第43話 お守り
灰色の刃を手にしたヒウノは、不可解な衝動に襲われた。その切っ先を、目の前にいるふたり――特に力の渦のただ中にいるリトの体に突き立てたい、そんな欲望にも似た感情が湧いてくる。
柄を握った右腕がひとりでに持ち上がり、刀を構えようとする。とっさに左手で右の手首を掴んだ。
(僕がそうしたいと思っているのか?)
叫び声をあげ続ける少女から、破壊の光が四方八方へと放たれる。そのひとつがヒウノをめがけて迫った。
避けようとする少年であったが右腕がいうことをきかない。強く脈打ったかと思うと、灰の刃をまっすぐに構えて光を突いた。光は急激に勢いを失い、淡く細かな粒となって刃に吸い込まれてゆく。
「これは、なにが――」
直後、小刀を持つ腕に鋭い痛みが走る。
そんな様子をまるで気にかけることなく、間髪をいれず少女の破壊衝動が少年を襲う。足を止めてなどいられなかった。
不思議と体が軽い。水に濡れた衣服の重さをまったく感じなかった。踏み出す一歩に力が入る。
(得体の知れない力だ。けれど、これならリトに近づけるかもしれない)
すばらしい速力で走る少年。リトが放つ光を寄せつけない。しかし、襲い来る光をかわせば、それだけ飛行機械の残骸の崩壊が早まってしまう。浸水によりこの場にいる全員が湖に呑み込まれるのは時間の問題だった。
少年は、自身の声が彼女には届かないかもしれない、そんな不安を振り切って、少女に呼びかけた。
「リト! 僕の声を聞いて!」
声に応じる様子は微塵もない。
少女は悲しみと怒りに沈んだ目と、生命を奪いとる超常の光を寄越すだけだった。
(悲しみだけじゃない。なにかを諦めてしまったのかもしれない。それがなにか、僕にわかれば――)
わずかな時間だった。少女の境遇に思いをめぐらせていると、目の前が真っ白になった。隙が生まれていたのだ。避けられない。
ヒウノはとっさに小刀を横薙ぎに振るった。破壊の光が霧散すると、鋭い痛みとともに、なにか異質なものが体に流れ込んでくるのを感じた。
「この小刀は、リトの力を吸い込んでいるんだ」
おそらく、小刀がもたらすのはそれだけではない、とも思った。しかし、この状況を変えられる――彼女をもとに戻せるのなら、手にした手段はすべて使うしかない。
決意を瞳に宿したヒウノに、ユユエから声がかかる。
「リリーシエの体に、手にした刃を突き立てろ」
「小刀を、リトに――」
ユユエが少女の命を絶てと言ったのではないと、わかってはいる。しかし、刃物を突き立てればどうなるか想像に難くない。
ヒウノは、小刀の刃先を指の腹に当ててみた。わずかな痛みとともにじわりと血が滲む。
間もなくして起こったことに、少年は自身の目を疑った。
灰色の刃が、少年の血を飲み込んだのだ。気づけば、刃先を刺した指からは痛みがなくなり、傷は跡形もなく消えていた。
「急げ。私の力でそなたは救えよう。だが、今のリリーシエはそうはいかない。私の手を取ろうとはしないだろう」
水の侵入が勢いを増していた。迷う時間が長くなれば、リトだけがここに取り残される。
今の彼女に呼びかけ続けても、おそらく状況が好転しないのはわかっている。しかし、それでも迷わずにはいられなかった。
「あなたを信じるしかないのかもしれない。けれど、信じる拠り所は――」
「ない。命を奪うも奪わないも、手にした者の想いしだいで変わる。それがリリーシエの力だ」
今になって思う。リトはなぜ自分にこの小刀を手渡したのだろう、と。『お守りみたいなものだから』彼女はそう言っていた。けれど、実際は誰かに傷を負わせ、命を奪うこともできる道具だ。リトは、こうなることを予期していたのかもしれない。少年はそう思った。
「もしかすると、これで君を――」
いいや、と少年は自身の想像を振り払った。
そうじゃない。この小刀はきっと。
「君の言ったとおり、お守りなんだ。君を守るための。これをどう使うかは、僕が決める」
柄を握る手に力を込める。
(リトはなにか――僕が知りようのない、なにか大きなものを諦めてしまったんだ。それがなにかはわからないけれど)
足の向く先をまっすぐ少女に定め、力強く地を蹴った。頭の隅で、膝の高さまで増した水の抵抗の少なさに疑問を抱いたが、そんなことはどうでもよかった。彼女のもとへ一秒でも早くたどり着けるのなら、自身に起こった変化など気にはならない。少年は水面を駆けていた。
接近を許すまいと少女が次々と光を放つ。少年は手にした小刀で光をことごとく切り伏せ、そのたび腕に走る痛みをものともせず、ぐんと速力を上げた。
(迷うな。リトをじゃない。リトの中に渦巻く感情と力だけを、刺し貫くんだ)
両の手で小刀を構えた。
彼女の泣き濡れた顔がはっきりと見える。
こんな顔は初めて見た。
彼女の涙を止めてあげたい。
そう強く願い、ヒウノは手にした刃を、いっさいのためらいなく少女の胸に突き立てた。
第43話 終
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