第111話 ひとりの部屋
あれからどうやって機構まで戻ったのか、ソラはよく覚えていなかった。
気がつけば、自分の部屋にいた。
壁のスイッチに触れる気にすらなれず、電気はつけていない。
ソラはベッドの端に浅く腰掛け、膝の上に一本の重い質量を横たえていた。
カイの刀だった。
主を失ったその黒い鞘を、ソラはただ、じっと見つめていた。暗闇に目が慣れるにつれて、刃の冷徹な輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。
窓の外には、いつもと変わらない大阪のきらびやかな夜景が広がっていた。
地上の喧騒も、光の洪水も、昨日までと何も変わらない。
なのに、決定的に何かが違っていた。
――カイさんがいない。
わかっているはずなのに、それだけが現実とは思えなかった。
耳の奥で、あの低くぶっきらぼうな声が、また聞こえた気がした。
『考えるな。俺が責任を取る』
声を返そうとしても、喉が詰まって音にならない。当たり前だった。もう、その声を届けるべき相手はここにいないのだから。
それでも脳裏の残響は、今もすぐ近くにカイが立っているかのような錯覚を呼び起こし、ソラを苦しめる。
ソラは震える手を伸ばし、鞘の上からそっと刀に触れた。
ひんやりとした、硬い金属の感触。
それと同時に、師乃が去り際に、防爆扉の隙間から一瞬だけ振り返ったあの顔がフラッシュバックした。
――ソラと目が合った。
ほんの一瞬だった。
何も言わなかった。
なのに、あの瞳だけがどうしても頭から離れない。
あの冷たい瞳の奥に、一瞬だけ見えた複雑な色が、一体何を意味していたのか。今のソラにはまだ、本当にわからなかった。わからないのに、網膜に張り付いてどうしても離れてくれない。
――じわ、と。
不意に、手のひらが熱を帯びた。
驚いて手元を見たが、刀に触れている左手ではない。何も触れていないはずの、右の手のひらだった。
ソラは右手を目の前に掲げ、そっと指を開いた。
当然、そこには何もない。部屋の暗闇が透けて見えるだけだ。
それなのに、皮膚の裏側が、肉の奥が、カッカと不気味に温かい。
さっきと同じだった。あの深部制御室で、周囲のエネルギーを無差別に吸い込んで暴走した時と、全く同じ感覚。
ソラには何も見えなかった。けれど、目には見えない「何か」が、確かにそこにとどまり、脈打っている。
やはり何も見えない。
しかし、熱だけが確かにそこにある。
――こんな力が、あったのに。
もし自分がもっと早く、この力を使いこなせていたなら。
もし、あの時。
あの白い光を止められていたなら。
「……カイさん」
名前だけが、零れた。
ソラは息を潜め、そのまま熱を帯びた右手を見つめ続けた。
地下で身体に流れ込んだ何かが、ソラの体内で未だ完全には融けきらず、彼の意思とは無関係に、静かに蠢動を続けていた。
それが何を意味するのか、ソラ自身にはまだ、何もわからなかった。
ただ、カイの刀だけが残された部屋で、夜だけが冷酷なほど静かに深まっていった。




