくりと、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、吐きだした。
「それでも」
男の目がソラを捉える。
ソラは続けた。
「私は、選べるものもあると思いたいです」
男は何も答えなかった。
ただ少しだけ視線を空へ向ける。
その横顔は、昔よりもずっと疲れて見えた。
「……そうか」
それだけだった。しばらくして男は背を向ける。
「もう行く」
「はい」
「ソラ」
初めて名前を呼ばれた。
ソラが顔を上げる。
男は振り返らないまま言う。
「お前は、そのままでいろ」
そして、迷いのない足取りで一歩を踏み出す。
「そういえば」
ソラの声に、男が少しだけ足を止める。
「なんだ」
「お名前、聞いてなかったです」
男は少しだけ振り返った。
「今さらか」
「すみません」
ソラは困ったように笑った。
短い沈黙。風が木々を揺らす。
やがて男は前を向いたまま答えた。
「真壁だ」
それだけを告げて、今度こそ彼は歩き出した。
ソラは去っていく背中を見つめていた。
引き止めようとは、もう思わなかった。
やがて男の姿は、朝の街並みへと溶けていった。
ソラもまた、駅へ向かう人の流れに自然と混ざっていった。
「ソラさん」
不意に横から声をかけられ、ソラはハッとして振り向いた。
いつの間にか、すぐ近くに九条が立っていた。
「九条さん」
「お疲れさまでした」
いつもと全く変わらない、静かで落ち着いた声だった。その佇まいを目にして、ソラは強張っていた胸の奥が少しだけ解れるのを感じ、小さく笑った。
「九条さんは、もうお仕事ですか」
「ええ」
九条は短く、淡々と答えた。
行き交う人々の足音の中、二人の間に短い沈黙が流れた。
ソラは朝の街並みを眺めながら、ずっと胸の奥にくすぶっていた問いを、吸い込まれるように口にしていた。
「……九条さん」
「なんですか」
「賢者様は……すべて分かっていたんでしょうか」
九条は歩みを止め、少しだけ考えた。
「分かりません」
それは、冷たい突き放しではなく、濁りのない即答だった。
九条は小さく息を吐くと、朝の光が差し込む空へ、穏やかに視線を向けた。
「ですが――もしあの方が、これからの世界の正解をすべて分かっていたのなら、あそこまで苦労しなかったでしょうね」
九条は腕時計に視線を落とす。
「では、私はこれで」
「はい」
九条は軽く会釈すると、そのまま人混みの中へ消えていった。
行き交う人の流れが、少しだけ前へ進む。その隙間の中で、ソラはもう一度だけ、大きく広がる空を見上げた。
ビル群の隙間から差し込む、眩しいほどの光。
今までの地獄のような戦いが、本当にあったのかどうか分からなくなるほどの、ありふれた朝の景色がそこにはあった。
「……終わったんだよね」
誰に向けたわけでもない言葉が、口の中で小さく消えた。
返事はない。
当然だった。背中を押してくれる老人の声も、もう聞こえない。
ソラは一度だけ息を吐いて、また歩き出す。
いつもの速度で。
いつもの道へ。
何も変わらない街の中に、自分の足音だけが少しだけ残っていた。
その音が、朝に溶けていく。
それだけだった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
読んでくださる方がいることが、何よりの励みになって、なんとか書き終えることができました。
ソラたちの物語にお付き合いいただき、本当に感謝です。
そして、明日からの次の物語でもお会いできたら嬉しいです。
次回作はboundaryよりも、もっと読む人によって解釈が変わる作品となります。
楓シロ




