第115話 意志
統合作戦司令室の空気は、張り詰めたように重かった。
プツン
自動扉が開く電子音が響いた瞬間、円卓を囲む政府高官や防衛局の上層部、そして壁際に隔離されていた第一部隊の全員が一斉に振り返った。
現れたのは、ソラだった。
その場にいる全員の視線が、一人の少年に注がれる。
ソラは臆することなく歩いた。
室内の青い光を浴びながら部屋の中央、円卓の真正面まで進むと、凛とした佇まいで真っ直ぐに立ち止まった。
「……来たか、ソラ隊員」
醍醐が、その顔を覗き込むようにして声をかけた。
「はい」
「そこに座れ」
「いえ、立ったままで聞きます」
醍醐の言葉が、一瞬だけ止まった。
円卓を睨みつけていた蓮や紫苑も、息を呑んでソラを見つめる。
何かが、昨日までの彼と決定的に違っていた。
「なら、単刀直入に伝える」
政府上層部の一人が、書類を虚空に広げた。
「これ以上の情報漏洩と不確定要素の介入を防ぐため――第一部隊は本日をもって、すべての作戦権限を無期限で停止とする」
その言葉に、猛反発しようと蓮が身を乗り出し、口を開きかけた。
だが、それよりも早く、ソラの静かで澄んだ声が司令室に響いた。
「理由を聞かせてください」
「言うまでもない。絶対的支柱であったカイ隊長が不在。さらに、副隊長である師乃隊員が敵側に回った可能性が極めて高い。仲間を殺した裏切り者を身内から出した部隊など、もはや信用に値しない。これ以上の作戦行動は認められない。分かったな」
「はい、わかりました」
あまりにもあっさりとしたソラの引き下がりに、上層部たちは満足げに頷き、蓮は「ソラ!?」と驚愕の声を上げる。
しかし、ソラは冷徹な大人たちを真っ直ぐに見据えたまま、言葉を続けた。
「でも、僕は夢洲に行きます」
司令室が、水を打ったように静まり返った。
「……聞こえなかったのか?」
上層部が不快そうに眉をひそめる。
「作戦権限を停止すると言っている。命令だ」
「聞こえました。理解もしています」
ソラは一歩、円卓へと近づいた。
「でも、僕は誰かに命令されたから行くんじゃないです。……僕が自分で決めて、行くんです」
「何を馬鹿なことを!」
高官の一人が激昂して立ち上がった。
「明確な命令違反だぞ! 隊長も副隊長も失ったお前たちは、組織としてはもう完全に『戦力外』なんだ!」
ソラは、その激昂する大人を静かに、ただ静かに見つめ返した。
「……そうかもしれません」
誰も予想していなかった、真っ直ぐな肯定だった。
「戦力外で、お荷物で、間違っているのかもしれない。でも、僕は行きます」
「何のために行くというのだ! 独断専行の理由を言え!」
「自分で選んだからです」
ソラの手のひらに、微かな、しかし完全に制御された温かな熱が宿る。
「世界を救うためとか、誰かの仇を討つためとか、そういう大きな話じゃないです。行きたいから行きます。――それだけです」
静寂が、司令室の大人たちを縛り付けた。
ソラの放つ、あまりにも純粋でまっすぐな意志に、誰も言葉を返せない。
その沈黙を破り、最初に動いたのは蓮だった。
壁際の後方席から、ゆっくりと立ち上がる。
「……なら、俺も行く」
蓮はニッと笑い、ソラの隣へと並んだ。「お前を一人で行かせるわけねえだろ」
続いて、紫苑が冷たい壁から完全に背中を離した。
「命令違反の常習犯を、これ以上野放しにはできないからな。俺も付き合う」
「……私も、行きます」
小さな、けれど決して引かない声。日和が、まだ幼いノアをきつく抱きかかえたまま、真っ直ぐな目でソラを見た。彼女の肩口から、影の怪物「クロエ」が静かに現れ、不敵な笑みを浮かべる。
「あは、いいわね」
最後に、モモが腕を組んだまま楽しそうに立ち上がった。
「あたしも行くわ。第三部隊の指揮権は私が持ってるんだから、私がそう判断した。文句ないでしょ?」
円卓の上層部たちが、怒りで顔を真っ赤に染めて声を張り上げた。
「貴様ら、全員連帯責任で命令違反だ……! そもそも隊長不在の第一部隊など、これをもって解体処分と――」
「なら、何の問題もないのう」
部屋の隅、最も暗い影の中から、飄々とした老人の声が響いた。
全員がハッとして振り返る。そこには、一本の古びた木製の杖を突き、白いローブを纏った「賢者様」が、静かに立っていた。
いつからいたのか、その場にいた誰も、九条や醍醐でさえも全く気づいていなかった。
「……賢者殿! いくらあなたでも、それは……」
「隊長がおらんから部隊が動かせんと言うなら、儂がこのガキどもの『隊長』になってやれば済む話じゃろ」
数秒遅れてその言葉の意味が浸透する。
司令室が、今度こそ完全に凍りついた。
誰も、次の言葉が出てこない。
賢者様はコツン、コツンと杖を鳴らしながら、ソラたちの前へと歩み出た。その足取りはゆっくりだが、誰も足止めできない圧倒的な威厳に満ちていた。
「夢洲へ行くのじゃろう?」
賢者様はソラたちを見つめ、不敵に目を細めた。
「なら、最低限の指揮官は必要じゃ。儂が引き受けてやろう」
「ちょ、ちょっと待ってくださいジジイ……あ、いや、賢者様」
蓮が呆然としながら声をかける。
「え、マジで言ってますか?」
「マジじゃよ」
「いや、でも、夢洲ですよ? 何が起こるかわからないっすよ?」
蓮が眉をひそめた。
「 賢者様、本当に行くんですか?」
「そうとも」
賢者様はそう言うと、ソラから預かった「カイの刀」を、静かに床へ突いてみせた。
その瞬間、司令室の空気が僅かに張り詰めた。
あの『人を選ぶ剣』が、主を失ってもなお、老人の手の中では不思議なほど大人しい。
紫苑の目が、わずかに細まる。
「……おい、蓮。」
「な、なんだよ」
「このジジイ、多分、普通じゃねえ」
「今さらかよ……」
蓮が乾いた声を漏らす。
賢者様はそんな二人を見て、どこか愉快そうに笑った。
「カッカッカ。年寄りを舐めるでないわい」
怒り狂う政府上層部は、助けを求めるように醍醐を見た。
「醍醐さん! 何とか言ってください、こんな無法――」
醍醐は賢者様を見つめ、ソラを見つめ、蓮、紫苑、日和、モモの顔を一人ずつゆっくりと見回した。
そして、深く息を吐くと、手元のモニターをバチンと閉じた。
「……私は、何も見ていない」
「醍醐さん!?」
「第一部隊の解体手続きは、これより私が預かる。よって、彼らが夢洲へ向けてどのような『独自行動』をとろうとも、防衛機構としては把握していない。以上だ」
高官たちが今度は九条に視線を向けたが、九条もまた、静かにいう。
「ここから先は、防衛機構の任務ではありません。彼らが勝手に、自分の意志で動くだけです」
「九条隊長まで……!」
「私は記録上、何も見ていません」
九条はそう突っぱねた。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
円卓に、重い沈黙が落ちる。
その沈黙の中、それまで黙っていた伊那世がゆっくりと席を立った。
ソラたちを見渡し、最後にソラへ視線を止める。
「――君たちは、全員、生きて戻りなさい」
ソラは、力強く拳を握りしめ、頷いた。
「はい!」
司令室を出て、作戦ヘリへと向かう長い廊下。
蓮が、賢者様の斜め後ろを歩きながら、怪訝そうな顔で覗き込んだ。
「賢者様、本当に来るんですね」
「そう言ったじゃろ」
「夢洲ですよ? 100年前の世界を滅ぼしかけた『マザー』の本体がある、未知の島ですよ?」
「知っておるわい」
「知ってて、なんでそんなに迷いがないんですか」
「儂が知らんでどうする」
賢者様は前を向いたまま、どこか遠い目をシワの奥に覗かせた。
「儂はな、昔から知っておるんじゃよ。……あそこのことも、あの『マザー』というシステムのこともな」
蓮は、思わず足を止めそうになった。
「賢者様……あんた、本当は何者なんだ?」
「儂か?」
賢者様はフハハと笑った。「ただの、往生際の悪い年寄りじゃよ」
「絶対違う」
「そうかのう」
蓮はもう一度、賢者様の背中を見た。
(……なんだ?)
だが、うまく言葉にならない。
賢者様はそんな蓮の視線に気づいているのかいないのか、ただ静かに前を歩き続けていた。
出発の直前、ヘリのハッチが開くコンテナヤードで、ソラはふと空を見上げた。
大阪の空は、厚い雲に覆われていた。
けれど、その雲の隙間から、ほんの少しだけ、真っ直ぐな光が地上へと差し込み始めていた。
カイさんは、いない。
師乃さんも、ここにはいない。
けれど、自分の後ろにいるのは、誰かに言われて来た仲間じゃない。
みんな、自分で決めてここに来てくれた。
全部を一人で背負う必要なんてない。
今、自分にできることをやればいい。
ソラはヘリのシートに座る仲間たちを見回した。
「――行きましょう」
それは、上層部からの命令ではなかった。
ソラの言葉に、誰も迷わなかった。
蓮が先にヘリへ飛び乗り、紫苑が続き、日和はノアを抱えたまま静かに歩き出す。
モモが肩をすくめながら最後尾につき、賢者様は杖を鳴らしながら、その後を悠然と追った。
自らの意志で、自らの未来を掴むために、彼らは激しいローター音の中へと飛び込んでいった。




