第124話 最奥区画
深く、深く、一行は暗い廊下を降りていっていた。
壁を走る極太の発光ケーブルが、生き物の血管のように脈動し、不気味な青白い光で彼らの足元を照らしている。上層階の喧騒が嘘のように、ここには冷徹な静寂だけが満ちていた。
――カツン。
前方の闇から、硬質な足音がした
――ズ、グニャリ。
ソラたちの目の前の空間が、まるで水面に落としたインクのように奇妙に歪んだ。
ソラたちは反射的に身を引く。
「……ッ!?」
ソラが息を呑んだ。空間の裂け目から、ゆっくりと姿を現した男がいた。
「――そこまでだ」
冷徹な声。現れたのは…久世だった。
その背後の暗闇からは、音もなく複数の機械兵が這い出てくる。
久世はソラたちを冷やかな目で見据えると、機械兵の陣営へと歩み寄り、その隣に並び立つ。マザーの機械たちと「共闘」する意思の現れだった。
同時に、ソラは強烈な視線を感じて遥か後方、少し離れた台を見上げた。
暗がりの中に、静かに佇む人影がある。
――師乃だ。
師乃は武器を構えるでもなく、久世に加勢するでもなく、ただそこに立ち尽くしている。
「久世……ッ! 」
ソラが叫ぶが、久世は答えない。ただ静かに右手を掲げた。
「来るぞ!」
紫苑が叫びと同時に、改良型機械兵たちが牙を向いた。
襲い来る機械兵に対し、紫苑は必死に冷気を放つが、
先ほどまで戦っていたものとは明らかに「格」が違っていた。
金属の継ぎ目は限界まで削ぎ落とされ、その四肢の駆動は、まるで本物の人間以上に滑らかで無駄がない。百年前の遺物などではなかった。
「おまえら…」
紫苑が呟く。
「……改良型か」
御影がモニターを見ながら、忌々しげに呟いた。
「この百年で、マザーが新たに作ったものだ。少し使わせてもらっている」
久世が薄く笑った。
「サテライトのAIコアを戻したことで、マザーは俺を管理者として認証した。つまり、ここでは俺が管理する側だ」
久世が手を挙げる。
機械兵たちの赤い瞳が、一斉に紫苑と御影へ向く。
刹那、機械兵が爆発的な速度で地を蹴った。戦闘が始まる。
「このまま一歩も通さない……っ!」
紫苑が鋭く叫び、床に手を突いた。凄まじい絶対零度の冷気が廊下を走り、迫り来る機械兵たちの足元を強固な氷柱となって完璧に封じ込めた。
「よし、このまま押さえる――」
紫苑がそう確信した、次の瞬間だった。
パキパキパキ……!
不快な破裂音が廊下に響き渡る。
凍りついた機械兵の足元から、何かが「変質」をはじめた。
紫苑が放ったはずの氷の結晶が、何かと同期するように異常な変質を起こしたのだ。
氷は機械を縛るのをやめ、逆に廊下の壁と床の鉄板に完全に融解するように張り付き、凄まじい速度で逆流を始めた。
波のように押し寄せる、自らの氷。
「なっ、何だこれ……っ!?」
避ける間もなかった。冷徹な氷の触手が、紫苑の両足の足首から脹脛へと一瞬で這い上がり、床と同化するように強固に固定した。
「動けない……っ!」
紫苑は顔を歪め、自身の意思で氷を解こうとした。だが、能力の制御権が全く身体に返ってこない。それどころか、氷は容赦なく紫苑の体温を奪いながら、さらに太ももへと侵食しようとしていた。
「クソッ、自分の氷なのに……なんで解けないんだ……!?」
「利用されてる」
御影がモニターを叩きながら、焦りの滲む声で言った。
「相手が、お前の能力に干渉してる。出した氷の制御を奪って、逆にこっちを拘束するよう書き換えてやがる」
「そんなことできんのかよ……!」
「ここはマザーの中枢だ。久世が何らかの方法でマザーのシステムを利用してる……俺たちの能力まで解析されてやがる。
お前が氷を出すほど、そのエネルギーは奴らの『檻』としてアップデートされる……戦うほど強くなる構造だ!」
紫苑の息が止まった。
能力を放てば放つほど、自分が、そして仲間が追い詰められる。最大の武器を完全に封じられた瞬間だった。
「なら、俺が内部から――」
御影が戦闘用義手を突き出し、敵のシステムへ強制ハッキングを試みた。モニターに無数のコードが走る。
だが、その一瞬後だった。
ガガッ……!
「が、あぁっ……!?」
御影が苦悶の声を上げ、右腕を押さえて膝をつく。
義手の指先が、まるで自らの意思を持ったかのように不自然な角度でカチカチと痙攣し、完全にロックされた。
「何が、起きたんですか……!?」
「……上書き、された……!」
御影の義手のコントロールパネルが、禍々しい赤色に染まり、見たこともない警告エラーを吐き出し続けている。
「マザーの下位レイヤーじゃない……もっと上だ。管理者権限から直接書き換えられ、こっちのアクセス権ごと奪われた……!」
御影は自分の動かない右腕を凝視した。
それだけではない。乗っ取られた義手から、マザーの電気信号が義手との接続部を通じて、御影の神経系へ侵入を始めていた。
御影の瞳が、恐怖と激痛で初めて小さく見開かれる。
「義手が、使えない……これ以上繋いだら、俺の脳まで焼かれる……っ!」
ガシャン、ガシャン、と正確な足音が近づいてくる。
氷の足枷に囚われ、体温を奪われ続ける紫苑。
自らの半身である義手を奪われ、脳を侵食されかける御影。
二人とも完全に無力化されていた。
「――っ」
一方――
パキィン……!!
空間がガラスのようにひび割れる。久世の空間能力が発動した。
次の瞬間、足元の床の空間が強制的に「反転」し、ソラと賢者様は強烈な目眩と共に体勢を崩され、床に転がされた。
「お前たちの相手は、俺とこの空間だ」
久世の冷酷な視線が、ソラと賢者様を射抜く。
戦場は完全に二つに引き裂かれた。
動けない紫苑と御影に機械兵が迫る中、ソラと賢者様の前では、久世による容赦のない空間の蹂躙が始まっていた。
「死ね」
久世が細い指先をソラに向ける。
刹那、ソラの目の前の空間が「消失」し、真空の刃となってソラの肌を掠めた。
「うああっ!?」
咄嗟に身をよじったが、頬から血が滲む。避けたはずの攻撃が、空間の繋ぎ目を超えて突如として肉体に届く。
――これが久世の能力の恐怖だった。間合いという概念が、彼の前では一切意味を成さない。
「どこを見ている」
久世が再び指を鳴らす。今度はソラの背後の空間が歪み、巨大な鉄塊のトラップが逃げ場のない頭上から突如として転送され、振り下ろされた。
(ダメ、避けられない……!)
ソラが恐怖に身をすくませた、その時だった。
カチッ…
「老兵とて、ただ見ているだけでは退屈でな」
賢者が静かに腰を落とし、刀を構えた。
その瞬間、老人の身体から立ち上る空気の密度が、爆発的に跳ね上がる。
放たれたのは、凄まじい嵐のような【真空波】
ドガアァァァァン――!!!
「何だと……っ!?」
バリバリバリッ……!!!
真空波は、久世が展開した空間の歪みそのものを、圧倒的な質量と速度で「力任せに削り取って」突き進む。
「空間ごと押し切る気か……!?」
防ぎきれないと直感した久世は、咄嗟に自身の身体の空間を強制転移させ、後方へと大きく飛び退いた。
ドンッ!!
久世がさっきまでいた床が派手に爆裂し、一直線に深い斬痕が刻まれる。
「……なるほど。ただの老人ではないな」
着地した久世が、わずかに乱れた衣服を整えながら、冷酷な目をさらに細めた。
「空間をねじ曲げるのがお前の異能なら、それごと叩き切ればよかろう」
賢者様は息一つ乱さず、再び刀を正眼に構え直す。ソラの援助の光が、そのブレードをいっそう強く輝かせた。
「……傲慢な老人が」
久世の顔に、初めて明確な焦燥と怒りが浮かぶ。久世の周囲の空気が、キリキリと音を立てて再び歪み始める。次の一手は、さらに苛烈な空間の嵐になることは間違いなかった。
──シィィン!
空間が割れる音と同時に、賢者様が地を蹴った。
久世は無数の「空間の断層」を盾のように展開するが、ソラの援助を受けた賢者様の真空波は、その断層を真っ向から、力任せに切り裂いて突進する。
「なっ……!?」
防ぎきれない。久世が再び空間転移を試みようとした瞬間、それよりも早く、賢者様の放った目に見えぬ真空の刃が、久世の防壁を突き破ってその身体を捉えた。
ザシュッ……!!!
「ぐあぁっ……!?」
鋭い痛打と共に、久世の肩から胸元にかけて鮮血が飛び散る。空間の支配者として無敗を誇っていた久世が、初めて大きくよろめき、床に膝をついた。
「久世……!」
上層の高台で見つめていた師乃の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
だが、絶望の戦況がすべて覆ったわけではなかった。
久世が賢者様に押し込まれるのと同時に、マザーの改良型機械兵が、動けない紫苑と御影の隙を突いて、背後のソラへと容赦なく迫っていた。




