第129話 命のリレー
第二形態へ移行した機械の速度は、すでに人間の視界では追えなかった。
網膜に焼き付くのは、鋭利な残像のみ。
バチッ、バチバチッ――!
蓮が床や壁に張り巡らせた電流網が、次々と反応する。
位置はわかる。だが、攻撃を合わせようとした時には、もうそこにはいない。
「くそっ……速すぎる!」
しかも機械は、先ほど二人が仕掛けた罠まで学習していた。
電流網を避け、アカルヒメの反射範囲を避け、そのわずかな綻びだけを正確に狙ってくる。
日和は必死に精神を研ぎ澄ませ、結界を動かした。
右を塞げば、左から。左を守れば、今度は背後から。
機械は反射を警戒しながら、次々と結界の綻びを突いてくる。
日和はそのたびに結界を展開し直した。だが、敵の速度に合わせて何度も形を変えるうちに、アカルヒメの輪郭が少しずつ薄れ始めていた。
またしても防壁の綻びを突かれ、冷たい死の気配が日和の喉元に迫る。
「当たらない……! 速すぎる……っ!」
蓮の悲鳴のような声。
「アカルヒメも、もう限界が近い……っ!」
日和の背後のアカルヒメが、不安定に揺らいでいた。その輪郭は目に見えて薄くなり、いまにも霧のように霧散してしまいそうだった。
機械がまた動いた。
今度はフェイントすらない、直線的な突撃。
アカルヒメの結界が弱まったことを瞬時に学習し、躊躇なく、真っ向から突っ込んできたのだ。
パリィィィン……!!!
ガラスが砕け散るような甲高い音が響き、アカルヒメの結界が真っ二つに割れた。
――その瞬間だった。
「日和を、まもるクマ――!!」
日和の腕の中から、ノアが弾丸のように飛び出した。
空中で跳ねるように回転しながら、ノアの小さなぬいぐるみの身体が、一瞬にして巨大な熊の姿へと膨れ上がる。アカルヒメの代わりに、ノアはその大きな背中で日和を覆い隠すように立ちはだかった。
ズシャァァァッ!!
機械の鋭利な超振動ブレードが、ノアの綿の詰まった胸元を容赦なく引き裂いた。
「ノア――っ!?」
日和の目の前で、白い綿が飛び散った。
「日和をまもるクマ……ッ!」
ノアの巨体が激しく揺れる。だが、一歩も退かない。
機械の計算では、これほどの打撃を与えれば標的は後退するか、あるいは機能停止するはずだった。
機械がブレードを引き抜こうとした、その瞬間。ノアはあえて自らの裂け目に敵の刃を深く喰い込ませ、布と、裂けた体から溢れ出した綿が、機械の腕へと絡みつく。
ノアは、自らの傷口ごと敵のブレードを抱え込み、その駆動関節を物理的に封じたのだ。
ジジ、ジジジッ……!
想定外の行動に、機械の赤いスリット光が激しく明滅する。
「ノア、下がって! もういいから!」
「やだクマ! 日和をまもるクマ! ノアは日和のクマだから…!それが、ノアのやくめクマ……!」
機械は強引に自由なもう一本の腕を駆動させ、ノアの身体を執拗に殴りつけた。
バキバキと、内側の芯が折れる音がする。縫い目が激しく裂け、白い綿が雪のように周囲に舞った。
「ノアッ!」
日和は思わず、ノアの背中に手を伸ばした。
その手が、裂けた布に触れる。
けれど、ノアは振り返らない。
日和を守るために、ただ前だけを向いていた。
機械の動きが、確実に、綿の檻によって鈍っていく。
ノアは絶対にその腕を離さなかった。
蓮はその隙を逃さず、機械の足元に電流を集中させた。機械が退避しようとした瞬間、床を走る電撃が進路を塞ぐ。
「今にゃーーーー!!」
ノアが命懸けで作り出した一瞬の停滞。
そこに、クロエが疾風のごとく突っ込んだ。
機械の超速度を正面から受ければ即死する。だが、ノアが腕を縛り付けている今なら、敵の回避ルートは限定されている。
クロエは機械の急所へ向かって、限界以上の速度で爪を突き立てた。
パシィィン!
火花が散り、機械の首元に小さな亀裂が入る。
機械はノアへの殴打を中断し、即座にクロエへの反撃に転じた。
残された足による蹴撃が、クロエの小さな身体を捉える。
「クロエっ!」
バキ、と鈍い音がして、クロエが床へと激しく弾き飛ばされた。
日和は息を呑んだ。
起き上がったクロエの身体は、大きく歪んでいた。
片方の耳が引きちぎれかけ、痛々しく垂れ下がっている。
「大丈夫にゃ……まだ、あいつの目が、アタシを見てるにゃ……!」
クロエは歪んだ身体を無理やり引き摺り、獰猛に牙を剥いて再び機械へと床を這うように滑り込み、再び喉元へ喰らいついた。
ガキィィン……!
二度目の牙が、先ほど刻んだ亀裂をさらに押し広げた。
機械の駆動に、再び一瞬の空白が生まれた。
だが、次の瞬間、機械の蹴撃が再びクロエを薙ぎ払った。
今度は連絡通路の壁に激しく激突し、床へ落ちる。もう、ピクリとも動かなかった。
「クロエ!!」
日和は駆け出そうとした。その時、
「……アウル、繋いだニャ……ッ!」
高く、高く上がっていたアウルが、限界まで羽を広げて虚空に舞っていた。
上空から、ノアとクロエが命を削って止めた機械の姿を、その鋭い眼光で見下ろしている。
機械は、ノアとクロエの対処に集中し、上空への警戒が完全に疎かになっていた。
「見えたホー……! 首の付け根ホー!!」
アウルが、弾丸のような速度で一直線に落下した。
全ての力を一点に集中させた突撃。クロエが穿った首の付け根の亀裂へ、アウルの鋭い嘴が完璧に突き刺さった。
バチチチチッ……!!!
機械の頭部が、ガクガクと痙攣する。
だが、次の瞬間、片腕を異常な角度で跳ね上げ、アウルの小さな体を容赦なく、掴み取ったのだ。
「アウルー―ッ!」
ドガッ……!
機械は掴んだアウルを、全力で床へと叩きつけた。
激しい衝撃音と共に、アウルは床に転がり、動かなくなった。片翼が、痛々しく折れ曲がっていた。
日和は、目の前の光景を見つめた。
ノアは裂けた身体から綿を溢れさせながら、なおも機械のブレードを抱え込んでいる。
壁際には、身体を歪ませて倒れたクロエ。
床には、片翼を折られたアウル。
「……ノア」
呼びかけると、ノアの耳がわずかに動いた。
それでも、振り返らない。
日和は唇を噛んだ。
こんなになるまで……。
ノアは、まだ戦っている。
クロエも、アウルも。
あんな姿になりながら、次へと繋いでくれた。
日和は、もう一度ノアに手を伸ばした。
目の前の機械が、ブレードの出力をさらに上昇させた。
蓮が再び電流を放つ。しかし、首元から火花を散らしながらも、機械はゆっくりと動き始めていた。
日和は伸ばした手を、ぎゅっと握り締めた。
「ノア……クロエ……アウル……」
3匹が繋いでくれた、この一瞬。
日和は、ノアの背中越しに赤い光を放つ機械を見据えた。
「今度は、私が繋ぐ……!」




