第六十三話 空き地には、空けておく理由がある
何も建っていない土地を見ると、家を建てられるように思える。
柱も屋根も炉もない。だから空いている。
けれど、建物がないことと、使われていないことは同じではない。
火が広がらないための空地。水があふれる場所。荷車が曲がる場所。魔物を森へ戻す道。
空き地には、空けておく理由がある。
◇
テオたちの屋根が完成して、十日ほどたった朝。
新しい人たちが来た。
一家族ではない。
三家族だった。
大人が七人。
子どもが六人。
荷車が一台。
山羊が四頭。
壊れた車輪。
泥で汚れた寝具。
全員。
ヴァリス公国の東側から来たという。
「国境を越えた?」
ルナが尋ねる。
「領境の検査所を通った」
先頭の男が。
濡れた紙を出す。
文字。
印。
半分が。
雨でにじんでいる。
「どうして、この町へ?」
リゼが尋ねた。
「採石村を閉じられました」
「誰に?」
「公国の鉱務院です」
「理由は?」
「石穿ちが出た」
聞いたことのない名前。
「魔物?」
ミラが尋ねる。
「岩の下を進む獣です」
男が答えた。
「坑道の支えを、下から折る」
「大きさは?」
「見た者で話が違う。犬ほどと言う者も、荷車ほどと言う者もいる」
「何頭?」
「分からない」
分からないものから。
逃げてきた。
採石村では。
坑道を閉じ。
周囲の家も。
一時退去になった。
「戻れる?」
「春の調査が終わるまで、と言われた」
「いつ?」
「終わる日は決まっていない」
仮の退去。
期限なし。
四十一年前の西外仮宿と。
似ている。
「帰り火なら、空き地があると聞いた」
男は。
地図を見る。
確かに。
家のない場所はある。
防火空地。
北の緩衝地。
道の待避所。
排水用の低地。
全部。
白く見える。
「ここ」
一人の女性が。
防火空地を指した。
「家を並べられる」
「そこは建てられない」
俺が答える。
「どうして?」
「木場と家の間を空ける」
「木場は遠い」
「火が出たら、風で届く」
「石の家なら?」
「最初から石の家を建てる材料は?」
女性は。
答えなかった。
採石村から来た。
石を扱える者はいる。
でも。
今ここに。
石も。
道具も。
時間もない。
「こっちは?」
今度は。
北の緩衝地。
「魔物が来たときの道」
「魔物のために、人が寝る場所を空けないのか」
「人を守るために空ける」
「今、人が困ってる」
正しい。
目の前に。
十三人。
眠る場所がない。
「仮の天幕だけ」
女性が言う。
「家じゃない」
「一晩だけでも?」
期限を決めれば。
置けるかもしれない。
そう考えた。
けれど。
「駄目だ」
ネッサが言った。
「岩背猪が通った線だ」
「一頭だろ」
ベルンが言う。
「次は群れかもしれん」
「来ないかもしれん」
「来たとき、天幕の中に人がいる」
「じゃあ、どこへ置く!」
声が上がる。
新しく来た人。
帰り火の住人。
森番。
役所。
それぞれが。
地図の空白へ指を置く。
◇
「建てない場所を、見えるようにする」
俺は言った。
「今も色がある」
ハーレンが答える。
役所の土地管理図では。
防火空地は赤。
緩衝地は緑。
排水低地は青。
「地図を読める人にしか分からない」
帰り火の生活地図にも。
色と印はある。
でも。
外から来た人には。
ただの空白に見える。
「地面にも印を置く」
「柵?」
「全部囲うと、逃げ道を塞ぐ」
「柱」
ミラが言った。
「家の柱みたいに?」
「建てないための柱」
低い石柱。
色。
印。
防火。
水。
魔物。
理由を描く。
「文字も」
リゼが言う。
「この場所を空けておく理由と、見直す時期」
「見直す?」
女性が尋ねる。
「永久に建てられないと決まった場所ばかりではありません」
ハーレンが答えた。
「木場の配置が変われば、防火空地も変わる。水路を直せば、低地の使い方も変わる可能性がある」
「いつ見る?」
「少なくとも年に二回。火事や大雨のあとにも見直す」
「それまで待てって?」
「今夜の場所は、別に決める」
◇
空地へ印を置く理由を伝えるため。
夕方に、小さな避難試験をした。
火事を起こすわけではない。
北列の炉から、煙が出た想定。
鐘を一度。
家から。
第二集合所へ移る。
いつもの近道には。
新しく来た人の荷車を、わざと置いた。
「通れない!」
子どもたちが止まる。
「別の道!」
ミラが声を上げる。
防火空地を横切る。
建物がないため。
十三人の寝具を抱えても。
人がぶつからずに進める。
ところが。
空地の中央に。
ヴァリスから来た家族の天幕が一つ残っていた。
仮宿へ移したあとも。
荷物置きとして使っていた。
人の流れが二つへ割れ。
小さな子が、天幕の縄へ足をかけた。
転ぶ前に。
カイが抱き上げる。
「試験だから、何も起きないと思ってた」
天幕の持ち主が言った。
「本当の火事なら、もっと見えない」
ミラが答える。
天幕を。
その場で壊さない。
中の荷物を確かめる。
持ち主と一緒に。
旧木場小屋へ移す。
「ここは空いてるのに」
男が不満そうに空地を見る。
「何も建ってない場所へ置きたい気持ちは分かる」
俺は言った。
「でも、今日はこの道で子どもが転びかけた」
「毎日、火事になるのか」
「ならない」
「使わない日が多い場所を、ずっと空ける?」
答える前に。
ベルンが口を開いた。
「火事になった日だけ、急に空けられねえからだ」
三年前。
火事のとき。
荷物。
人。
木材。
道にある物が、逃げる場所を狭くした。
「空ける代わりに、誰が草を刈る?」
男が尋ねる。
「役に立たない場所の手入れまで、住人がするのか」
「役に立つ」
ルナが言った。
「今日、みんな通った」
空地の仕事を。
誰の家にも属さない仕事として残さない。
防火当番。
避難路の点検。
年に二回の印の見直し。
新しく来た人も。
前から住む人も。
同じ順番で参加する。
「家がない人は?」
「仮宿の人も、使う道なら一回は手伝う」
「追い出すための仕事じゃない?」
「住むまでの間も、守られる側だから」
ミラが答えた。
試験をもう一度行う。
今度は。
荷車も。
天幕もない。
人は。
空地を通り。
集合所へ着いた。
最初より。
半分近く短い時間で。
「何もないから、早い」
ユリが言う。
「何もないように見えるから、置きたくなる」
俺は答えた。
「だから、何のために空いてるかを、地面へ書く」
赤い炎の石柱は。
建てるなと命じる印だけではない。
ここを通れば。
誰が、どこへ逃げられるのかを示す印になった。
◇
避難試験が終わった直後。
仮宿へ戻る途中で。
ヴァリスから来た一番小さな子が、急に座り込んだ。
「寒い」
額へ触れる。
熱い。
雨に濡れたまま、何日も荷車で移動してきた。
疲れもある。
サラを呼ぶ。
治療所から寝台を運ぶには。
大人四人が持つ戸板と。
湯。
毛布。
道具箱が必要だった。
「近道を通る!」
カイが声を上げる。
治療所と仮の天幕の間。
最も短い線は。
さっきまで荷車と天幕が置かれていた防火空地だった。
今は。
何もない。
戸板を持った四人が。
歩幅を変えずに通れる。
子どもを載せ。
治療所まで運ぶ。
もし。
空地に家が一軒あれば。
角を二度曲がり。
狭い路地で、戸板を縦へしなければならなかった。
「火事じゃなくても、使うんだ」
天幕を置こうとした女性が呟いた。
「空いてる道は、急ぐ人も通れる」
ミラが答えた。
子どもの熱は。
夜には少し下がった。
旅の疲れと。
濡れた服のせいらしい。
大きな病気ではなかった。
それでも。
空地が役に立ったのは。
訓練の鐘が鳴ったときだけではない。
◇
問題は。
それで十三人の寝床が増えるわけではないことだった。
「空ける理由は分かった」
先頭の男、ダンが言う。
「でも、分かったから寒くなくなるわけじゃない」
「その通りだ」
俺は地図へ。
防火空地ではない三つの場所を示した。
一つ。
旧木場の資材小屋。
二つ。
第二集合所の空いた土間。
三つ。
西門の待避所にある旅人用天幕。
「家族を分けるのか?」
「全員を一つへ入れる方が危ない」
資材小屋は広いが。
炉がない。
扉も大きい。
夜番が必要。
集合所は暖かい。
ただし。
すでにテオたちが使っていた仕切りや、記録棚がある。
待避所は。
荷車の音と。
夜の見張りが近い。
「家族ごとに選んでいい?」
女性が尋ねる。
「空いていれば。ただ、今夜は熱を出している子の家族を、暖かい集合所へ入れる。残りは資材小屋を中心にする。旅人用天幕は、入りきらないときの予備に残す」
「山羊は?」
「資材小屋の北側。夜の音が苦手な人は、小屋の奥を布で仕切る」
「一緒に来たのに、その家族だけ離れる」
「誰がどこにいるか、同じ板へ残す。明日また様子を見て変える」
「また明日、変えられる?」
「ああ。使ってみて、困ったことを書いて変える」
空いている一か所へ。
全員を押し込む方が早い。
けれど。
早く決めた一つの場所が。
全員にとって安全とは限らない。
家を建てない土地を守るだけでなく。
建てられるまでの時間を。
どう分けて支えるかも、町の仕事だった。
◇
仮宿の中心に選んだのは。
旧木場の資材小屋だった。
三年前。
火災と調査のあと。
危険な材を外し。
床を上げ。
倉庫として使っていた建物。
「人が住んでいいの?」
ルナが尋ねる。
「そのままでは駄目」
俺は答えた。
床。
屋根。
換気。
炉はない。
便所は外。
扉は。
荷物用で大きすぎる。
「仮宿にするなら」
ハーレンが紙へ書く。
「最長十日。火気禁止。夜番二人。子ども側へ仕切り。井戸利用を記録。十日以内に、帰る者、別の町へ行く者、帰り火へ申請する者を分ける」
「十日で決められない人は?」
「延長の理由を記録する」
「追い出す?」
「勝手には追い出さない」
「でも、ずっとはいられない?」
「倉庫だから」
仮の場所。
弱い場所。
何年も。
完成した家のように使ってはいけない。
それでも。
今夜。
雨を避けられる。
「仕切り、作る」
ミラが言った。
「私も手伝う」
ユリが答えた。
テオたちの家で使った。
動かせる布の壁。
同じ方法を。
今度は。
資材小屋の仮宿へ使う。
◇
仮宿へ移って二日目の夜。
強い雨が降った。
青い波の印を置く予定だった低地へ。
屋根と道から流れた水が集まる。
昼には。
平らな草地にしか見えなかった場所。
夜には。
足首より深い水が広がっていた。
「ここにも天幕を置こうとしてた」
ヴァリスから来た女性が。
資材小屋の軒下から見ていた。
もし。
家族の寝具を置いていれば。
全部、濡れていた。
「水が来るって、どこから分かった?」
カイが古い地図を持ってくる。
三年前。
地下水路を調べたときの線。
昔の排水溝。
地面の高さ。
「図にはあった」
俺は答えた。
「でも、今の雨で全部同じになるとは限らない」
実際。
水は。
青い印の外へ、少しはみ出していた。
テオたちの家を建てたとき。
雨水樋をつけ。
屋根の水を別の溝へ送った。
その分。
以前より低地へ集まる流れが増えている。
「印が間違ってる?」
ルナが尋ねる。
「古い線のまま」
ミラが答えた。
「町が変わったから、水も変わった」
雨の中へ。
棒を立てる。
水の端。
深さ。
流れ込む方向。
危険なので。
子どもは軒下から見る。
大人二人が。
縄でつながり。
低い場所へ入る。
「そこまでして測る?」
ベルンが尋ねる。
「家を置かない理由の線が、ずれてる」
「広くすればいい」
「必要以上に空けたら、今度は寝る土地が減る」
翌朝。
水が引いたあと。
泥の跡へ、新しい青線を置いた。
古い印より。
北へ二歩広い。
東は。
一歩狭い。
「建てない場所も、直すんだ」
ユリが言う。
「何も建ってないから、変わらないと思ってた」
「周りに家を建てれば、流れが変わる」
俺は答えた。
空地の役目は。
一度決めて、地図を白く塗ることではない。
雨のたび。
家が増えるたび。
今も同じ場所で働いているかを確かめる。
◇
溜まった雨水は。
すぐには排水路へ流し切らなかった。
一部を。
火消し用の低い池へ残す案が出た。
「水があるなら、使えばいい」
オーデンが言う。
「子どもが落ちる」
サラが返す。
「浅くする」
「夏に虫が出る」
「底へ石を敷く」
「魔物が水を飲みに来る」
ネッサが加える。
空地へ。
新しい役目を足すほど。
別の危険も増える。
「今は、流す」
ミラが決めた。
「火消し水は桶へ取る。池にするかは、夏まで試してから」
「使える水を捨てる?」
「次の仕事を決めずに残す方が危ない」
目の前に水があるから。
すぐ使いたくなる。
空いている土地があるから。
すぐ建てたくなる。
同じだった。
使わないと決めることにも。
理由と、見直す日が要る。
◇
夕方までに。
空地の印を作った。
赤い炎。
防火空地。
青い波。
水があふれる場所。
緑の足跡。
魔物の戻り道。
黄色い車輪。
荷車が曲がる場所。
石柱は。
人の膝ほど。
ぶつかっても大けがになりにくいよう、上の角を丸く落とす。
夜に見えるよう。
上へ白い石灰。
「家の印はない」
ルナが言う。
「建てない場所だから」
「空白じゃない?」
「役目がある」
俺は答えた。
地図の白い場所。
何もないのではない。
火を止め。
水を受け。
人を逃がし。
魔物を森へ戻す。
町の中で。
建物がないまま働いている場所。
「空けておくのも、町を作ること?」
ユリが尋ねる。
「ああ」
家を建てることだけが。
町を育てることではない。
建てないと決め。
その理由を残し。
必要なときに。
もう一度見直す。
空き地には。
空けておく理由がある。




