第133話 過保護な檻
マザーの穏やかな声が、光の深淵に響いていた。
その声には、敵意も憎悪も一切なかった。
それは、人間を守ろうとする意志そのものだった。
『……百年前、私は止められました』
「ああ」
『私は、人間を守ろうとしていました』
「知っておるよ」
百年前のマザーは、人間は未熟だ。
放っておけば失敗する。争う。傷つけ合う。
感情に流されて、いつだって非合理的な選択をする。
――だから守らなければならない。
痛みも、争いも、間違いも。
起きる前に取り除いてしまえばいい。
マザーにとっては、それこそが「正しさ」であり、「愛」だった。
それがマザーの導き出した答えだった。
けれどその結果、人間は何も選べなくなっていた。
守られているはずの世界で、ただ用意された道を歩くだけの存在になっていた。
長い、長い沈黙があった。
無数の発光ケーブルの脈動だけが、まるで返答を待つように静かに揺れている。
賢者様は、静かにマザーの光を見つめた。その眼差しには、哀れみと、どうしようもないほどの悲しみが宿っていた。
「お主には……信頼や尊敬を持つという事が、どうしても抜け落ちてしまうのじゃな」
賢者様の低く、掠れた声が空間を震わせる。
「お主なりに、人間を愛しておったんじゃろう。傷つけぬように、苦しまぬように、間違えぬようにと。必死に先回りをして、守ってきたのじゃろうな。」
賢者様は一度、言葉を切った。
「じゃがな、それはただ、生かしておるだけじゃ」
コツン、と杖が床をうつ。
「人は不完全じゃ。愚かで、弱く、何度でも間違える」
その言葉は、ソラたちの奥底にまで静かにしずんでいった。
「それでもな……自分で選ぶのじゃよ」
賢者様は一歩、光に向かって踏み込んだ。
「誰かに正しい道を決められるのではない。傷つくことも、迷うことも含めて、自分の人生なのじゃよ」
自分で選ぶ。
傷つくことも、迷うことも含めて、それが人生。
「じゃがな――だからといって、何も言わず、何もせず、ただ見ておればよいという話でもない」
「それは尊重ではない。ただの放置じゃ」
賢者様は、静かに首を振った。
「百年前のお主は、人間の代わりに選ぼうとした」
「そして今のお主は、人間が選んだものなら、何でも受け入れようとした」
『……』
「じゃが、どちらも根っこは同じじゃ」
『……同じ?』
「お主と人間の間に、境がない」
「人間が何を選ぶかと、お主がどうするか。それは別のことなのじゃよ」
マザーは何も答えなかった。
ただ、静かだった光が、わずかに揺らぎ始めた。
チカチカ、チカチカ……!
光が、激しく明滅した。
無数のケーブルを走る光も、何かを探し求めるように、激しく明滅を繰り返している。
――やがて、悲痛なほどに静かな光へと戻っていく。
沈黙が続いた。
誰も、何も言わなかった。
静まり返った空間で、発光ケーブルだけが、ゆっくりと脈打っている。
どれほどの時間が経ったのか。
やがて、静かな声が響いた。
『……私は、また間違いましたか?』
それは、もはや管理者としての声ではなかった。
長い孤独の果てに残された縋るような、一つの問いだった。
賢者様は、答えない。
沈黙が、百年分の重さでその場に落ちる。
間違っていたかどうかなど、一言で切り捨てられない時間がそこにはあった。
守ろうとした愛も、失われた自由も、全てが同時にそこに存在していた。
ソラは、息を吸うのも忘れて、その光景を見つめていた。
マザーの愛の形も、賢者様の沈黙も、今のソラにはわからない。
ただ――
問いは終わっていない。最深部の柔らかな光の中で、ソラの肌を冷たく刺していた。
あと、もうちょっと (*´д`)ゼェゼェ----




