86
今朝の出来事には、流石のエレンも怒りを禁じえなかった。
日野森家で保護(監禁)していた北條ミツキは、目を覚ますとすぐに脱走を試みた。
しかし、ソウの能力により『目に映る人すべてが日野森エレンに見える』ように誤認されたミツキは、脱走して10秒足らずで再び失神することになった。
そのせいで、ミツキを回収しようとしたエレンは、ご近所さんから奇異の視線に晒され、朝からメンタルをガリガリ削られる羽目になった。
「――いや、本当にごめん。脱走をさせないようにと思って念のため仕込んでおいたんだけど、そんなことになるとは思わなくて」
今日は午前中にエレンの家で斉木シュウジのSV化を防ぐための作戦会議をする予定だった。
だが、ミツキの一件もあり、ソウの謝罪から幕を開けることになった。
珍しく怒りを露わにするエレンに、ソウはひたすら平謝りを続けていた。
その様子を見ていたマヤは、「うわあ、その現場見たかったー」と悔しげに言いながらエレンの方に目を向ける。
「でもさあ、エレン? そのおかげであの子を逃がさずに済んだんだから、ある意味諌山君のファインプレーだったんじゃない?」
「ま、まあ、そうかもしれませんが……。いえ、そもそも、あの子が逃げられないように手足を縛っておけば良かったのでは?」
「いや、無理でしょ。あの子、ああ見えて鉄の鎖でも余裕で引き千切れるみたいだし。パンピーのうちらじゃ、あの子を拘束しておく設備なんて揃えられっこないもん」
現実的な回答。
でも、やっぱり納得いかない。
「それにしたって、他に方法があったんじゃ……。大体、どうしてミツキさんにあんな暗示を掛けたんですか?」
「え? いや、だってなあ?」ソウが同意を求めるようにマヤを見る。
「あーね。確かにあれはミツキちゃんには効果覿面だったんじゃない? ねえ、メイちゃん?」
「そうですね。彼女、日野森さんのこと、本気で怖がっていましたから」
「……納得いかないです」
エレンとしては不満たらたらだったが、それ以上、駄々を捏ねている訳にもいかず、一旦、その話は切り上げることにした。
「――でも、何事もなくて良かったです。いくら彼女が戦意を喪失していたからと言っても、日野森さん一人に任せてしまって、少し心配だったので」
「メイさん、ありがとう。でも、大丈夫ですよ。私もそのあたりは気を付ける様にしていたので」
「そうなんですか?」
「はい」エレンはそう頷くと、胸を張って答える。「ミツキさんには、ちゃんとご両親に友達の家に泊まると伝えてもらいましから」
「いや、そこじゃねえだろ!」
「うわっ、びっくりした! どうしたんですか、諌山君? いきなり大声上げて」
「そりゃ、声も上げたくなるわ。え、何? 何で君は、捕虜に電話なんかさせてんの?」
「え、だって、娘が連絡もなく帰って来なかったら心配するかと思って……」
あれ? 何か私、おかしなこと言ってる?
知り合いが急に家に泊まりに来たら、相手のお宅に一報入れておくものだと思ったんだけど……。
「いや、うん……。まあ、普通はそうなんだけどね。何か違うんだよなあ」疲れた様子でソウが言う。
「あの、日野森さん?」頭を抱えるソウの隣にメイが手を挙げる。「日野森さんが気を付けていたっていうのは、寝込みを襲われるとか、そういうことに注意していたってことじゃないんですか?」
「あ……」
確かにメイさんの言う通り、そういう可能性もあったのか……。
でも、果たして今のミツキさんがそんなことをするのだろうか?
「それはないっしょ。だってほら?」そう言ってマヤが部屋の片隅を指差す。
そこには借りて来た猫のように膝を抱えて丸くなっているミツキの姿があった。
「……完全に牙を抜かれてますね」
「っていうか、昨日より症状悪化してね?」
「あーね。このままイレイザーズとしての記憶を消しても、元の人格にも影響が出そうな気がする。トラウマ的に」
深刻なPTSD。
全員が同情するような視線をミツキに送った。
◆
「とりあえず、あのイレイザーズのことは置いといてだ。明後日のことについて話をしようか」
ソウの言葉を聞いて、ピタリとマヤが口を閉じる。明後日、それは前回のループでエレンがマヤの弟のシュウジを助けた日。つまりシュウジがイレイザーズになる日を示している。もっとも、その件に付いては、先日からすでに話し合いが持たれていた。
「とりま、明後日はうちがシュウ君を家から出ないようにしておけばいいんでしょ?」
「うん。あと日野森さんにも斉木さんの家で居てもらうことにする」
「イレイザーズ化したお姉様の弟さんを押さえるためですね?」
「そうだ。俺とメイも斉木さんの家の近くで待機しておくけど、出来れば出番がない方が望ましい。この日は、今までと違って三名のSVの出現が予想される。だから、日野森さんと斉木さんには、速やかにシュウジ君からイレイザーズの記憶を消してもらいたい」
「りょ……、って簡単に言いたいとこだけどさ? ぶっちゃけ、結構きついかも。トリプルヘッダーとかちょっと自信ないかも」
「まあ、無理にとは言わないよ。明後日の最大の目標はシュウジ君のイレイザーズ化を阻止することだからね。最悪、後の二人のことはどうでもいい」
「うわ、ちょっとドライじゃね?」
「いやだってさ。君らから聞いた話が本当なら、残りの二人って、シュウジ君を誘拐しようとした人たちなんだろ? 正直、助けてやる義理なんてなくないか?」
シュウジの言うこともっともだ。
それでも、助けられるなら、助けたいと思った。
エレンがそう言うと、みんな理解を示してくれた。
「あの、一つ問題があるんですが……」話がまとまりかけた時、メイが言った。「私たちが、弟さんを助けに出ている間、あの人のことはどうするんですか?」
メイの指差す先。
部屋の隅で未だに膝を抱えているミツキに全員の視線が向く。
「……どうせなら、あの子にも手伝ってもらおうか?」
「え、マジで言ってる?」
「マジマジ」マヤはそう答えると、エレンを連れてミツキの傍に歩み寄る。「ミーツキちゃん? ちょっと、うちのお願い聞いてくれる?」
マヤに呼ばれて顔を上げたミツキは、洞のような瞳にエレンの姿を映し出す。
すると、歯をカチカチと鳴らせて、ヘドバンよろしく何度も首を縦に振った。
彼女に選択の余地はなかった。
◆
翌日の朝。
シュウジが泊まりがけで遊びに行ってしまったとマヤから連絡が入った。




