第106話 空白
ソラは、一歩も動けなかった。
制御室が、静かだった。
耳が痛くなるほど、異様な静寂が彼らを取り囲んでいた。
さっきまで、すべてを圧殺するような爆音があった。床を引き裂く地鳴りがあった。建物全体が狂ったように揺れ、白煙が視界を覆っていた。
なのに今は、ただ冷たい空気だけが淀み、不気味なほどに静かだった。
ソラは、霞む視界のままで制御室の中をゆっくりと見回した。
師乃がいた。
彼は端末を握りしめたまま、座り込んで項垂れていた。
久世がいた。
歪んだ笑みを浮かべながら、こちらを見ている。
そして。
その中央にいるはずの人間の姿だけが、どこにもなかった。
ソラの視線が、無意識に部屋の奥を探す。
瓦礫の陰。
砕けた制御卓の向こう。
崩れた床。
違う。
いない。
――カイが、いなかった。
ただ、ひび割れた鉄の床に、一振りの刀が転がっていた。
見間違うはずもない。カイの刀だった。
ソラはその刀を見つめたまま、頭が満足に働かなかった。
思考の歯車が、完全に噛み合わなくなっていた。
「カイさん」
ぽつりと声を漏らした。
当然のように、返事はなかった。
「カイさん」
もう一度、名前を呼んだ。
だが、返ってきたのは冷たい静寂だけだった。
ただ、そこにある、剥き出しの刃を見つめる。
刀だけが、そこに静かに横たわっている。
それをこれまで片時も離さず持っていたはずの、血の通った人間だけが、どこにも存在しなかった。
ソラは刀を見つめたまま動けなくなった。
「……どこにいったんだよ、おい」
紫苑の声は、いつもの冷静さを完全に失っていた。
「転移か……?」
紫苑が、無理やり理屈を探すように呟く。
「いや、だったら刀が残るわけねえだろ……あいつが、自分の刀を置いていくわけがない」
紫苑は狂ったように制御室を見回した。
天井。
壁。
陥没した床。
どこかにいるはずだと、ありもしない答えを探すみたいに。
紫苑の呼吸が乱れる。
「じゃあ……何が起きたって言うんだよ……!」
どれだけ叫んでも、答えはどこからも返ってこなかった。
紫苑は、何かを必死に確かめるように剥き出しのコンクリート壁に両手を強く触れたが、そこには冷たい感触があるだけだった。現実の手がかりは何一つ掴めない。
師乃は、動かなかった。
うつむいたまま、石像のように固まっていた。
いつも毅然と背筋を伸ばしていた師乃の細い肩が、今は痛々しいほどに小さく見えた。
何も言わない。
弁明すらもしなかった。
ソラは声をかけようとして、何も言えなかった。
何を聞けばいいのか、今の自分には全く分からなかった。
制御室には、旧AIコアの不気味な脈動音だけが響いている。
その沈黙を破るように、久世が低く言った。
「消し飛んだか‥‥遅かったな、お前たちは」
ソラが、ゆっくりと久世を見た。
男は笑っていた。すべてを思い通りに動かしたと言わんばかりの、醜く勝ち誇った顔だった。
ソラは、その光景を見つめていた。
主を失った刀だけが、床に落ちている。
師乃はうつむき、
久世だけが、静かに笑っている。
頭の中で、何かが壊れていた。
全部がおかしい。
全部が噛み合わない。
いや。
噛み合わせてはいけない気がした。
「何が……」
ソラは、乾いた唇を震わせた。
「何が、起きたんですか……」
久世は答えず、ただ哀れむように笑みを深めるだけだった。
「カイさんは……」
ソラは声を絞り出す。
「カイさんは…カイさんは、どこにいるんですか……!?」
やはり、答えはなかった。
ソラは、ゆっくりと刀へ手を伸ばした。
震える指先が、鋼の感触に触れる。
冷たい。
両手でもちあげると、ずしりと重かった。
カイが毎日腰に差していた刀。
戦場を駆け抜けてきた刀。
その重さだけが、確かにここにあった。
ソラは息を飲んだ。
いつもなら、少し先を歩いているはずだった。
振り返れば、そこにいるはずだった。
刀はある。
なのに。
カイだけが、いない。




