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Boundary  作者: 楓シロ
106/140

第106話 空白

 ソラは、一歩も動けなかった。


 制御室が、静かだった。

 耳が痛くなるほど、異様な静寂が彼らを取り囲んでいた。


 さっきまで、すべてを圧殺するような爆音があった。床を引き裂く地鳴りがあった。建物全体が狂ったように揺れ、白煙が視界を覆っていた。


 なのに今は、ただ冷たい空気だけが淀み、不気味なほどに静かだった。


 ソラは、霞む視界のままで制御室の中をゆっくりと見回した。


 師乃がいた。

 彼は端末を握りしめたまま、座り込んで項垂れていた。


 久世がいた。

 歪んだ笑みを浮かべながら、こちらを見ている。


 そして。

 その中央にいるはずの人間の姿だけが、どこにもなかった。


ソラの視線が、無意識に部屋の奥を探す。


 瓦礫の陰。

 砕けた制御卓の向こう。

 崩れた床。


 違う。

 いない。


 ――カイが、いなかった。



 ただ、ひび割れた鉄の床に、一振りの刀が転がっていた。

 見間違うはずもない。カイの刀だった。


 ソラはその刀を見つめたまま、頭が満足に働かなかった。

 思考の歯車が、完全に噛み合わなくなっていた。


「カイさん」


 ぽつりと声を漏らした。

 当然のように、返事はなかった。


「カイさん」 


 もう一度、名前を呼んだ。

 だが、返ってきたのは冷たい静寂だけだった。


 ただ、そこにある、剥き出しの刃を見つめる。

 刀だけが、そこに静かに横たわっている。


 それをこれまで片時も離さず持っていたはずの、血の通った人間だけが、どこにも存在しなかった。


 ソラは刀を見つめたまま動けなくなった。


「……どこにいったんだよ、おい」

 紫苑の声は、いつもの冷静さを完全に失っていた。 


「転移か……?」

 紫苑が、無理やり理屈を探すように呟く。

「いや、だったら刀が残るわけねえだろ……あいつが、自分の刀を置いていくわけがない」

 

 紫苑は狂ったように制御室を見回した。


 天井。

 壁。

 陥没した床。


 どこかにいるはずだと、ありもしない答えを探すみたいに。 


 紫苑の呼吸が乱れる。


「じゃあ……何が起きたって言うんだよ……!」


どれだけ叫んでも、答えはどこからも返ってこなかった。

 紫苑は、何かを必死に確かめるように剥き出しのコンクリート壁に両手を強く触れたが、そこには冷たい感触があるだけだった。現実の手がかりは何一つ掴めない。 


 師乃は、動かなかった。

 うつむいたまま、石像のように固まっていた。

 いつも毅然と背筋を伸ばしていた師乃の細い肩が、今は痛々しいほどに小さく見えた。


 何も言わない。

 弁明すらもしなかった。


 ソラは声をかけようとして、何も言えなかった。

 何を聞けばいいのか、今の自分には全く分からなかった。


 制御室には、旧AIコアの不気味な脈動音だけが響いている。 


 その沈黙を破るように、久世が低く言った。


「消し飛んだか‥‥遅かったな、お前たちは」


 ソラが、ゆっくりと久世を見た。

 男は笑っていた。すべてを思い通りに動かしたと言わんばかりの、醜く勝ち誇った顔だった。


ソラは、その光景を見つめていた。


 主を失った刀だけが、床に落ちている。

 師乃はうつむき、

 久世だけが、静かに笑っている。


 頭の中で、何かが壊れていた。

 全部がおかしい。

 全部が噛み合わない。

 いや。

 噛み合わせてはいけない気がした。


「何が……」

 ソラは、乾いた唇を震わせた。

「何が、起きたんですか……」


 久世は答えず、ただ哀れむように笑みを深めるだけだった。


「カイさんは……」

 ソラは声を絞り出す。


「カイさんは…カイさんは、どこにいるんですか……!?」

 やはり、答えはなかった。

 

 ソラは、ゆっくりと刀へ手を伸ばした。

 震える指先が、鋼の感触に触れる。

 冷たい。


 両手でもちあげると、ずしりと重かった。


 カイが毎日腰に差していた刀。

 戦場を駆け抜けてきた刀。

 その重さだけが、確かにここにあった。


 ソラは息を飲んだ。


 いつもなら、少し先を歩いているはずだった。

 振り返れば、そこにいるはずだった。


 刀はある。

 なのに。

 カイだけが、いない。





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