第131話 マザー
その扉は、廊下の最果てに、厳然とそびえ立っていた。
これまでに見てきたどの隔壁よりも巨大で、重厚な鋼鉄の表面には、複雑な回路パターンが血管のように刻まれている。そこを流れる青白い光だけが、ここがマザーの心臓部へ繋がる境界であることを示していた。
扉の前で、全員が足を止めた。
紫苑は冷気で凍りついた己の両手を見つめ、一度、深く息を吐き出した。その吐息が白く煙る。
御影は動かなくなった黒い義手を静かに見下ろし、残された左手でしっかりと作業用端末を握り直した。
誰も口を開かなかった。
この扉の向こうにいるのが、
百年前の戦争を生み出した存在。
世界を滅亡寸前まで追い込んだ、すべての始まり。
ソラは胸元で小さく拳を握りしめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。心臓の音が、耳の奥でうるさいほどに鳴り響いている。
「……行くぞ」
御影の短い声を合図に、紫苑が扉に手をかけた。
ズウゥゥゥゥン……。
重い音を立てて、巨大な鋼鉄の扉がゆっくりと左右に開いていく。
ソラたちは身構えた。どんな凶悪な兵器が、あるいは圧倒的な質量が襲いかかってくるのかと。
だが、開かれた扉の向こうから溢れてきたのは、ただ、光だった。
目を射るような鋭い拒絶の光ではない。それは、どこまでも柔らかく、空間全体を包み込むような、穏やかな光だった。
ソラは息を呑み、静かに一歩を踏み込んだ。
紫苑が続き、御影が続き、賢者様が静かにその後に続いた。
広かった。
地上からこれまで降りてくる中で見てきた、どの空間よりも圧倒的に広大だった。
見上げても天井は遥か彼方の闇に消え、左右を見渡しても壁の終わりが視認できない。自分たちが、世界の中心にぽつんと取り残されたかのような錯覚に陥る。
ただ、光だけがそこにあった。
壁や床、そして虚空に向かって、無数の発光ケーブルが蜘蛛の巣のように、縦に、横に、斜めに、縦横無尽に走っている。
そのすべてが複雑に繋がり合い、脈動しながら、たった一つの「中心」に向かって収束していた。
中心には、何かがいた。
巨大な存在であることはわかった。けれど、その正確な形がわからなかった。
あまりにも柔らかく濃密な光に包まれていて、その輪郭を捉えることができないのだ。
そして、静かだった。
異様なほどに、静まり返っていた。
まるで最初から、
ここで戦うつもりなどなかったかのように。
無慈悲なレーザーも、空間を歪める重力波も、何一つ襲ってこない。音が、完全に消失した世界。
ただ、ケーブルが一定の周期で淡く光り、中心の繭が静かに明滅しているだけだった。
ソラは、おろおろと周囲を見回した。
戦うべき相手が、どこにもいない。
それなのに、怖かった。
さっきまでの、命を削り合うような苛烈な戦闘よりも、この静寂の方が遥かに怖かった。
本能が警鐘を鳴らしている。
ここにある“何か”は、自分たちが今まで戦ってきたものとは根本から違う、と。
「……静かすぎる」
紫苑が声を潜めて言った。
「罠か。俺たちの警戒を削ぐための」
御影が鋭く目を光らせる。
「違います」
ソラが、遮るように小さく言った。
「なぜわかる、ソラ」
「感じます……。ここには、さっきまで地上や中層で僕たちを殺そうとしていたものとは、全く違う『意思』がいる気がするんです」
御影がソラを見た。
ソラはただ、じっと光の中心を見つめていた。
ソラの両手のひらが、再びじわりと温かくなっていた。
けれど、さっきまでとは違う。
エネルギーではない。
それなのに――そこに“何か”がいることだけは、なぜかはっきりとわかった。
そのとき、全員の脳裏に直接、音を持たない澄んだ声が響き渡った。
――ようこそ。私の、最後の子供たち。




