8-9
雨のなか、ソフィアは、稽古場にいた。ひたすら矢を放ち、それに集中することで、心を落ち着けるのだ。
異能研究に反対し、人望もあった青髭の死。それは異能推進派に勢いを与える要因になってしまうだろう。
戦闘後の後処理くらい、うまくできないのか―ソフィアは嘲るように微笑む。
戦闘では《業火》がいなければ何もできない。青髭を倒せたのも、あの耳の長い少女のおかげ。戦闘後の後処理さえ、後手に回っている。
―わたしは無力だ
強力な力があれば―ぽつりとつぶやくと、ソフィアの脳裏に青髭の顔が浮かぶ。強大な力に取り付かれた一人の無力な男。
ーわたしは、彼がなぜ異能に傾倒したのかも聞かなかった。彼の隠された心を知ろうともしなかった
青髭を殺さず、飼い殺しにする形で泳がせればよかったのではないだろうか。後悔の念が浮かぶが手遅れだ。その正体(異能に傾倒している)を隠したまま、政治的に利用すれば良かったではないか(異能反対派の神輿として)。
―異能推進派を殺し、規制を続けるのは、もう限界ではないのか?
ソフィアは血が滴るほどに唇を噛み締める。余計な考えを振り払うべく、弓を構える。そして、無理やり思考する。
―どうすれば、異能を濫用したいという欲望を制御できる?
ソフィアは、屋根の下、雨を避けながら、弓を引く。矢は、的を外れ、近くの地面に突き刺さる。
―冷徹な女帝であれ。私は、冷血な王なのだと強く意識しろ! 余計なことは考えるな!
ソフィアは、頭を振る。淡い金色だった髪の毛には、白髪が混じりはじめていた。
―もう嫌だ……なぜ、わたしが戦わないといけない? こんなにも無力なのに……もう家に帰りたい…… かあさん……
ソフィアは、アイスブルーの瞳を、ぎゅっと閉じる。呼吸を整えろ、弱さを押し殺せ―
『弱さは、押し殺せないよ』
雨音のなか、妙にハッキリと声が聴こえる。鈴が鳴るような、透き通った低い声。
ソフィアは、ハッとし、周囲を見る。
―あの声は、前王の側近であり、最強の異能者と言われた《天恩》のもの。わたしが、完全に葬ったはず
森の奥に、ぼんやりと、《天恩》の影が見える。小柄な体に、大きな羽根。純白の髪の毛に、髭のない中性的な顔。間違いない、あれは《天恩》だ。
大天使と評されたほどで、確かにその姿は、本物の天使にしか見えない。
『悩みごとかい? 君らしいな』
《天恩》が話しかけて来る。ソフィアには、それが幻想だと分かる。だが、声は消えない。
ソフィアは、《天恩》が血を吐いて死ぬのも見た。死体も燃やした。だからこそ、吐き捨てるように、
「死人が……ぺらぺらと」
『君が呼んだんじゃないか? 弱さを無理やり押し殺そうとして、心がパンクした。そして、天使を呼び出してしまった。皮肉だな』
「弱さを押し殺さないなら……どうしろってと言うの!」
ソフィアは、大声で怒鳴り、屋根から出る。雨が全身を濡らし、ずぶぬれになる。
『弱さは、いつも君と共にある』
《天恩》は、噛んで含めるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「違う!」
涙も鼻水も、一瞬で雨に流されてしまう。
『君も、《業火》を使ってみたいんじゃないのか? ずっといじめられてきたんだろ、王家の者たちに。義理の両親に、侍女に、騎士に』
《天恩》の声に、ソフィアは呆然とする。誰にも打ち明けなかった秘密。両親にさえも、心配をさせまいとして、手紙には書かなかった。でも、見抜かれていたのか?
―強大な力があれば、あいつらを殺せるのに、と何度思ったことか。それを見抜かれていたのか?
全身を掻きむしるような恥ずかしさで、ソフィアは、震える。
『《業火》があれば、誰も、君に腐ったパンを出したりしない』
《天恩》の声は虚空を漂い、ソフィアは、天に矢を向ける。
ふと、母から送られてきた手紙の一文が浮かぶ。
ご飯を食べているか心配です。本当は食べていないんじゃないですか? それに、あなたのことを受け止めてくれる人が居るかも心配です。使者を送りました。そこで事実を確認し―
『本当は、《業火》に抱いてほしいんじゃないか? あの逞しい腕のなかで眠りたいんだろう? 何もかもを捨てて、彼と一緒になりたいのだろう? すべて、お見通しだ』
ソフィアの脳裏に、《業火》が自室へ初めて来たときのことを思い出す。
―お前があそこで来なければ、わたしは哀れな王太子妃として、生涯を終えていた。お前が……いや、あなたがわたしを救ってくれた。あなただけが……
ソフィアは、記憶を振り払うように頭を振り、
「黙れ……!」
怒鳴り、矢を放つ。
ひゅん、と乾いた音がし、頬を何かが掠る。ハッと、頬を触ると、空に放った矢が、落ち、自分の頬を切り裂いていた。
『がっかりさせるなよ……君は、僕を殺したんだ。青髭なんて、比較にならないほどの、本当の《加護》を持つ僕をね。それが……いまはどうだ』
頬から暖かい血が流れ、どくどくと脈打つ。ソフィアは、自分が生きている、という事実を強烈に感じた。
―冷血、冷徹、そんな風に自分を規定しても、自分は生身の人間でしかない
空に矢を放てば、どうなるか、それすら分からないほどに乱心していたのだ。
『弱さを無理やり押し殺そうとするからだ』
ソフィアは、頬を押さえ、屋根へと向かう。まるで血の涙を流しているかのような、形相に、侍女が尻もちをつく。
「どうすれば……良いの」
『弱さがあることを認め、それを飼いならす。もし、飼いならせず、暴れた時、どうするかそれを突き詰める。そんなところかな』
《天恩》は、きわめて明るい声で笑う。
ソフィアは、ふと青髭のことを思い出していた。
―わたしは、彼がなぜ異能に傾倒したかも聞かなかった。彼の「弱さ」が何かを知らぬまま、殺してしまった。何を失い、何を欲していたのかもしらなかった
『なんにせよ、君の未来は、棘道だ。せいぜい苦しんでね』
ソフィアは、目を細め、森や虚空を見る。幻影は、もういなかった。だが、《天恩》がいた場所には、あるものが見えた。血にまみれた棘の道―それは、自分が進む先にあるかもしれない未来
「そうか……そういうことか」
ソフィアは、ひとりうなずく。
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