第45話 隠していた名
異変を感じて目を覚ましたヒウノがユユエのもとにやってきたとき、すでに少女の姿はなかった。なにも言わずに佇むユユエに少年は問うた。
「リトはどこです?」
「去った」
女性は短く答えた。
「ここがリトの故郷のはずです。他に行くところなんて。だって彼女の名前は――」
「リリーシエの名が『セラフェイオン』と思ったのだな」
「はい。……けれど、違うのですね」
「ああ。私がレレンの名を偽ったからだろう。リリーシエはそれに気づき、嘘を通そうとした」
ヒウノは少女が嘘をついているのを知っていた。彼女には、心を痛めながらも、嘘をつかなければならない事情があるのだと察していた。これまで問い詰めはしなかった。話してくれるのを待つ、そう約束したのだから。しかし、その約束は果たされないまま、彼女はいなくなってしまった。
「私たちの名には決まりがある」
「決まり?」
「そうだ。私の名は、メナ・ユユエ・セラフェイオン。セラフェイオンに生まれ落ちた、メナ族のユユエ」
そういえば、とヒウノは少女の言葉を思い出す。
「初めて西大陸にたどり着いたとき、リトは『メナの者に呼ばれた』と言っていました。あれは、部族の名前を指していたんですね」
少年ははたと気づいた。ユユエはヒウノの考えを肯定するように静かに頷く。
「じゃあ、僕が呼んでいたのは彼女の名前でなく、部族の名前だった……。だから、あなたも翁も、あのおばあさんも、『リリーシエ』と呼んでいた。どうして正してくれなかったんだろう……」
「リリーシエがそなたを正さなかったのは、知られたくないことがあったからだ」
「知られたくないこと。それは……名前の決まりに?」
ユユエはほんの少しだけ、驚きに目を見開いた。そしてすぐに、やわらかく目を細めた。「そうか」とひとり何かに納得した様子でいる。
「そなたは思いやりのある子だな。おおよそ、察していたのだろう。それでも、リリーシエに変わらず接していた」
「もし、僕の推測どおりだとしても、彼女がしてくれたことに嘘はありませんから」
「みながそなたのようにあれば、リトの者たちは雲の檻から出られるのかもしれないな」
ヒウノはユユエが口にした言葉を聞き逃さなかった。彼女が指す『雲の檻』は、おそらく街はずれにある監獄を言ったのではない。
「雲の檻。それが空想じゃないのだとしたら、リトが生まれたのは――」
少年は少女が囚われていた収容施設と、その名前の起源となった言い伝えを思い出した。
はるか昔、死を恐れるあまり、強大な禁忌の力をもって空へと逃れ、雲の中へ隠れた人々がいたという。
きっと、地図から姿を消した地こそが、少女の故郷なのだ。少年は独り言のようのつぶやいた。
「彼女の名前は、リリーシエ。リト・リリーシエ……フィルアノア」
顔をユユエのほうへ向けると、彼女は何も言わず見つめ返してくる。少年が口にしたものを肯定しているのは、明白だった。
第45話 終
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