66話
チユキは、《迅刀》を見下ろしていた。男は、怯え、震えている。
―そうだ、それで良い。殺される恐怖を思いしれ
チユキは、刀を鞘へ仕舞う。鯉口が、ちん、と涼しい音を鳴らす。その際に、体外に熱を射出。炎のように、チユキと《迅刀》を包む。
地獄の業火に包まれたかのような、凄まじい熱気。
《迅刀》の瞳が恐怖で丸くなる。
―こいつは、私の大切な人を傷つけた。生かしてはおけない
だが、同時に思う。こいつを殺せば、ソーニャが目指した世界は遠のいてしまう。ガクが実現しようとした世界は消えてしまう。
分断がなぜ発生したのか、分断は誰が何のためにあおっているのか、それを知らなければならない。
―それでも、それでもだ
殺したら、もう二度と、生き返らせることは出来ない―冷静な声がどこかで聞こえる。
でも許せない。どうしても許せない
殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、ころし―
チユキは、喉も裂けよ、と絶叫。唾を吐き、獣のように唸る。そして、刃を引き抜き―
ふと、大切な人の声が聴こえた気がした―はっきりとした輪郭。ほのかな花の匂い。温かい感触。
抜いた刀は、《迅刀》の首筋に触れ、動きを止めていた。そして、生きているかのように震えていた。
「あ……ああ」
チユキの腕は、誰かに抑えられている。チユキは、喉から、絞り出すように、呻き声を上げる。
「もう……良いんだよ」
ガクが、チユキの手を抑え、ゆっくりと下ろそうとする。
「う……ぐぁ」
チユキが、喉から、掠れた、それでいて湿った声を上げる。
「こっ……殺せなかった」
チユキの目から涙が零れていく。
「殺さなかったわけじゃない……わたし……選べなかった」
「選んだよ。選んでいるよ、チユキは」
ガクは、チユキの手から刀を引きはがす。刀からは、ぽろぽろと水が伝い、地面に流れていく。
「あたし……あたし……」
「それで良いんだ」
ガクは、チユキを抱きしめる。チユキは、童女のように、むせび泣いた。
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