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森のヒウノと空のリト (全70話)  作者: このはりと
第3章 旅のおわり
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第54話 大樹に願う

 滝のように流れ落ちる砂のすぐ横を、少年が落下してゆく。目はまっすぐに眼下に向かい、その表情にはいささかも恐れは見られない。少年を受け止める先には、砂の大地が広がっている。

 着地の衝撃で砂が高く舞い上がる。

 砂の中から少年は勢いよく飛び出した。足場の悪さをまったく感じさせず、すばらしいはやさで駆けてゆく。

 高低差のあるいくつもの崖をものともしないそのさまは、さながら獣を思わせる。実際、着地ののち両手も使って体を運んでいた。四足で歩く動物そのものだった。


(リト――!)


 ヒウノは心の中で、少女の名を叫んだ。



 *



 少年がひた走っているころ、少女は泉の端に佇んでいた。

 旅立ちのときと同じく、真白なひとつなぎの衣服を身に纏っている。雲間からわずかに見える空は青く澄んでいた。見上げた少女が、ふっと息を吐く。


(まるで檻ね。夜だけは、きれいな空が見られるのに……)


 儀式の付き添いにやってきた老人から声がかかった。やがて少女にやってくる未来を知りつつ、『始めなさい』と短く告げる。

 少女は一瞥し、すぐに視線を正面に戻した。


(ごめんなさい。あなたたちが思うとおりにはならないの)


 少女の白いつまさきが、水面にひとつ、輪を生み出す。ひとつ、またひとつと波紋が広がり、消えてゆく。

 少女の密やかな歩みの先に、灰色の肌をした樹木が見える。


(お前の役目は今日でおしまい。もう、誰かの願いを聞き、叶えることもない)


 泉を囲む木々がさざめいたかと思うと、突風が吹き抜けた。風にさらわれる髪をおさえ、少女は苦笑した。


(……嫌な風。決心を鈍らせようだなんて)


 やがて彼女は、泉の中ほどに立つ樹の前にたどり着いた。

 樹幹を見上げて、まばたきをする。手を伸ばしてもその頂には到底届きそうにない。けれど、少女は思った。


(大地で目にした木々は、それはそれは背が高かったわ。天を衝くほどに。お前がこんなにも背が低かったなんて、初めて知った。葉は一枚もないし、瘦せていて、みすぼらしい)


 腰の後ろにたずさえた小刀を鞘から抜き、左手中指の腹を浅く刺す。当然のことだが痛みが走った。血は指を伝って流れ落ち、手のひらに細い線を描く。


(なんだか可哀想。本当ならもっと日の光を浴びて、深く根をおろし、葉を茂らせることもできただろうに……。ときどき誰かが様子を見に来て、成長を見守ってくれる、そんな木になれたらよかったのに)


 血の滴る手を、そっと木皮にあてた。


(ごめんなさい。それでもわたしは、お前の成長を願ってあげられないの。だから、これで許してね……)


 鮮赤が、灰の肌に溶け込んでゆく。幹が鈍く脈を打ち始めた。


「いと古き、大樹に願う。穢《けが》れたこの身をもって、我の願いを叶えたまえ」


 赤黒く染まった木肌は、血の通った生き物のような熱を帯びていた。樹上から青白く光る二本の細枝が、少女へ向かって伸びてくる。少女の手首を絡め取り、体を宙へ持ち上げてゆく。少女はなんら抵抗しなかった。耳障りな音を立て、左右に広がる枝がゆっくりと内側を向く。まるで少女の体を掴まんとするようだ。


(守り刀はもうないから。血肉のすべてをお前にあげる。それから、長いあいだ疲れたでしょう。もう、お前に願う者はあらわれないからね――けっして)


 両指の数の樹枝《じゅし》が、その柔らかな体側《たいそく》を刺し貫こうと迫る。

 少女はゆっくりと瞳を閉じて、天を仰いだ。

 あと少しすれば、穏やかな眠りのときがくる。もう誰かを傷つけることもない。そう思うと、心に安堵が満ちてくるのがわかった。

 さあ、はやく。いつまでだって待つわ。少女はゆるやかな時間の流れを感じていた。

 そのとき、だしぬけに静寂を打ち破る音がして、少女の心を無理やりに呼び戻した。ハッと目を見開く。まだ生きている。

 音のしたほうに目をやると、激しい勢いで飛び散った水滴が、高い壁をなしているのが見えた。集落の者が儀式を妨げるわけがない。いったいなにが起こったのか。


「……よかった」


 声がした。

 少女はどきりとする。冷たい手に心臓を撫でられたかのような、形容しがたい怖気が全身を駆け抜けた。

 視線の先にいる人物を認め、少女はいやいやと首を振る。

 信じられない――いや、信じたくない。


「どうして、ここにいるの――」


 少女の見つめる先に、ひとりの少年の姿があった。



 第54話 終

本話をお読みくださり、ありがとうございました。

もしよろしければ、つづきをお楽しみくださいませ。

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