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気が付けば、シュウジが視界から姿を消していた。
その直後、エレンの右脇腹を強い衝撃が襲った。
「うっ!」
おそらくは左ジャブ。いつ撃ち込まれたのかも分からないその拳は、シュウジと同じSVだった渡良瀬の攻撃より遥かに強烈なものだった。この世界に転生してから受けた攻撃の中でも間違いなく最大の衝撃。エレンは思わず苦悶に顔を歪めた。
「参ったな。常人なら今の一発でお陀仏のはずなのに……」自分の拳とエレンと交互に見比べシュウジが言う。「だったら、これはどう?」
再び、シュウジの姿が視界から消える。
そのときには、背後に感じた怖気にエレンは身を深く屈めていた。
頭上で聞こえる空を裂く音。舞い上がった髪が風圧で激しく揺れるのを感じながら、這うようにしてその場を離脱。それでもシュウジの姿は視界から外さない。
外さないつもりだった。
だが、気が付けば、シュウジはいつもエレンの視界から姿を消していた。
研ぎ澄まされた五感を総動員して、エレンはシュウジの移動先を知覚し続けた。
微かな空気の流れ、衣擦れの音、倉庫に差し込む月明りの加減、この場を構成する情報を貪欲に取り込み処理するその作業の連続は、エレンの脳に多大な負担を強いて行く。
「え、待って。これ、何が起きてるの?」
ただでさえ視界が利かない夜の倉庫の中、瞬きをする間に繰り広げられる攻防にマヤが狼狽えた声を上げている。
その声を聞きながら、超人二人の戦闘は更に激しさを増して行く。倉庫を内から食い破らんばかりの激しい攻防。エレンとシュウジが衝突する度に積み上げられた荷物が紙屑のように舞い上がった。
やがて、都度、十二回の交錯を終えると、ようやくシュウジが距離を取るように元いた位置に戻った。
それを見て、エレンがほっと息を吐す。
「すごいっすね。あれだけ攻撃して一発しか当てられないなんて……。あんた、本当に人間?」
「その言葉、そっくりそのままお返しします」
これまで遭遇したSVは、いずれも特異な能力は持っていたが、身体能力はエレンに分があった。
だが、シュウジは違う。エレンに勝るとも劣らない身体能力を持ち、更には瞬時に場所を移動する不可解な能力まで備えている。表情に出ないだけで、内心では冷や冷やものだった。
それに、さっきから感じているこの違和感は何?
シュウジと戦っている間、エレンの中で何かがズレているような感覚があった。
まるでシュウジではない何かと戦っているようなそんな違和感。
それは、衝突を繰り返すたびに大きくなっていた。
ただでさえ、手に負えない相手だっていうのに……。
これじゃあ、シュウジ君を元に戻すなんて悠長なこと言っていられないかも。
ミツキはさっきの一発でお腹を押さえたまま蹲っているし、マヤは今何が起きていたのか理解さえ出来ていないはずだ。エレンが真剣に撤退を検討していると、シュウジが口を開く。
「そういえば、エレンさんって転生者なんだっけ?」
「ええ、まあ……」
「ふーん。やっぱり、関係しているのかなあ……」
「関係って、何のことですか?」
「この世界の異変にだよ。エレンさんが現れてからこの世界には、おかしなことばかりが起きている。例えば前回のループ。すべてのSVが機能不全に陥るだなんて、これまで一度もなかったことだ」
「え、でもそれって私の所為なんですか?」変な言いがかりをつけられても困ると、エレンは不服そうに尋ねる。
「どうすかね? でも、無関係とは思えないんだよなあ」シュウジはそう言うと、両手を腰に当てて息を吐く。「それに、今回のループは、本来あるべきものが無くなっているみたいだし」
「本来あるべきものって?」マヤが尋ねる。
「さあ? そこまでは分からないよ。多分、他のSVも姉ちゃんたちも気付いていないだろうし、俺も何となく違和感があるっていう程度のものだから……」
その言葉を聞いて、エレンとマヤは目を合わせる。
シュウジの言う本来あるべきもの。
それは、きっと今回のループをきっかけに姿を消したエレンの姉――日野森カレンだ。
まさか、ここで彼女の名前が出て来るとは思わなかった。
「これでもし、ループからの脱出者でも出した日には、俺たちSV全員の首が飛びかねないよ。まったく、本当に――」
「え、ちょ、ちょっと待って!」シュウジの話を遮り、マヤが声を上げる。「シュウちゃん、今、何て言ったの?」
「ん? だから、ループからの脱出者でも出した日には、俺たちSV全員の首が飛びかねないって」
「それって……、このループから脱出方法があるって言っているように聞こえるんだけど?」
「え? そりゃ、あるよ」あっさりとシュウジが答える。
「なっ!?」
シュウジの言葉に、エレンもマヤも、そしてミツキも驚愕の表情を浮かべる。
「シュウちゃん、教えて。どうしたら、このループから抜け出せるの?」
「いくら姉ちゃんでも、それは教えられないかな。これでも俺たちイレイザーズは、この世界を守るために存在しているわけだから」シュウジはそう言うと、準備運動のように足首をグルグル回す。「そのためにも、今は目の前の異分子をどうにかしないと」
「異分子って、うちらのこと?」
「他にいないだろ?」
こともなげにそう言ったシュウジに、マヤの肩が小さく震えるのが見えた。
無理もない。あれだけ愛してやまなかった弟にそんなことを言われたら、傷つかないわけがない。
「そ、そう……」
マヤの口から出たとは思えない弱々しい声音に、エレンは頭の中が異様に静かになって行くのを感じた。
「じゃあ、そろそろ再開しようか――」
そう言って、シュウジが姿を消す。
そして、
「――あれ?」
マヤを襲おうとしていたシュウジの拳をエレンがあっさり掴んでいた。
ここまで繰り返した衝突で、エレンはシュウジの攻撃を躱すのが精一杯だったのにだ。
シュウジの顔にも驚愕が浮かんでいる。
その顔が唐突にブレる。
エレンが掴んだ腕を力任せに振り回したのだ。
気が付けば、シュウジの体がコンクリートの土間に叩き付けられていた。
その衝撃で、土間が大きく陥没する。
そこにシュウジの体がめり込み、雪崩を起こす様にして積み上げられていた荷物が降り注いだ。
暗い倉庫の中に濛々と煙が舞い上がり、最後に砕けたコンクリートがコツーンと間抜けな音を鳴らした。
その音に、「……あ」と、エレンが我に返る。
突然の出来事に、マヤもミツキも口を閉ざしたまま固まっている。
ここまでするつもりのなかったエレンは、怖くてマヤの顔が見られずにいた。
……嘘。どうしよう。死んじゃったかも。
エレンが顔を真っ青にしていると、砕けたコンクリートと荷物の山からシュウジが立ち上がった。
「信じ、らんねえ。あの声も聞かずに、自力で能力拡張するなんて……」
それだけ言って、シュウジは大の字になって倒れた。




