↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Boundary  作者: 楓シロ
131/140

第131話 マザー

 その扉は、廊下の最果てに、厳然とそびえ立っていた。


 これまでに見てきたどの隔壁よりも巨大で、重厚な鋼鉄の表面には、複雑な回路パターンが血管のように刻まれている。そこを流れる青白い光だけが、ここがマザーの心臓部へ繋がる境界であることを示していた。


 扉の前で、全員が足を止めた。

 紫苑は冷気で凍りついた己の両手を見つめ、一度、深く息を吐き出した。その吐息が白く煙る。


 御影は動かなくなった黒い義手を静かに見下ろし、残された左手でしっかりと作業用端末を握り直した。


 誰も口を開かなかった。

 この扉の向こうにいるのが、

 百年前の戦争を生み出した存在。

 世界を滅亡寸前まで追い込んだ、すべての始まり。


 ソラは胸元で小さく拳を握りしめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。心臓の音が、耳の奥でうるさいほどに鳴り響いている。


「……行くぞ」


 御影の短い声を合図に、紫苑が扉に手をかけた。


 ズウゥゥゥゥン……。


 重い音を立てて、巨大な鋼鉄の扉がゆっくりと左右に開いていく。

 ソラたちは身構えた。どんな凶悪な兵器が、あるいは圧倒的な質量が襲いかかってくるのかと。


 だが、開かれた扉の向こうから溢れてきたのは、ただ、光だった。

 目を射るような鋭い拒絶の光ではない。それは、どこまでも柔らかく、空間全体を包み込むような、穏やかな光だった。


 ソラは息を呑み、静かに一歩を踏み込んだ。

 紫苑が続き、御影が続き、賢者様が静かにその後に続いた。


 広かった。

 地上からこれまで降りてくる中で見てきた、どの空間よりも圧倒的に広大だった。

 見上げても天井は遥か彼方の闇に消え、左右を見渡しても壁の終わりが視認できない。自分たちが、世界の中心にぽつんと取り残されたかのような錯覚に陥る。


 ただ、光だけがそこにあった。

 壁や床、そして虚空に向かって、無数の発光ケーブルが蜘蛛の巣のように、縦に、横に、斜めに、縦横無尽に走っている。

 そのすべてが複雑に繋がり合い、脈動しながら、たった一つの「中心」に向かって収束していた。


 中心には、何かがいた。

 巨大な存在であることはわかった。けれど、その正確な形がわからなかった。

 あまりにも柔らかく濃密な光に包まれていて、その輪郭を捉えることができないのだ。


 そして、静かだった。

 異様なほどに、静まり返っていた。 


 まるで最初から、

 ここで戦うつもりなどなかったかのように。


 無慈悲なレーザーも、空間を歪める重力波も、何一つ襲ってこない。音が、完全に消失した世界。

 ただ、ケーブルが一定の周期で淡く光り、中心の繭が静かに明滅しているだけだった。


 ソラは、おろおろと周囲を見回した。

 戦うべき相手が、どこにもいない。

 それなのに、怖かった。

 さっきまでの、命を削り合うような苛烈な戦闘よりも、この静寂の方が遥かに怖かった。


 本能が警鐘を鳴らしている。

 ここにある“何か”は、自分たちが今まで戦ってきたものとは根本から違う、と。


「……静かすぎる」

 紫苑が声を潜めて言った。

「罠か。俺たちの警戒を削ぐための」

 御影が鋭く目を光らせる。


「違います」

 ソラが、遮るように小さく言った。

「なぜわかる、ソラ」

「感じます……。ここには、さっきまで地上や中層で僕たちを殺そうとしていたものとは、全く違う『意思』がいる気がするんです」


 御影がソラを見た。

 ソラはただ、じっと光の中心を見つめていた。

 ソラの両手のひらが、再びじわりと温かくなっていた。


 けれど、さっきまでとは違う。

 エネルギーではない。

 それなのに――そこに“何か”がいることだけは、なぜかはっきりとわかった。


 そのとき、全員の脳裏に直接、音を持たない澄んだ声が響き渡った。



 ――ようこそ。私の、最後の子供たち。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。