第128話 最奥区画③
「な……師乃っ、お前、何をして……ッ! 俺の邪魔をするな!!」
自分で放った攻撃が師乃を貫いたのを見て、久世の顔は驚愕から、醜い怒りへと歪んだ。
賢者様に敗北し、機械兵を破壊され、すべてが思い通りにいかなくなった苛立ち。その矛先は、無残にも血を流して倒れ込む師乃へと向けられる。
「この、出来損ないがぁッ!!」
ドカッ……!!
久世の容赦ない蹴りが、傷ついた師乃の脇腹を捉えた。
「……っ、く……」
短い悲鳴と共に、師乃の身体が冷たい床をゴロゴロと転がり、さらに血の跡を広げる。
「久世……! 貴様、どこまで堕ちれば気が済むッ!!」
紫苑が怒りで声を荒らげた、その瞬間だった。
「見苦しいな、小童」
久世が賢者様の存在に気づいた時には、もう刀は振り抜かれていた。
ザシュゥゥゥッ……!!!
「があああぁぁぁぁッッ!!?」
賢者様の一閃が、久世の胴を真一文字に深く切り裂いた。
今度こそ致命的な一撃を受け、久世は大量の血を吐き出しながら崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
しかし、勝利の余韻に浸る時間など一秒もなかった。
「師乃さん……っ!!」
ソラは駆け寄り、床に倒れ伏す師乃を抱き起こした。
黒い外套は師乃自身の血で完全に濡れそぼり、床には見る見るうちに真っ赤な血だまりが広がっていく。明らかに、一刻を争うほどの深刻な出血量だった。
「嘘……衣服が全部、血で……っ。待って、どうして…」
ソラが必死に手をかざそうとした時、師乃の冷たい手が、弱々しくソラの首元を掴んだ。
「……バカ、言うな……。私にかまう、な……」
師乃は激しく血を吐き出しながら、濁った瞳でソラを真っ直ぐに見つめた。
「急げ……ッ! 早く、行け……!」
「そんなの無理だよ! 師乃さん、こんなに血が出てるのに……置いていけるわけないよ!」
ソラは涙をボロボロとこぼしながら首を振る。紫苑や御影も、動けない体でありながら痛々しげに師乃を見つめていた。
「なんで……なんで……!」
ソラの声は震えていた。
だが、師乃は答えなかった。その顔からは、急速に生気が失われつつあった。
「──おい、勝手に死ぬな。寝覚めが悪ィだろ」
紫苑が師乃の側に膝をつき、迷うことなく、自らの冷気の能力を師乃の傷口へと集中させる。
パリパリパリ……!
極小の精密な氷の結晶が師乃の外套と胸元を包み込み、流れる血を一瞬で凍らせていく。肉体の深部までを冷やし、血管を収縮させながら、出血を強引に抑え込んでいく――紫苑にしかできない、極限の「凍結止血」だった。
「保てばいいが…」
あまりの冷たさに師乃が身を震わせながら掠れた声で叫んだ。
「マザーを早く止めるんだ……っ!!」
彼はソラの手を強く押し戻した。支えを失った身体が、再び冷たい床へと沈んでいく。
これ以上、自分を治療するためにソラの時間とエネルギーを奪わせないための、彼なりの拒絶だった。
「師乃さん……」
ソラが立ち尽くす中、賢者様が刀の血を払い、静かに鞘へと収めた。その目は、師乃の覚悟をすべて悟っていた。
「ソラ、行くぞ。」
「でも……賢者様……!」
「師乃が命を懸けて作ってくれた時間じゃ。一秒たりとも無駄にしてはならん」
賢者様の厳しくも優しい言葉に、紫苑が歯を食いしばった。
「……クソっ、行くぞソラ! 師乃の言う通り、一秒も猶予はねえ!」
ソラは、血の海の中で静かに目を閉じる師乃の姿を、その目に焼き付けた。
「……っ、ごめんなさい……! 待ってて下さい。すぐに、すぐにマザーを止めて戻ってきます……!」
ソラたちは涙を拭い、最深部の扉の奥へと一斉に走り出した。
誰もいなくなった暗い廊下。
静寂の中に、遠ざかるソラたちの足音が響く。
取り残された師乃は、薄れゆく意識の中で、ソラたちが去っていった暗闇をただじっと見つめながら、小さく息を吐き出した――。




