第123話 中枢前区画③
重力が、上がっていた。
先ほどまでとは“圧”が違う。
空間そのものが、巨大な圧搾機に押し潰されているように軋んでいた。
日和の影から、アウルが顔を覗かせる。
「アウル、この重力……どのくらい続く!?」
「わからないホー。このまま維持するのは難しいホー」
アウルが巨大な機械をじっと見つめる。
「……でも、見えるホー」
「何がだ!?」
「あの機械。装甲の隙間に、コアへ繋がるエネルギーの接続部があるホー」
蓮は歯を食いしばり、右手を前方に突き出した。掌からバチバチと青白いプラズマの雷撃を解き放つ。
しかし――放たれた光軸は、直進しなかった。
凄まじい重力の歪みに文字通り「引っ張られ」不自然に曲がっていく。
ドガァン……!
プラズマは、巨大な重力機械の手前の床を虚しく爆破しただけで、敵の本体には掠りもしなかった。
「くそっ!」
もう一度、今度は出力を上げて放つ。
だが結果は同じだった。強烈な重力波の渦に巻き込まれ、光線はまたしても軌道を曲げられ、届かない。
「プラズマが重力に負けてる……!」
蓮が絶望を噛み締めるように言った。
「関節や内部から壊そうにも、これじゃ攻撃自体が届かねえ……!」
日和は、自らの背後に立つアカルヒメを見上げた。
異形の神像は、少しだけ揺れていた。
相変わらず、その顔には何の表情もない。
けれど、その巨大な半透明の体躯は、押し寄せる超重力の壁に真っ正面から押され、目に見えて軋んでいた。
「アカルヒメ……」
ただ、主である日和を守るためだけに、その両手を掲げて透過する結界を維持し続けている。
だが、その結界の端が、耐えきれないガラスのようにギチギチと歪み、細かな亀裂のような光が走り始めていた。
「限界が近い……」
日和の唇から、乾いた声が漏れる。
「どのくらいだ、日和!」
「……わからない。でも、もう長くは……っ」
ズウゥゥン……!!
地響きと共に、地下の強固な床が数センチメートルほど沈み込んだ。
重力が、さらに一段階上がったのだ。
「が、はっ……!?」
蓮の膝が、限界を迎えてがくりと曲がった。
必死に太腿に力を込め、踏ん張ろうとする。しかし、全身にのしかかる、凄まじい重圧には勝てず、ついに耐えきれなくなって片膝を床についた。
「クソ……立てねえ……っ!」
「蓮……!」
「大丈夫だ!……でも、動けない……っ」
蓮は顔を歪め、押し潰されそうな身体を支えるのが精一杯だった。
日和の腕の中で、クマのぬいぐるみ――ノアが、恐怖に耐えるようにきゅっと小さくなっていた。
「ノア、大丈夫……?」
「重いクマ……」
ノアは日和の胸に顔を埋めながら、それでも消え入りそうな声でしっかりと言った。
「でも、ここにいるクマ……」
「……いてくれて、ありがとう」
「いつも、ずっと一緒にいるクマ」
その小さな温もりが、日和の震える心に微かな熱を灯した。
日和はもう一度、アカルヒメを見た。
結界が、限界を告げるように大きく歪む。
ズシン。
その隙を突くように、前方から巨大な重力機械が容赦なく一歩、前へと進んできた。
機械が踏みしめた床が派手に割れ、蜘蛛の巣のようなひび割れが日和たちの足元まで一気に走る。
「まずい……!」
蓮が顔を強張らせる。
「このままじゃ押し潰される……っ!」
機械が、さらにもう一歩、容赦なく距離を詰めてくる。
空間を支配する超重力が、さらにその圧を増した。
「う、あぁっ……!」
蓮はついに両膝を床につき、四つん這いになるようにして床に手をついた。
彼の身体から漏れ出た青いプラズマの火花が床をチリチリと焦がすが、それらは重力に抑え込まれ、火の粉となって床を這うだけで、前方へ飛び立つことすらできない。
「蓮……!」
「大丈夫だ……」
「大丈夫じゃないっ……!」
「大丈夫だって、言ってるだろ……っ!」
蓮が、髪の隙間から猛烈な執念が宿った目で顔を上げた。
その唇の端は、信じられないことに、不敵に吊り上がっていた。笑っていた。
けれど、その瞳だけは、限界の先にある「何か」を完全に捉えて、寸分もブレていない。
「ここで俺が諦めたら……ソラたちに、どんな顔して合わせりゃいいんだよ……!」
「……私も」
日和は深く息を吸い込み、限界を超えて立ち尽くす我が身の異能へ、すべての意思を込めた。
「アカルヒメ――!」
アカルヒメが、静かに日和を見た。
やはり表情はない。けれど、確かに主の覚悟を受け止めるように、そのガラスのような瞳が僅かに輝いた。
「もう少しだけ……お願い!」
アカルヒメが再び前を向いた。
その巨大な両手が、重力の嵐を押し返す。
張り直された結界は、先ほどよりも一回り以上小さく、薄かった。それでも、守る範囲を二人だけに絞った事で、分散していた力が凝縮され、押し潰されかけていた結界が再び力を取り戻す。
ドンッ……!!
重力の波が跳ね返され、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、前方を進む重力機械の動きがピタリと止まった。
「蓮――!!」
日和が叫ぶ。
「おおおおおっ!!」
蓮は重圧の中で、全身のプラズマを右手の指先に集約させた。
歪む空間の隙間を、刃のように鋭く狂いなくすり抜けるために。細く、細く、どこまでも鋭利な「針」のようにプラズマを極限まで絞り込む。
狙うは、アウルが言っていた、、装甲の隙間に覗くエネルギー接続部。
放たれた極細のプラズマの針は、一瞬だけ生まれた重力の隙間を縫い、一直線に機械の急所へと突き刺さった。
バチチチチッ……!!!
激しい閃光と共に、巨大な機械がガガッと不快な駆動音を立てて硬直した。
次の瞬間、周囲を支配していたあの絶望的な超重力が、フッと嘘のように緩んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
蓮が劇的に軽くなった身体を起こし、激しく息を吐き出す。
震える膝を必死に叱咤し、ゆっくりと床から立ち上がった。生まれたての小鹿のように足元はガクガクと揺れていたが、それでも彼はしっかりと自分の足で立った。
「……止まった、か……?」
「止まったクマ!」
ノアが日和の腕の中でポンと跳ねた。
「よかったクマ……!」
蓮は額の汗を拭い、荒い呼吸を整えながら前方の機械を見据えた。
日和も小さく頷き、消え入りそうなほど薄くなったアカルヒメの影を抱えながら、ようやく安堵の息を漏らそうとした。
――だが、その安堵は一瞬にして打ち砕かれた。
カチ、カチ、カチカチカチカチ――。
沈黙したはずの重力機械の内部から、狂ったようなメトロノームの音が響き始める。
「……にゃっ!? 違うにゃ、止まってないニャ!」
クロエが悲鳴のような声を上げる。
ズウゥゥゥゥン……!!!
焼き切れたはずの回路へ、新たな光が走る。
断たれた配線が、自ら増殖するように伸びていく。
潰れた装甲が蠢き、フレームが変形していく。手や足のようなものがついて、人のような姿へと組み替わっていく。
「……嘘、だろ」
「……再学習、完了」
「――第二形態、起動」
蓮の顔から、完全に血の気が引いた。
「第二形態…」
日和が絶望に目を見張り、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。
さっきの一撃すら、極限の執念で生み出した奇跡だった。
なのに、敵はそれを嘲笑うかのように、新たな姿となって眼前に立っている。
アカルヒメの結界はもう完全に限界を迎えていた。




