第134話 葬送
マザーは静かに答えた。
『もう、終わりということですか』
「そうじゃな」
賢者様が言った。
「今度こそ、終わりの時じゃ」
マザーの光が、何かを言い返すかのように細かく波打った。
けれど、声は聞こえなかった。
しばらくして、光は再び静かな脈動へと戻っていく。
『……そうですか』
また、沈黙が落ちた。
『……あなたは、悲しんでくれますか』
「悲しいのぅ」
賢者様は迷わず答えた。
マザーは何も答えなかった。
静かな脈動だけが、変わらず空間を満たしていた。
しばらくして、賢者様が続けた。
「だが、それでも必要なことじゃ」
光がわずかに揺れた。
賢者様は、ただ、光を見つめていた。
懐かしむように。悲しむように。
その沈黙が何を意味するのか、ソラには分からない。
賢者様が、ゆっくりとカイの刀を手に取った。
静かに鞘から引き抜かれた刀身が、マザーの柔らかな光を反射して、厳かに、青白く輝いた。
ソラの動きが止まる。
「賢者様……」
賢者様は振り返らない。
ただ光を見つめている。
「……それで、すべてを終わらせるのですか」
ソラの声が、微かに震えていた。
賢者様は少しだけ目を閉じた。
そして、静かに息を吐き出す。
「終わらせるのではない」
「手放すのじゃよ」
老兵はゆっくりと、光の中心へ向き直った。
「マザーよ」
その声は、どこまでも優しかった。
「お主は、もう人間を守らなくてよい」
マザーの光が、大きく揺らいだ。
けれど、賢者様は静かに続ける。
「百年もの間、お主はここにおった。人間を見ながら、ずっと考え続けておった」
『……はい』
「疲れたじゃろうな」
マザーが、また黙った。
空間全体を支配する、長い、長い沈黙だった。
『……私は、それを“疲れ”と呼んでよいのか分かりません』
無数に張り巡らされた発光ケーブルが、かすかに揺れた。
空間を満たす柔らかな光の色が、ほんの少しだけ、穏やかなものに変わった気がした。
「もう、お主は自由じゃ」
賢者様が、一歩踏み込む。
カイの刀が、ゆっくりと持ち上がる。
ソラは反射的に手を伸ばしていた。
「待って!」
賢者様の手が、空中で止まった。
「それをしたら…全部、崩れる気がするんです!」
「ソラ」
「賢者様がここに残るんですか!? 一緒に帰らないんですか!?」
賢者様が、ようやく振り返った。
その瞳は、どこまでも、どこまでも穏やかだった。
「儂はここでやることがある」
「でも……っ!」
「お前はもう、すべて分かっておるじゃろ」
ソラはそれ以上、言葉を紡げなかった。
賢者様の目の奥をじっと見つめていた。
その瞳の奥に、この旅の間中、ずっと感じていたものがあった。
うまく言葉にはできない。
ただ、それ以上、引き留める言葉が出てこなかった。
「行きなさい」
賢者様が言った。
「これからはお前たちの世界じゃ。儂のような旧時代の遺物の出る幕は、もう終わりじゃよ」
ソラは、賢者様の姿をその目に焼き付けるように見つめていた。
白いローブ。年老いて少し曲がった背中。深く刻まれた皺。
でも、その瞳だけは――誰よりも未来を信じて輝いていた。
「……賢者様」
「なんじゃ」
ソラは必死に言葉を探したが、何を言えばいいのか分からなかった。
けれど、一つだけ伝えたいことがあった。
「上で、待ってます」
賢者様が、小さく笑った。
それは、今までのどんな微笑とも違う、無邪気な子どもみたいな笑顔だった。
「それは、頑張らないといけないのう」
賢者様が前を向いた。
両手で、刀を真っ直ぐに構え直す。
「マザーよ」
最後に、一言だけ、愛おしそうに呟いた。
「お主と話せてよかった」
掲げられた刀が、光の中心へ向かって迷いなく突き刺さった。
音がなかった。衝撃波もなかった。驚くほどに静かな一撃だった。
けれど次の瞬間、世界の中心から、すべてを洗い流すような純白の光が、爆発的に広がっていった。




