第六十話 柵は、止めるためだけに立てない
柵を立てるとき、人は向こう側へ行かせないことを考える。
入るな。越えるな。ここから先は別の場所だ。
けれど、止められない相手へ高い柵を正面から立てれば、壊される。
柵には、止める以外の役目もある。
進む向きを変え、危険な場所を避けさせ、戻る道を残す。
そういう柵もある。
◇
岩背猪が現れた翌日。
帰り火の北側には。
家より長い縄が張られていた。
「ここ全部に柵を作るの?」
ユリが尋ねる。
「全部は作らない」
俺は答えた。
森の緩衝地。
帰り火の北列。
試験窯。
木場。
共同井戸。
地図へ。
魔獣が歩いた線を加える。
まっすぐではない。
灰喰いの巣を追い。
切り株を掘り。
煙を避け。
森へ戻った。
「この線の通り、また来る?」
「分からない」
「なら、どこへ柵を置く?」
「来てほしくない場所」
家。
井戸。
窯。
子どもの通り道。
そこだけ。
柵と。
石灰の印。
見通しを作る。
「森側を全部閉じた方が安全じゃない?」
ミラが尋ねる。
「閉じたら、別の入口を探す」
ネッサが答えた。
「弱い場所へ回る」
「家の裏?」
「水路かもしれん」
魔物は。
町へ入りたいわけではない。
餌。
水。
魔素。
通りたい方向へ進む。
その道を全部塞げば。
別の場所を壊す。
「森へ戻る道は、広く空ける」
俺は地図へ。
二本の線を引いた。
町側へ近づくほど。
狭い。
森側へ。
扇のように広がる。
「漏斗みたい」
ミラが言う。
「逆向きの」
「入るときは狭い。戻る方は広い」
「来たら、こっちへ向ける?」
「人が近づかずに」
煙。
音。
匂い。
柵。
組み合わせる。
◇
柵の柱には。
太い木を使わない。
「弱くていいの?」
ルナが尋ねる。
「全部、弱くはしない」
ガルドが答えた。
家側の柵。
人が触れる場所。
転倒しないよう。
石台と。
斜め材で固める。
森側の外端。
魔獣が押したとき。
折れずに。
外へ倒れる仕組み。
「倒れていい柵?」
「逃げ道を塞がない」
俺は。
柱の根元へ。
深い穴を掘らなかった。
横木を。
片側だけ。
外れやすい木栓で留める。
強い力が。
町側から森側へかかれば。
横木が外れ。
柵が倒れる。
逆に。
森側から町へ押されると。
支え木へ当たり。
すぐには倒れない。
「向きで強さが違う」
カイが押して確かめる。
「人の避難扉にも使える」
「何で?」
「外へ出るときは開きやすい。外からは入りにくい」
前世にあった。
非常口の考え方。
ただし。
この世界の木と。
道具で作る。
「柵が壊れたら?」
ユリが尋ねる。
「壊れた場所が分かる」
「悪いことじゃない?」
「弱い場所を、決めて壊す」
全部を。
丈夫にすれば。
どこか予想しない場所が壊れる。
なら。
人がいない方向へ。
壊れる場所を用意する。
ガルドが。
外れやすい木栓を見た。
「一度外れたら、勝手に戻らん」
「戻した印をつける」
「誰が見る」
「森番と、北列の火番」
「二人とも忘れたら?」
「生活地図にも、点検日を書く」
「また記録か」
「必要だろ」
「記録だけで直ると思うな」
「直す人も決める」
ガルドは。
それ以上言わず。
木栓の角を削った。
◇
柵を立てる前に。
柱は深く固定せず、浅い杭と縄だけで仮の線を作った。
まずは岩背猪の代わりになる重さで、柵の向きと間隔を試した。
石籠を載せた低い橇。
前へ丸太を一本つける。
人が縄を引き。
柵へ斜めに当てる。
「本物は、もっと速い」
衛兵が言う。
「今日は、どこが壊れるかを見る」
一度目。
橇は。
外へ倒れるはずの柱へ当たらず。
二本の柵の間へ挟まった。
「道が狭い」
ミラが言う。
「本物なら、暴れる」
岩背猪が止まれば。
後ろから人が近づくことになる。
逃がす柵が。
閉じ込める箱になる。
「間を広げる」
「広げたら町へ抜ける」
ベルンが言う。
「角度を変える」
柵を平行に置かない。
町側は狭く。
森側へ進むほど広くする。
ただし。
最初の入口は、魔物の身体より十分広い。
押し込むのではなく。
自然に広い方へ向く形。
二度目。
橇は。
森側へ抜けた。
しかし。
外端の柱が倒れず。
横木が割れた。
「壊れる場所が違う」
ガルドが割れ口を見る。
「木栓が強すぎる」
「強く作ったのに?」
ルナが尋ねる。
「柱の根元が外れる前に、横木へ力が集まった」
外端の木栓を。
短いものへ替える。
抜けたとき。
横木が地面へ落ち。
森側に大きな出口を作る。
「わざと弱くするの、怖い」
ユリが言った。
「弱い場所を、分かるようにする」
俺は答えた。
「全部が急に壊れるよりいい」
三度目。
橇が当たる。
木栓が抜ける。
横木が外へ倒れる。
橇は。
森側へ通り抜けた。
「人が押したから、うまくいっただけじゃない?」
ミラが言う。
「本物は、煙を避ける」
「匂いも」
ネッサが答えた。
「柵だけに任せない」
次に。
引き手の目の左右を布で隠して、橇を引いた。
前へ見えるのは。
白い布の印だけ。
町側には、灰樹の匂い。
森側には、何も置かない。
橇は。
一度、町側へ寄った。
そこで。
柵へ当たり。
広い方へ向きを変えた。
「柵が、道を教えた」
ルナが言う。
「止めてない」
「押し返してもない」
壊れる場所。
逃げる場所。
人が立たない場所。
柵の柱へ。
三つの印を刻んだ。
点検する木栓。
倒れてよい横木。
人が支えてはいけない場所。
「壊れたら、誰が直す?」
ガルドが尋ねる。
「北列の当番と、木場」
「夜なら?」
「人を近づけない。朝、森番が足跡を見てから」
「全部すぐ戻さない?」
「魔物が、まだ近くにいるかもしれない」
壊れた柵を見たら。
すぐ直したくなる。
でも。
壊れたこと自体が。
何かが通った記録になる。
先に消してはいけない傷もある。
◇
仮の杭と縄で向きを確かめたあと。
実物大に組んだ一区画へ、もう一度橇を当てた。
そこで。
前の試験では見えなかった壊れ方が出た。
斜めの柵へ当たった丸太は。
森側へ流れず。
一本目と二本目の柱の間へ挟まった。
「止まった」
ルナが言う。
「ここで本物が止まったら?」
「怒る」
ネッサが答えた。
「前へ進めず、後ろへも戻れない。柵を壊すまで暴れる」
岩背猪を止めないために作ったのに。
狭い隙間が。
身体を捕まえる形になっていた。
「柱の間を広げる」
俺が言う。
「全部?」
ガルドが尋ねる。
「曲がる場所だけ」
「広げすぎれば、町側へ抜ける」
「二本目を、もっと森側へ振る」
縄を張り直し。
柱の位置を変える。
もう一度、橇を引く。
今度は。
丸太が柵へ触れ。
斜めに向きを変えた。
ただし。
弱く作った板が、予想より早く外れ。
橇の前へ落ちた。
「踏んだ」
ユリが言う。
板は橇の下へ入り。
進む向きを、町側へ少し戻している。
「壊れる場所が悪い」
ミラが板を拾う。
「外れた板が、道を塞いでる」
弱い部分は。
ただ壊れればよいわけではない。
壊れたあと。
相手と人の逃げ道を塞がない形にする必要がある。
「下へ落とさない」
ガルドが言った。
「上だけを木栓で留める。外れたら、森側へぶら下がる」
板の下端へ。
切れやすい縄。
上端へ。
回る木栓。
力がかかると。
下だけが外れ。
板は扉のように森側へ開く。
三度目。
橇が当たる。
板が開く。
丸太は。
壊れた板へ乗らず。
森側の広い線へ抜けた。
「成功?」
ルナが尋ねる。
「橇では」
ネッサが答える。
「本物は、足で掘る。匂いも見る。怖がれば戻る」
試験で確かめられることには。
限りがある。
だから。
柵だけへ任せない。
見張り。
煙。
人を離す合図。
森側の出口。
重ねる。
◇
次に。
山羊を使って、人の動きも確かめた。
「山羊は魔物じゃない」
サラが言う。
「知ってる」
「ルルを驚かせたら、布を食べるより悪いことするよ」
「驚かせない。柵の内側を、人が安全に歩けるか見る」
山羊を移動柵の外へ出し。
飼い主が森側の道をゆっくり歩く。
見張り役が合図を出す。
人は。
家側の細い通路から避難する。
最初の合図。
子どもたちは、決めた道へ走った。
だが。
北列の年寄りが。
柵の控え縄へ足を取られた。
「止めて!」
ミラが訓練を止める。
縄は。
魔物の力へ耐えるため。
家側へ斜めに張っていた。
昼なら見える。
夜や煙の中では。
足元の罠になる。
「縄をなくす?」
カイが尋ねる。
「全部は無理」
「通る側だけ、木の控えにする」
ガルドが答えた。
「今すぐは材が足りない」
「それまで、人の道へ縄を出さない位置に杭を移す」
縄の上へ。
白い布を結ぶだけでは足りない。
低い柵を一本置き。
人が縄へ近づかないよう。
通路そのものを少し曲げた。
二度目の訓練。
年寄りは。
杖を使っても、縄へ触れずに集合所へ着いた。
「柵は、魔物だけを見て作るんじゃないんだね」
ユリが言う。
「守る人が転んだら、守ってない」
ミラが答えた。
強さ。
壊れ方。
人の逃げ方。
同じ柵へ。
三つの向きから、力がかかる。
◇
柵の外側には。
何も置かない帯を作った。
草を短くする。
倒木を片づける。
ただし。
全部の木を切らない。
「見通しが悪い」
衛兵が言う。
「森の端を裸にすれば、土が乾く」
ネッサが答えた。
「雨で流れる」
「魔物が隠れる」
「低い枝だけ落とす」
木。
草。
土。
人。
どちらか一方だけ正しくはならない。
「ここ、花がある」
ルナがしゃがむ。
白い小さな花。
周りには。
光る羽の虫。
「残せる?」
「通り道から外れてる」
ネッサが答えた。
「全部、きれいにする必要はない」
人の目から見て。
草がない方が、整って見える。
でも。
根が。
土を支えている。
虫が。
別の虫を食べる。
魔物を避けるために。
森の働きまで消してはいけない。
◇
柵は。
昼に見えても。
夜に同じ働きをするとは限らない。
日が落ちてから。
火を使わず。
月明かりだけで、通路を歩いた。
白い布を結んだ控え縄は見える。
しかし。
森側へ開く弱い板と。
固定した板の違いは分からない。
「間違えて、弱い方へ荷物を立てかけるかも」
カイが言う。
「昼なら印がある」
「夜は?」
触って分かるよう。
固定板には。
横へ一本の刻み。
開く板には。
縦へ二本。
子どもの高さにも。
同じ印を入れる。
「これ、何?」
コナが縦の溝へ指を当てる。
「押さない板」
ユリが答えた。
「どうして?」
「魔物が来たら開くから」
「普段は?」
「荷物を置かない」
森へ逃がす出口は。
日常には、ただの空きに見える。
だから。
薪。
桶。
壊れた車輪。
少しずつ物が置かれやすい。
柵の前へ。
緑の足跡の石を並べた。
そこから森側までは。
何も置かない。
「毎日見る?」
ルナが尋ねる。
「朝の森当番」
「雨のあとも」
ネッサが足した。
「木が膨らむ。縄が緩む。弱い木栓が、弱くなくなることもある」
試しに。
昼に一度開いた板を戻し。
同じ木栓を入れた。
雨水を少しかける。
木栓は膨らみ。
前より抜けにくくなった。
「一回壊れたら、交換」
ガルドが言う。
「まだ使える」
ベルンが木栓を見る。
「使えるかと、同じ力で外れるかは別だ」
弱く作る部品ほど。
古くなって強さが変われば、役目を失う。
交換した日。
濡れた日。
試した日。
小さな札を柵の内側へ掛ける。
「柵にも記録?」
「家より、壊れることを期待してるから」
俺は答えた。
壊れる場所を決めたなら。
本当に、そこで壊れ続けられるか。
直すたびに確かめなければならない。
◇
柵を立ててから、十二日。
岩背猪は来なかった。
角狼の足跡もない。
北側の空いた帯は。
少しずつ、ただの空き地に見え始めた。
最初に置かれたのは。
割れた車輪だった。
「明日、直すだけ」
ベルンが言う。
次の日には。
濡れた薪が三束。
その横へ。
子どもの木箱。
「道は広い」
「端へ寄せてる」
「魔物が来なければ使わない」
どれも。
一つだけなら。
柵の働きを止めるほどではない。
けれど。
森へ広がるはずの出口が。
少しずつ狭くなる。
雨の翌朝。
ネッサが。
緑の足跡の石の上へ立った。
「ここから森まで歩け」
ルナが進む。
車輪を避け。
薪を回り。
箱をまたぐ。
「人なら通れる」
「走れるか」
ルナは。
戻ってから。
もう一度走った。
薪の縄へ足が触れ。
束が崩れた。
「魔物なら?」
ネッサが尋ねる。
「もっと崩す」
「崩れた物が、柵の開く板へ入る」
倒れてよい横木の下へ。
薪が一本転がっていた。
このまま力がかかれば。
板は途中で止まる。
「柵は壊れてない」
ベルンが言う。
「道が壊れてる」
ミラが答えた。
空けておく場所は。
何も作っていない場所ではない。
逃げ道という。
形の見えにくい設備だった。
車輪は。
木場の修理待ち場へ。
薪は。
屋根のある乾かし棚へ。
木箱は。
持ち主の家へ戻した。
そのあと。
今度は荷物を置いた状態から。
何分で道を空けられるか試した。
三人で。
車輪を持ち。
薪を運び。
箱を探す。
半刻近くかかった。
「魔物が見えてからじゃ遅い」
ルナが息を切らす。
「だから、普段から置かない」
緑の石の間へ。
低い木杭を足した。
縄は張らない。
人は通れる。
荷物を置けば。
杭へ当たる。
触れば。
縦に二本の刻み。
夜でも。
空ける帯だと分かる。
「毎朝、柵を見る」
北列の当番が言った。
「板と木栓だけ?」
「出口も」
「物がないことを確認する?」
「何もない、を記録する」
記録板へ。
木栓。
縄。
横木。
通路。
四つ目の欄が増えた。
何も起きない日が続くほど。
決まりは。
必要のない手間に見えてくる。
だから。
魔物が来た日だけではなく。
来なかった十二日間が。
柵を弱くしていないかも見なければならない。
完成した柵は。
町を囲んでいない。
家の北。
井戸。
窯。
危険な場所の前だけ。
線がある。
その間に。
森へ向かう大きな空間。
「柵に見えない」
ベルンが言う。
「穴だらけだ」
「止める壁じゃない」
俺は答えた。
「魔物が来たら、穴から入るぞ」
「入ってほしい場所へ向ける」
「本当に行くか?」
「分からない」
「またそれか」
「だから、試す」
柵の外へ。
石灰の小袋。
煙の枝束。
音を鳴らす板。
必要な場所へ置く。
「次に来たら、分かる」
ミラが言う。
「来ない方がいい」
「来なかったら?」
「柵のせいか、分からない」
「何も起きないことも、記録する」
ルナが板へ書いた。
――北柵、設置。
――岩背猪、一頭。
――森へ戻る。
――次の確認、雨のあと。
柵は。
町と森を完全に分けない。
人が暮らす場所。
魔物が通る場所。
互いが。
同じ地面にあると認めたうえで。
ぶつかる場所だけを減らす。
止めるためだけではなく。
戻る道を残すために立てる。




