第53話 リトのもとへ
「おじいさん、教えてください。リトはどこへ?」
「今から追ったところで、獣の足であっても間に合いはすまい」
「お願いです。もう一度、会って話したい」
老人には躊躇いがあった。孫娘が儀式をやり遂げるまで、いくばくか時間はある。しかし、もしあの子の決心が揺らぐようなことがあれば、失われるものの大きさは計り知れない。
儀式を取りやめ、いっとき彼女をつなぎとめたとしても、すぐにやってくる未来が、同じ結末をもたらすだろう。
目の前にいる少年は、嵐にのってやってきたと言う。孫娘のために。よくも、そんな些細な願いで嵐に嫌われなかったものだ。奇跡としか言いようがない。
「奇跡、か……」
そう口にして、老人は改めて孫娘を想った。
「あの子を送り出すとき、じゅうぶんに気持ちを伝えられたじゃろうか……」
「おじいさん?」
「しきたり、失われる命の数、かりそめの礼。家族としてではなく、どこか他人のように接しておったのかもしれんのぅ。長たる者はこうあるべき、と……」
そうつぶやいたのち、老人はまじまじと少年の顔を見た。なんと幼い。
「あの子も、そなたとたいしてかわらぬ年のころか。背負ってもらわねばならん。けれど、わがままのひとつも聞いてやればよかった……」
「おじいさん。あなたのしたかったことは――僕がやります」
少年の力強い声に、老人の目から涙がこぼれた。
「ありがとうよ、お若いの。あの子はきっとやり遂げるじゃろう。だがその前に、どうかあたたかい気持ちにしてやっておくれ」
「はい、必ず」
ヒウノが頷くと、老人はすがるように少年の手を強く握りしめた。
*
「あそこに泉が見えるじゃろう」
少年を連れ立って集落をあとにした老人が、眼下を指して言った。わずかに残った木々が青い円を囲んでいる。そこへ至る道のりには、切り立った崖の数々と滝のように流れ落ちる白い砂が見えた。人の往来によってできたのであろう細い道が、途切れ途切れに続いている。
「リトはあの泉に?」
「あぁ。数人の従者を伴って、儀式のためにな」
「願いを叶えるための儀式……。おじいさん、案内をありがとうございました。僕は行きます」
「気をつけてな。そなたは、生きなければいけないよ」
「――はい」
生きるのなら彼女も一緒に。
そう伝えたい気持ちをおさえて、ヒウノは地を蹴りすばらしいはやさで駆け出した。
泉の姿はどこからでも見える。今のところ、なにかが始まった様子はない。けれどもまだまだ距離があり、少女の姿を捉えることはできなかった。
踏みならされた道は泉へまっすぐに向かっておらず、比較的なだらかなほうへとのびている。思い切り走れるものの、遠回りをしているようで、少年にはもどかしい。
(こうしている今にも、儀式が始まってしまうかもしれない)
そう思った矢先、泉に変化が起こった。
少年は目を凝らした。泉の中ほどに、灰色をしたなにかが立っている。それを中心として水面に波紋が広がり、周囲の木々がさざめき始めた。
きっと、少女が儀式を始めたのだ。ヒウノはそう直観した。
このままでは間に合わない。
少年は道のかたわらを見やった。ほんのわずかでも道を逸れればすぐに崖だ。飛び降りて無事に済む高さではない。
けれど、巨大樹の森で育った少年にとって物の数ではなかった。
『ヒウノは、高いところは平気よね』
中央大陸の森での出来事が蘇る。
平気だよ。心の中でそう呟いたのち、少年は一切の躊躇いなく宙へと身を投げた。
第53話 終
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