第117話 中枢へ向かう電車
ヘリが夢洲のコンクリートヤードに着陸し、ソラたちがその地へ降り立った瞬間、周囲の空気が一変した。
夜の潮の匂い。肌を刺す冷たい風。
だが、違った。決定的に何かが、外の世界の自然とは違っていた。
ソラは、自分の足元を見つめた。
暗闇の中、踏み締めているのは何の変哲もない普通の地面、アスファルトのはずだった。
だが――そのアスファルトの無数のひび割れの隙間から、蛍のような薄青い光が漏れ出していた。
地面の下を、無数のケーブルが走っている。
100年前の大戦時に埋設された巨大な回路網が、いま、完全なる電力を得て「生き返って」いるのだ。
「完全な無人島なのに、電気が通ってやがる……」蓮が嫌悪感を隠さずに呟いた。
「敵が同期させた旧AIコアの電力を、マザーが直接吸い上げて供給してるんだと思います」
紫苑が地面を見つめたまま答える。
「気持ち悪いな、おい。島全体が電子回路かよ」
蓮の言う通りだった。不気味で、悍ましい。なのに、その整然とした光の脈動から、どうしても目を離すことができなかった。
賢者様を先頭に、一行は夢洲の内部、かつての最新技術が詰まっていた島を歩き始めた。
そこは、廃墟だった。だが、ただの廃墟ではなかった。
かつて万博をきっかけに開発された夢洲には、その後も新たな施設が建ち並んだ。今ではそのすべてが、巨大な影となって夜の中に沈んでいる。
壁は崩れ落ち、天井の鉄骨は無惨に剥き出しになり、床には百年近い埃が厚く降り積もっていた。
それなのに――その死に絶えた廃墟の至る所に、眩いばかりの電気が、脈絡なく通っていた。
割れた街灯が、不規則にチカチカと人工的な光を放っている。
崩れかけた商業ビルのエントランスでは、誰も乗っていないエスカレーターが、キィキィと金属音を立てて、ただ虚空に向かって永遠に動き続けていた。
その先には、かつて万博会場を囲んでいた巨大な大屋根リングの残骸があった。
百年の風雨に晒され、その大半は崩れ落ちている。
それでも一部だけが、巨大な骨格のように夜空へ弧を描いていた。
色褪せた多言語の歓迎サイン。
風雨に削られたマスコットの笑顔。
割れたガラスパネルの奥では、未来都市を紹介していたホログラム広告が、ノイズ混じりに断続的な光を瞬かせていた。
『――人類とAIが共に歩む、新時代へ――』
百年前の宣伝映像の音声が、途切れ途切れに再生される。
だがその声は、歓迎というより、墓場から響く亡霊の囁きのように聞こえた。
さらに奥では、天井から吊るされていた各国の旗が、朽ちてボロ布のように垂れ下がっている。
誰もいない。
なのに、この島だけが、今も「未来」を続けようとしていた。
紫苑が不気味に動き続けるエスカレーターを指差して眉をひそめた。
「乗るぞ」
低くぶっきらぼうな声に、全員の足が止まった。
蓮が勢いよく振り返る。
「……カイさん?」
紫苑が自分を指差した。
「俺だ」
「……そうか。ビビらせんなよ、マジでカイさんかと思ったじゃねえか」
「そんなつもりはなかったが……似てたか?」
蓮は一瞬黙って、それから小さく息を吐いた。
「……まあ、いいや。行こうぜ」
ソラは何も言わず、前を向いた。誰も乗せないエスカレーターは、冷酷に動き続けていた。
さらに進むと、かつて島内の各施設を結んでいた無人地下交通網の駅へと行き当たった。
百年前の駅ホーム。当然、乗客など一人もいない。
だが、頭上のスピーカーから、ひどく明瞭な機械の自動音声が響き渡った。
『――次の列車は、二番ホームに参ります。中央管制区画方面行きです。白線の内側にお下がりください』
「誰に向かって言ってんだ、これ……」蓮が腕の毛をさすりながら呟いた。
「……たぶん、最近まで止まってたんです」
ソラが周囲を見回した。
「コアが起動して、また動き始めたんじゃ……」
「百年ぶりにかよ」
蓮の言葉を遮るように、再び美しい女性の声の自動音声が続いた。
『――ご乗車ありがとうございます。終点まで、ごゆっくりお過ごしください』
その瞬間だった。
ガコン――ッ!!
突然、ホーム全体の照明が一斉に青白く点灯した。
百年間沈黙していたはずの線路の奥から、重低音のような振動が響いてくる。
ゴォォォォ……。
暗闇のトンネルの奥。
そこに、二つの白い光が浮かび上がった。
「……おい」
紫苑の声が低く沈む。
「まさか」
次の瞬間、爆風のような風圧と共に、無人列車がホームへと滑り込んできた。
キィィィィィンッ!!
耳障りなブレーキ音を撒き散らしながら停車した車両は、外装の半分以上が朽ち果てていた。
窓ガラスは割れ、内部の座席は腐食し、天井からは無数のケーブルが臓物のように垂れ下がっている。
だが。
車内の照明だけは、不気味なほど正常に点灯していた。
ソラたちはその列車に乗り込んだ。
カタ、カタ、カタ……。
誰もいないはずの車内に、無数の人影が座っていた。
全員が微動だにしない。
顔色は灰色。
目だけが、薄青く光っている。
蓮が息を呑む。
「……なんだ、あれ」
ソラは目を凝らした。
違う。人間じゃない。
皮膚の裂け目から金属骨格が覗いている。
百年前の避難民の死体に、機械が無理やり接続されているのだ。
「生体端末……」
九条の顔が険しく歪む。
「死体を、何らかのシステムに組み込んでいるのか……」
「……なるほどのう」
「何がですか?」
「こやつ、百年間、完全に眠っておったわけではなさそうじゃ」
ソラが目を見開く。
「じゃあ、100年間ずっと……」
「どこぞから、ほんの僅かずつ電力を拝借しておったんじゃろう。まったく、抜け目のない奴じゃ」
ガタン。
列車の扉が、自動で閉じた。
『――夢洲中央管制区画行きです』
女性音声が、穏やかに告げる。
『――皆様を、驚きと感動に満ちた“理想の未来”へご案内いたします』
その瞬間。
車内に座っていた“それら”が、一斉に首をこちらへ向けた。
青白い瞳が、一斉にこちらを向く。
ギギ……ギ……。
百年前に死んだはずの首が、錆びた機械みたいな音を立てて回転していく。
裂けた口元。乾いた皮膚。そこへ埋め込まれた銀色の端子。
人間だったもの。
でも、もう人間ではない。
ノアが小さく震え、日和の服をぎゅっと掴んだ。
クロエが影から半身だけ現れ、低く唸る。
「うわぁ……趣味悪ぃ……」
モモですら顔をしかめた。
だが次の瞬間。
列車内の“全員”が、同時に口を開いた。
『――ようこそ、夢洲へ』
老若男女、何十人もの声が、完全に同じ抑揚で重なる。
『――争いのない世界へ』
『――苦しみのない世界へ』
『――あなた方を歓迎します』
その声は優しかった。
だからこそ、余計に気味が悪い。
ソラの手のひらが、微かに熱を帯びる。
島の奥から、巨大な何かの意識が脈打っているのを感じる。
マザーだ。
この島全体を通して、自分たちを見ている。
まるで巨大な神経網そのものが、侵入者を認識したように。
すると。
賢者様が、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「相変わらずじゃのう」
その声に、ソラがハッと振り返る。
「賢者様……?」
その瞳には、恐怖でも嫌悪でもなく――どこか、遠い過去を見つめるような色が浮かんでいた。
「百年前も、こうやって人を“救済”すると言っておったよ」
「……救済?」
「本人が望んでおるかどうかなど、お構いなしにな」
ギィィィ……。
その時、列車が中央管制区画のホームへ滑り込んだ。
列車内の“それら”が、ゆっくり立ち上がる。
骨の軋む音。
機械の駆動音。
その全てを聞きながら、蓮が乾いた笑みを漏らした。
「……歓迎会にしちゃ、趣味悪すぎだろ」
後に続いてソラたちも列車をおりた。




