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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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6/22

第六話 雨が、家を試す

 家を建てる日は、朝が来る前から始まっていた。


「起きろ、レオ」


 肩を揺さぶられ、目を開ける。


 仮の屋根の外はまだ暗い。


 入口に立っていたガルドは、すでに作業着姿だった。肩には道具袋を提げ、片手に油の入った小さな灯りを持っている。


「日の出と同時じゃなかったのか?」


「日の出と同時に柱を立てる。その前に準備をするんだ」


「昨日は暗い中で作業するなって――」


「組むなと言った。準備まで止めた覚えはない」


 言葉を返す前に、ガルドは背を向けた。


「顔を洗って来い。寝ぼけた頭で縄を結ぶなよ」


「分かった」


「お前の分かったは――」


「信用できないんだろ?」


「分かってきたじゃねえか」


 褒められた気はしない。


 俺は身体を起こした。


 昨夜は早く眠ったはずなのに、全身が重い。


 森で柱を運んだ疲れが残っている。傷ついた手のひらも、布の下でじくじくと痛んだ。


 それでも、横になっている場合ではない。


 今日の日没までに家を完成させなければ、この土地はドーレン商会に回収される。


 柱を立てる。


 (はり)を渡す。


 屋根を載せる。


 壁を作る。


 扉と開口部を設ける。


 炉を完成させ、煙が外へ抜けることを確かめる。


 そして、ガルドから居住可能の印をもらう。


 やることを頭の中で並べるほど、時間が足りないように思えた。


「レオ」


 ミラが藁の上から身体を起こす。


「わたしも行く」


「まだ寝てていい」


「今日、家を建てるんでしょ」


「ああ」


「わたしの家でもある」


 ミラは眠そうな目をこすりながら立ち上がった。


 その後ろでは、エナが毛布に包まれたまま、こちらを見ている。


「無理をするんじゃないよ」


「分かってる」


「二人ともだよ」


 俺とミラが同時に返事をすると、エナは困ったように笑った。


     ◇


 空が白み始めるころには、人が集まり始めていた。


 パン屋のセナ。


 魚売りのボルツ。


 布売りのマーヤ。


 森番のネッサまで、長い棒を肩に担いで立っている。


「どうしてネッサさんが?」


「家が建つところを見に来ると言っただろう」


「森の仕事は?」


「早朝の見回りは終わらせた」


 ネッサが担いでいた棒を地面へ下ろす。


 先端が二股に分かれている。


「柱を起こすときに使え。人の手だけで押せば、途中で倒れる」


「借りていいのか?」


「返せる状態で使え」


 この町の人は、物を貸すときに必ず脅す決まりでもあるのだろうか。


「おい、レオ」


 ボルツが大きな籠を置く。


 中には、昨日約束していた魚と、平たい石が入っていた。


「魚屋は石も扱ってるのか?」


「馬鹿なこと言うな。市場の裏にあった石を持ってきてやったんだよ」


「勝手に持ってきてないよな?」


「俺をお前と一緒にするな」


 過去のレオが盗みを働いたせいで、何を言っても弱い。


 マーヤは破れた天幕を細長く切り分けていた。


「布を縄みたいに使えるようにしておいたよ」


「壁に張る分は?」


「ちゃんと残してある。全部ひもにするほど間抜けじゃない」


 セナは大きな鍋を抱えている。


「昼に食べるものを作る。空腹で倒れられたら邪魔だからね」


「ありがとう」


「礼は屋根ができてから」


 誰も、無条件で助けるとは言わない。


 それでも、必要なものを持ってここへ来てくれた。


 昨日までの俺は、この町で釘を盗んだ子どもだった。


 今も、信用されたわけではない。


 ただ、少しだけ様子を見てもらえるようになった。


 その時間を無駄にはできない。


「まず、柱を立てる」


 俺は地面へ張られた縄を確認した。


 夜の間に、四隅の石台が崩れた様子はない。


 粘土も固まり始めている。


 短い柱を載せる石台だけ、ほかより高い。


「柱を置く前に、もう一度高さを確認する」


 ガルドが言った。


「昨日合わせたんじゃないのか?」


夜露(よつゆ)で周りの土が緩んだかもしれん。小石が動いた可能性もある」


「誰も踏んでないよ」


 ミラが言う。


「お前は一晩中見張ってたのか?」


「寝てた」


「なら確認しろ」


 ガルドは二本の棒を立て、間へ縄を張った。


 目の高さを合わせ、四つの石台を一つずつ確認する。


 一か所だけ、昨日よりわずかに沈んでいた。


「石一枚分もない」


 俺が言う。


「だから見逃すのか?」


「いや、直す」


 薄い石を外し、下へ小石を詰め直す。


 薄い石片を噛ませ、周囲の土を突き固めてから、再び高さを合わせた。


 ほんのわずかな差だ。


 だが、柱の上で(はり)を組むとき、そのわずかな差が大きなずれになる。


「最初の間違いは、上へ行くほど大きくなる」


 ガルドが言った。


「覚えておけ」


 前世で何度も見た。


 基準の線がずれたまま仕上げまで進み、最後に扉が閉まらなくなる。


 最初に数分かけて確認すれば防げたことを、後から何日もかけて直す。


「わかった」


「口じゃなく、手で覚えろ」


 石台の上へ、森でもらった赤樺(あかかば)の皮を敷く。


 乾かした皮は薄いが、触ると表面が滑らかで、水を弾きそうだった。


「柱を石に直接触れさせないんだっけ?」


 ミラが昨日の話を思い出したように言う。


「そうだ。石が吸った水を、木へ移しにくくする。」


「これだけで大丈夫なの?」


「永遠にはもたない。でも、何も挟まないよりはいい」


「永遠にもつ家はねぇ」


 ガルドが柱を転がしながら言った。


「傷んだ場所を直しながら住むのが家だ」


 家は完成した瞬間で終わるものではない。


 住み始めてからも、雨に打たれ、風に揺られ、人の暮らしに削られていく。


 手入れをせず、永遠に同じ状態を保てる建物などない。


 その言葉は、この世界でも変わらないらしい。


「持ち上げるぞ!」


 ガルドの声に、人が柱の周りへ集まる。


 最初に立てるのは、森から運んだ一番太い柱だ。


 根元を石台の近くへ置き、柱の上部に四本の縄を結ぶ。


 ネッサが持ってきた二股の棒を幹の下へ差し込む。


「俺とボルツが根元を見る」


 ガルドが指示を出す。


「ネッサは棒で押せ。セナとマーヤは縄を引く。レオとミラは横から支えろ。柱の下に足を入れるな」


「分かった」


「せぇので上げるぞ」


 ガルドが息を吸う。


「せぇの!」


 柱がゆっくりと持ち上がった。


 最初は軽く動いたが、角度がつくほど重くなる。


 縄を引く二人が後ろへ下がり、ネッサが二股の棒を押し上げる。


 俺は柱の横へ肩を当てた。


「重っ……!」


「声を出す暇があるなら押せ!」


 足元が滑る。


 ミラが隣で歯を食いしばっていた。


 柱は地面から四十五度ほど起きたところで、一度止まった。


「縄を緩めるな!」


 ガルドが怒鳴る。


「ネッサ、もう一段上だ!」


「分かっている!」


 二股の棒が柱を押し上げる。


 さらに縄が引かれた。


 柱が垂直に近づく。


「根元を石台へ!」


 ガルドとボルツが柱の下部を動かす。


 赤樺(あかかば)の皮を敷いた石台の中央へ、柱がゆっくりと降ろされた。


「離すな!」


 ガルドが一本目の縄を杭へ結ぶ。ボルツとネッサも残りの縄を四方の杭へ固定した。


 柱はようやく、その場に立った。


 まだ一本だけ。


 (はり)も壁もつながっていないため、縄を外せばすぐに倒れる。


「立った……」


 ミラが見上げる。


 昨日まで地面に横たわっていた木が、初めて家の高さを示していた。


「次だ」


 ガルドは余韻に浸る時間をくれない。


 二本目。


 三本目。


 同じ作業を繰り返す。


 一本ごとに、太さも重さも違う。


 三本目はわずかに曲がっていたため、どの面を外へ向けるかを決めなければならなかった。


「曲がった方は外へ向けたほうがいいのか?」


 俺が尋ねる。


「屋根の重さがかかったとき、どう動くか考えろ」


 柱の曲がりを見る。


 内側へ膨らんだ状態で置けば、屋根の力を受けたときにさらに内へ倒れやすい。


「膨らんでいる方を外へ向ける。内側へ出っ張ると、壁を張りにくい」


「屋根の重さで、さらに曲がるかもしれんぞ」


「だから(はり)と筋交いで動かないように押さえる。それでも、内側へ向けるよりはいい」


「なら、そうしろ」


 最後の一本は、壊れた家から残した短い柱だった。


 腐った根元を切り落としたため、ほかの柱より明らかに短い。


 高く積んだ石台へ載せる。


「上を見ろ」


 ガルドが言う。


 四本の柱の上端(じょうたん)を見比べる。


 完全に同じではない。


 短い柱の側だけ、指一本ほど高かった。


「石台を削る?」


「石を削ってる暇はない」


「柱を切る」


「切りすぎたら戻せんぞ」


 必要な分だけ炭で線を引く。


 柱を一度下ろし、線の外側へ(のこぎり)を入れる。


 急いではいけない。


 だが、時間はない。


 矛盾する二つの言葉を頭の中で繰り返しながら、(のこぎり)を引いた。


 切断面は、昨日より真っすぐになった。


 再び柱を立てる。


 今度は四本の上端(じょうたん)がほぼ揃った。


「次は(はり)だ」


     ◇


 柱の上へ横材を載せるには、足場が必要だった。


 立派な足場を組む材料はない。


 そのため、古い樽と木箱の上へ厚い板を渡し、簡易の作業台を作った。


「揺れる」


 俺が板へ乗ると、足元がわずかに動いた。


「降りろ」


 ガルドにすぐ止められる。


「この程度なら――」


「お前の意見は聞いてない」


 板を外し、樽の下へ平たい石を詰める。


 木箱にも斜め材を当てて固定する。


 もう一度乗る。


 今度は揺れなかった。


「家を作るための足場で怪我をしたら、笑い話にもならん」


 ガルドはそう言いながら、自分で板の中央を何度も踏んで確認した。


 柱と(はり)をつなぐ部分には、あらかじめ浅い欠き込みを作ってある。


 柱の上端(じょうたん)を少し削り、(はり)がずれにくい形にした。


 本格的な仕口(しぐち)を作る時間も技術もない。


 それでも、ただ上へ載せて縄で縛るだけよりは強い。


(はり)を上げるぞ!」


 再び人が集まる。


 柱より軽いとはいえ、頭の上まで持ち上げるのは簡単ではない。


 (はり)を縄で引き上げ、作業台の上で俺とガルドが受け取る。


「持つ位置を考えろ、指を挟むぞ」


「分かってる」


「言われた直後に危ない持ち方をするな!」


 怒鳴られ、慌てて手を移す。


 (はり)を柱の欠き込みへ落とす。


 片側は入った。


 反対側が入らない。


「柱が開いてる」


 俺が下を見る。


 二本の柱の間隔が、上部でわずかに広がっていた。


「縄を引け!」


 ガルドが下へ指示する。


 セナたちが柱に結んだ縄を引き、間隔を狭める。


 (はり)の端が欠き込みへ入った。


「今だ。木栓を打て」


 あらかじめ開けた穴へ、硬い木で作った栓を差し込む。


 木槌(きづち)で打つ。


 一度。


 二度。


 三度。


「止めろ」


 以前なら、もう一度打っていた。


 だが、接合部の木がわずかに膨らんでいる。


「ここまで」


「少しは覚えたな」


 四本の(はり)が柱をつないだ。


 柱の足元にも低い横材を回し、木栓で四本をつなぐ。さらに四隅の外へ深く杭を打ち、控え縄で骨組みを地面へ引きつけた。縄は通り道へ出さず、夜でも見えるよう杭の先へ布を結ぶ。


「これで風に浮かされにくくなる」


「縄は雨の前と後に締め直せ」


 ガルドが一本ずつ張りを確かめた。


「落ち着いたら、木の控えへ替える。仮のまま忘れるな」


 仮の縄を一本外す。


 柱は倒れない。


 もう一本外す。


 骨組みはわずかに揺れたが、形を保っていた。


「家みたいになった!」


 ミラが声を上げる。


「まだ四角い木の枠だ」


 俺は答えた。


「でも、昨日は縄しかなかった」


 確かにそうだ。


 地面の線だったものが、立体になっている。


 しかし、ここで安心するわけにはいかない。


「横から押してみろ」


 ガルドが言う。


「今?」


「今だからだ」


 柱へ手を当て、体重をかける。


 骨組み全体が横へ動いた。


「思ったより揺れる」


「四角は弱い」


「筋交いを入れる」


 露店の骨組みから取った細い木を、柱と(はり)の間へ斜めに当てる。


 長さを測り、端を削る。


 木栓と縄を併用して固定した。


 向かい側だけでなく、直角に交わる部分にも筋交いを入れる。


 もう一度押す。


 今度は動きが小さい。


「揺れなくなった!」


 ミラが同じように柱を押す。


「斜めの一本が、四角の形を守る」


「細いのに?」


「太さだけじゃない。受け持つ力が違うんだ」


「受け持つ力?」


「柱と(はり)だけなら、横から押されたときに四角が潰れる。でも斜めに一本入れれば、こいつが突っ張って形を守る」


 人の力も同じだった。


 子どもの俺とミラだけでは、柱一本すら立てられない。


 だが、誰がどこを支えるかを決めれば、一人では動かせない木を起こせる。


     ◇

 

 屋根へ取りかかる前に、セナが魚の入ったスープを配った。座って食べる時間はなく、全員が器を手にしたまま流し込んだ。

 

 太陽が高く上がるころ、屋根の骨組みへ取りかかった。


「ここからは手を分けるぞ」


 ガルドが全員を見回した。


 俺とガルドが屋根を組む。


 セナとマーヤには、骨組みの間へ細い枝を渡し、壁の下地を作ってもらう。


 ボルツとネッサには、俺が示した場所の土を掘り下げ、炉に使えそうな平たい石を選んでもらった。


 ミラは材料を運びながら、人手の足りないところへ回る。


 一つの作業が終わるのを待っている余裕はない。できるところから、同時に進めるしかなかった。


 片流れの屋根にするため、片側の梁の上へ短い束を数本立てる。


 束の上へ横木を渡して固定し、反対側の梁との間へ垂木を掛けた。


「もっと傾けなくていいの?」


 ミラが尋ねる。


「傾きが急な方が、水は早く流れる」


「なら、もっと高くすればいいんじゃない?」


「高くするほど、風を受ける。それに材料も必要になる」


 この屋根材は、形も大きさもそろっていない。


 勾配が緩すぎれば、水が隙間から中へ入る。


 逆に急すぎれば、板が滑り落ちやすい。


 使える材料と風の強さの間で、ちょうどいい角度を探す必要がある。


 前世なら、屋根材ごとに必要な勾配が決められていた。


 今は、自分で雨の流れを想像するしかない。


「これくらい」


 垂木(たるき)の角度を決める。


 ガルドが少し離れ、横から屋根の線を見る。


「昨日の仮屋根よりはましだ」


「褒めてる?」


「比較の相手が、昨日のお前だぞ」


 やはり褒めてはいない。


 屋根板を軒先(のきさき)側から並べる。


 広場でもらった樽板。


 壊れた家から回収した板。


 露店に使われていた薄い木。


 形も厚さも違う。


 大きな板を下に置き、その継ぎ目を上段の板で覆う。


 隙間が重ならないよう、位置をずらして並べる。


「下から置く理由、覚えてるか?」


 俺がミラに尋ねる。


「下の板に、上の板を重ねるんでしょ」


「どうして?」


「雨が隙間に入らないで、そのまま下へ流れるから」


「正解」


「ほら、ちゃんと覚えてた」


「俺より?」


「レオより」


「そこは迷わないんだな」


「わたし、レオより覚えるの早いかも」


「否定できないのが悔しい」


 板が足りない部分には、赤樺(あかかば)とは別の厚い樹皮を重ねる。


 その上から、マーヤが持ってきた破れた天幕を細長く折り、押さえとして渡した。


「濡れた布が張りついたら、下の木まで傷むんじゃないかい?」


 マーヤが言う。


「長くはもたない。今は板が飛ばないようにするための仮留めだ。雨が過ぎたら、布を外して押さえ木を留め直す」


 屋根板の上へ細い木を渡す。


 その上から、マーヤが細長く切った天幕をかぶせ、両端を垂木へ結んだ。


 布が押さえ木を屋根へ引きつけることで、風が下から入り込んでも、屋根板が一枚ずつ飛ばされにくくなる。


 完全ではない。


 長く使えば、布も縄も傷む。


 それでも、期限を越えたあとに順番に取り替えられる。


「雲行きが怪しくなってきたぞ!」


 ネッサの声が飛ぶ。


 西を見る。


 昨日の夕方に見えた黒い雲が、町の近くまで迫っている。


 風が強くなり、屋根の上の布が鳴った。


「あとどれくらい?」


 ミラが空を見上げる。


「二刻もない」


 ネッサが答えた。


 屋根は、まだ三分の一ほど残っている。


 壁は下地が組み上がっただけで、布も板も張られていない。


 扉は手つかず。


 炉も、土を掘って石を運び込んだだけだ。


「エナさんを、このまま仮屋根に置いておけないね」


 セナが黒い雲を見上げた。


「店へ連れていくよ。雨が弱まったら戻る」


「お願いします」


 エナは何か言おうとしたが、セナに肩を貸されると、おとなしく町の方へ歩いていった。


「まず屋根を塞ぐ!」


 ガルドが怒鳴った。


「中へ雨が入れば、壁も炉も作れん! 全員、こっちへ回れ!」


 マーヤ、ボルツ、ネッサも、いったん手を止め、屋根の作業へ加わった。


 屋根板を運ぶ人。


 下で長さを合わせる人。


 上へ渡す人。


 固定する人。


 作業を分ける。

 俺は屋根の上で板を受け取り、順番に並べた。


 手のひらが痛む。


 傷口が開き、布へ血がにじんでいる。


 それでも、今は止まれない。


「レオ、板!」


「次!」


「こっちは樽板しかない!」


「継ぎ目のない方を軒先(のきさき)へ向けて!」


 風が強くなる。


 一枚の薄い板が手から離れた。


「あっ!」


 板は風に乗り、屋根の外へ飛ぶ。


 下にいたネッサが腕を伸ばし、空中でつかんだ。


「板を離すな、坊主!」


「助かった!」


「礼はいい! 気をつけろ!」


 風が弱まった瞬間を狙い、ネッサが板を差し出す。俺は身を乗り出さず、屋根の縁で受け取った。


 最後の隙間へ板を入れる。


 上から押さえ木を渡し、縄を締める。


「屋根、終わった!」


 ミラが叫ぶ。


「次は壁と扉だ!」


 喜ぶ暇はない。


     ◇


 壁の下地は、セナとマーヤが大半を組み終えていた。


 柱と柱の間には、細い枝が縦横に渡され、網のようになっている。


「残ってるところを塞ぐよ!」


 マーヤの声に、全員が手を動かす。


 残った隙間へ枝を足し、その外側へ破れた天幕や古い布を張る。


 壁をすべて木の板で作るだけの材料はない。


 雨を受ける側には樽板と回収した屋根板を並べ、反対側の壁には、ひとまず布を張って風を止めることにした。


 本来なら、枝の上へ泥と藁を混ぜたものを塗りたい。


 だが、今から塗っても乾くまでに時間がかかる。


「今日は布で風を止める」


 俺は言った。


「泥壁は、契約を守ったあとに仕上げる」


「布だけで壁と認められるのか?」


 ボルツが尋ねる。


「外から閉じられれば条件は満たす。でも、ガルドさんが安全だと判断しなければ意味がない」


 ガルドは答えず、壁の下地を揺らしている。


「下を固定しろ。風が入れば、布ごと持ち上がる」


 壁の下端へ重い樽板を置き、木栓で下地へ留める。


 余った部分は内側へ折り込む。


 入口には、壊れた家から回収した扉を使った。


 ただし、新しい家の開口部より大きい。


「切るしかない」


 扉の腐った下部を落とし、幅も少し狭める。


 蝶番は錆びていたが、まだ動いた。


 釘は貴重だ。


 昨日、排水溝で見つけた一本。


 さらに、商人たちが持ち寄った曲がった釘を直し、必要な場所だけに使う。


「釘を打つ場所を間違えるな」


 ガルドが言う。


「抜けば穴が広がる。二度目は利かなくなるぞ」


 蝶番を当て、扉の動きを確かめる。


 位置を炭で記す。


 一度外し、下穴を作る。


 釘を打つ。


 木槌(きづち)ではなく、ガルドが持ってきた小さな金槌(かなづち)を使う。


 まっすぐ。


 強く打ちすぎない。


 最後の一打で、釘の頭が蝶番へ密着した。


 扉を動かす。


 ぎい、と錆びた音を立てながら開いた。


 閉じる。


 柱へ当たった。


「入らない」


「上が当たってる」


 ミラが指差す。


 扉の上端(じょうたん)が、わずかに斜めだった。


 蝶番の位置ではなく、扉そのものが歪んでいる。


「削る」


「どこをだ?」


 ガルドが尋ねる。


 当たっている場所だけを削ればいい。


 だが、削りすぎれば隙間から風が入る。


 炭を扉の縁へ塗り、もう一度閉める。


 柱へ炭が移った位置を見る。


「ここだけ」


 (かんな)で少し削る。


 再び閉める。


 まだ当たる。


 もう一度。


 三度目で、扉が枠の中へ収まった。


「閉まった!」


 ミラが内側から扉を押さえる。


「外から開けられないようにするものは?」


(かんぬき)を作る」


 端材(はざい)を横へ渡し、柱の受けへ落とす。


 立派な鍵ではない。


 だが、夜に風や人が勝手に扉を開けることは防げる。


「窓は?」


 マーヤが尋ねる。


「壁の上に小さな開口を残す」


 ガラスはない。


 そのため、上へ押し上げて開ける小さな木戸を作った。


 雨の日は閉じ、炉を使うときは少し開ける。


 採光と換気を兼ねる。


 残るのは炉だった。


     ◇


 入口近くには、ボルツとネッサが選んだ平たい石が積まれていた。


 炉を置く場所の土も、すでに浅く掘り下げられている。


 木の床は作れないため、家の中は地面のままだ。だが、炉の周囲だけは燃えやすい枝や布を遠ざけてある。


「この石でいいのか?」


 ボルツが尋ねる。


「使える。大きいものを下にする」


 平たい石を三方に積み、鍋を載せられる隙間を残す。


 背面には、古い石壁から回収した厚い石を立てた。


「煙突は作らないの?」


 ミラが尋ねる。


「今から石と粘土で煙突を作っても、乾く前に崩れる」


「じゃあ煙は?」


「屋根の高い側に、煙を逃がす穴を作る」


 屋根の下へ溜まった熱い煙は、上へ上がる。


 高い側の壁に開口部を作り、そこから外へ逃がす。


 ただし、穴が大きすぎれば雨が入る。


 外側へ小さな(ひさし)を取りつけ、風向きに合わせて開口の位置をずらす。


「火をつけるぞ」


 ガルドが言った。


 炉へ乾いた木くずと細枝を置く。


 ミラが指を出した。


「わたしがやる」


「また自分の指を焼くなよ」


「大丈夫。ちゃんと小さく出せるから」


 指先に、小さな赤い光が生まれた。


 一度、揺らいで消える。


 ミラは悔しそうに唇を噛み、もう一度指先へ意識を集中した。


 今度は、先ほどより小さな火花が木くずへ落ちる。


 薄い煙に続いて、小さな炎が上がった。


「ついた!」


「息を吹きつけるな。灰が飛ぶ」


 ガルドが細い板でゆっくり風を送る。


 火は少しずつ大きくなった。


 煙が室内へ広がる。


「煙が抜けてない!」


 ミラが咳き込む。


「まだ空気の流れができてない」


 入口を少し開ける。


 低い位置から新しい空気が入り、熱い煙が上部の開口へ流れ始めた。


 しかし、すべては出ていかない。


 屋根の低い側へ、煙が溜まっている。


「開口が小さい」


 俺が言う。


「広げるか?」


「待て」


 ガルドが外へ出る。


 風向きを見る。


「風が穴へ吹き込んでる」


 外から風が入るため、煙が押し戻されている。


「庇の向きが逆だ」


 俺は外へ出て確認する。


 雨を防ぐことばかり考え、風の流れまで見ていなかった。


「付け替える」


「時間がないぞ」


「このままじゃ認証されない」


 庇を外し、向きを変える。


 開口部の両側へ小さな板を追加し、風が直接入らない形にする。


 もう一度、炉へ火を入れる。


 煙が上がる。


 入口から入った空気が室内を通り、煙を高い側へ押す。


 今度は、開口部から外へ細い煙が流れた。


「抜けた!」


 ミラが声を上げる。


 室内にはまだ木の煙の匂いが残っている。


 だが、目が痛くなるほどではない。


 ガルドは家の中へ入り、壁や屋根の下を見回した。


「煙はいい。だが、炉の囲いが低い」


「石を足そう」


「背と両脇だ。火の粉がこぼれん高さまで積め。ただし、空気の通り道は塞ぐな」


 指示どおり、背面と側面へ石を追加する。


 ようやく、必要なものはそろった。


「完成した?」


 ミラが尋ねる。


 俺は家の中を見る。


 三人が並んで眠れるだけの狭い空間。


 不ぞろいな柱。


 形の違う板を重ねた屋根。


 布と樽板を組み合わせた壁。


 古い扉。


 石を積んだだけの小さな炉。


 前世で関わった建物と比べれば、あまりに粗末だ。


 それでも、屋根がある。


 壁がある。


 扉を閉じられる。


 火を使える。


「完成した」


 言葉にした瞬間、屋根から音がした。


 ぽつり。


 もう一度。


 ぽつ、ぽつ。


 雨だった。


「外を見るぞ」


 ガルドが火へ砂をかけた。


     ◇


「どうして?」


 ミラが尋ねる。


「まず外から屋根と壁を見る。濡れたまま中を歩けば、どこから入った水か分からなくなる」


 雨脚が一気に強くなった。


 空は暗くなり、風を受けた布の壁が膨らむ。


 俺たちは家の周囲へ散った。


 屋根を流れた雨水が、軒先(のきさき)から落ちている。


 最初はまばらだった雫が、やがて途切れのない筋になった。


「溝に入ってる!」


 ミラが声を上げる。


 軒先の下に掘った溝が雨水を受け、家の後ろへ流している。


 屋根の水は、狙った場所へ落ちていた。


 だが、それだけでは安心できない。


「レオ、ミラ。足の泥を落として中を見てこい」


 ガルドが言う。


「俺たちは外から壁を調べる」


「ああ」


 入口の石で靴の泥を落とし、ミラと家の中へ入る。


 室内は薄暗い。


 屋根の裏を見上げる。


 今のところ、板の継ぎ目から落ちてくる水はない。


 壁の内側へ手を当てる。


 冷たく湿ってはいるが、滴るほどではなかった。


「レオ、こっち!」


 ミラが奥の角を指差す。


 一本の柱を、水が細く伝っていた。


「屋根から?」


 ミラと一緒に見上げる。


 屋根板の隙間からではない。


 軒の短い角へ風が吹き込み、外から回り込んだ雨が柱へ当たっている。


「庇が足りない」


 俺は外へ飛び出した。


 余っていた樽板を持ち上げ、柱の外側へ当てる。


「釘は柱に打つな!」


 ガルドが怒鳴った。


「でも、固定しないと飛ぶ!」


「その板一枚のために柱を傷めるな。別の留め方を考えろ!」


 柱へ留める必要はない。


 雨が直接当たらなければいい。


 樽板の上端を、軒先の押さえ木と屋根板の間へ差し込む。


 隙間へ細い木片を打ち込み、楔にして噛ませた。


 下端は外側へ斜めに出し、二つの石の間へ挟む。


 即席の雨よけだ。


「中を見てくる!」


 もう一度、家へ入る。


 柱を伝っていた水は、少しずつ細くなり、やがて止まった。


「止まったよ!」


 ミラが言う。


 その直後、足元へ冷たい水が触れた。


「今度は扉の下!」


 入口の外に泥水が溜まり、扉の隙間から室内へ流れ込んでいる。


 屋根から落ちた水は溝へ入っている。


 だが、風に押されて地面を流れてきた水が、入口へ集まっていた。


「入口の前にも溝を掘る!」


 平たい板を鍬代わりにして、土を削る。


 入口の手前を横切る浅い溝を作り、家の横の排水路へつなげる。


 溜まっていた泥水が、ゆっくりと新しい溝へ流れ始めた。


 扉の下から入る水も止まる。


「ほかも見るよ」


 ミラが壁際へ目を走らせた。


 俺も外へ出て、家の周囲を確認する。


 壁。


 屋根。


 炉。


 石台。


 短い柱を支える高い石台の上側から、泥水が回り込んでいた。


 石の隙間を埋めていた粘土が、わずかに流れ出している。


「ガルド、ここが危ない!」


 俺がしゃがみ込む。


 ガルドが石台へ手を掛け、力を加えた。


 まだ動いてはいない。


「粘土だけで水を止めようとするからだ」


「今から何ができる?」


「石台の上へ水を近づけるな。斜面の上側に溝を掘れ。台の周りは石で押さえる」


「分かった」


 ミラと二人で石を運ぶ。


 石台の周囲へ一つずつ置き、互いに噛み合うように組んでいく。


 さらに斜面の上側へ浅い溝を掘り、流れてくる水を左右へ分けた。


 石台へ回り込んでいた水が止まる。


 雨はさらに強くなった。


 服は全身へ張りつき、手に巻いた布からも水が滴っている。


 開いた傷が、脈を打つように痛んだ。


 それでも、家は立っている。


 強い風が吹き抜けた。


 布の壁が大きく内側へ膨らむ。


 骨組みが、ぎしりと鳴った。


 その音に混じって、乾いた木の音がする。


 家の中を見る。


 筋交いを留めている木栓が、少し浮いていた。


「筋交いの木栓が緩んでる!」


 俺は家へ飛び込んだ。


「ガルド、柱を押さえて!」


 ガルドとボルツが、外側から骨組みを支える。


「木槌!」


 ミラから受け取る。


 浮いた木栓へ木槌を当てた。


 一度打つ。


 接合部を見る。


 まだ隙間が残っている。


 もう一度。


 木栓が沈み、柱と斜め材の隙間が閉じた。


 直角に交わる壁の筋交いも確認する。


 そちらは緩んでいない。


「風が来るぞ!」


 ネッサの声が飛んだ。


 直後、家全体へ突風がぶつかった。


 布の壁が鳴る。


 屋根板が浮き上がろうとする。


 押さえ木に縛った布が張り、縄が激しくきしんだ。


 俺は柱へしがみつく。


 骨組みがわずかにねじれた。


 だが、筋交いが突っ張り、四角い形を元へ戻す。


 石台は動かない。


 四隅の控え縄が張り、杭も抜けていない。


 屋根板も飛ばなかった。


「耐えた……」


 息を吐く。


 ガルドは答えなかった。


 雨の中を歩き、柱を揺らし、壁と屋根を一つずつ確かめている。


 しばらくして、黒かった空が少しずつ明るくなった。


 雨は降り続いている。


 だが、風は弱まり始めていた。


 家は、まだ立っていた。


     ◇


 日没が近づいたころ、紺色の外套を着た男が現れた。


 昨日、赤い印を描いたドーレン商会の人間だ。


 今日は一人ではない。


 荷車を引く男が二人。荷台には、鉄の棒や大槌まで載っている。


 最初から、残った壁を壊すつもりで来たのだろう。


「これは驚きました」


 商会の男が、小さな家を見上げる。


「本当に何か建てたのですね」


「何かじゃない。家だ」


 俺は答えた。


「それを決めるのは、あなたではありません」


 男は濡れた革靴を気にしながら近づいてくる。


「期限は日没までです。親方の認証は受けたのですか?」


 ガルドを見る。


 男も同じ方向へ目を向けた。


「ガルド親方。まさか、これを家として認めるおつもりではありませんよね」


「今から見る」


「雨の中で急ごしらえした小屋でしょう。事故が起きれば、親方の責任になりますよ」


「分かってる」


 気づけば、道の向こうでは、店から戻ってきたセナとエナも、検査の邪魔にならない場所で心配そうに、見ていた。


 ガルドは道具袋から短い棒を取り出した。


 まず、四本の柱を一本ずつ叩く。


 音を聞く。


 手で揺らす。


 石台の沈みを確認する。


 柱脚の横材と四隅の杭、控え縄の緩みも見る。


 次に、(はり)と柱の接合部を見る。


 木栓の入り方。


 欠き込みの深さ。


 筋交いの固定。


 屋根の上を流れる雨。


 軒先(のきさき)から落ちた水の行き先。


 壁を押す。


 扉を開け、閉じる。


 かんぬきを掛ける。


 窓を開ける。


 炉へ火を入れる。


 煙が上の開口から外へ出ていく。


 検査されている間、誰も話さなかった。


 雨の音だけが続く。


 ガルドが家の中へ入り、屋根裏を見上げる。


 土間の四隅へ手を当て、雨水が染みていないか確かめる。


 入口の溝を見る。


 そして、外へ出た。


「どうです?」


 商会の男が尋ねる。


 ガルドは答えない。


 俺を見る。


「レオ」


「何?」


「この家は、何年もつ?」


 予想していなかった質問だった。


「分からない」


 正直に答える。


 商会の男が笑う。


「自分で建てた家の寿命も分からないのですか」


「使っている木の状態も全部違う。布の壁は長くもたない。屋根の縄も取り替える必要がある」


 俺は家を見る。


「このまま何も直さなければ、長くはもたない」


「なら、家とは――」


「でも、直す」


 男の言葉を遮る。


「布張りの壁は、泥と藁で仕上げる。屋根を押さえている布と縄も、傷む前に木の留め具へ替える。石台が沈んでいないか、雨のあとに確かめる。屋根板が動けば、そのたびに直す」


 ガルドが黙って聞いている。


「これは完成した家だけど、完成したまま放っておく家じゃない」


「言っていることが矛盾していますよ」


「してない」


 前世では、完成という言葉を引き渡しの日に使っていた。


 だが、そこで建物の時間が止まるわけではない。


「今日、三人が安全に眠れる家として完成した。明日からは、もっと暮らしやすい家へ直していく」


 雨に濡れた不ぞろいな屋根。


 廃材を組み合わせた壁。


 四本の長さが違う柱。


 それでも、人を雨から守っている。


「家は、一度作ったら終わりじゃない」


 ガルドが、わずかに口元を上げた。


「ようやく、少しは分かったか」


 道具袋から、木製の小さな札を取り出す。


 表面には、手斧と板を組み合わせた印が彫られていた。


 ガルドは入口の柱へ札を当てる。


 金槌(かなづち)を取り出し、札に釘を一本あてた。


 黒パン一つ分の価値がある釘。


 一度打てば、簡単にはやり直せない。


 金槌(かなづち)が振り下ろされる。


 乾いた音が響いた。


「木工組合の親方、ガルドの名で認める」


 もう一度。


 釘が札へ沈む。


「この建物は、雨風を防ぎ、三人が暮らすことのできる家だ」


 最後の一打。


 札が柱へ固定された。


「そんな――」


 商会の男の顔から笑みが消える。


「このような建物を認証すると?」


「契約書では、建築に関わる親方の資格を持つ者が認めれば、土地の使用契約は続く。違うか?」


 ガルドが男を見る。


「違うか?」


「……契約上は」


「なら、壊すものはない。帰れ」


 商会の男は、しばらく家と認証札を見比べていた。


「この程度の家では、いずれまた倒壊します」


「その前に直す」


 俺が答える。


「土地があなたのものになるわけではありませんよ」


「分かってる」


「何の価値もない場所です」


「それを決めるのは、あんたじゃない」


 男の眉が動く。


 だが、これ以上言えることはなかった。


 連れてきた作業員へ短く指示し、荷車とともに立ち去っていく。


 赤い印のついた古い石壁は残っている。


 区画の使用権も、まだ商会にある。


 問題がすべて終わったわけではない。


 それでも、今日壊されることはなくなった。


「住める……」


 ミラが呟く。


 家の中へ駆け込む。


 扉を開け、奥へ進み、屋根を見上げる。


 雨は降っている。


 濡れた髪から雫は落ちていた。


 けれど、屋根から新しい雨粒がミラの髪や肩へ落ちてくることはない。


「おばあちゃん!」


 ミラが道の方へ向かって叫ぶ。


「家ができたよ!」


 少し離れたところで、セナに支えられたエナが足を速めようとした。


「走らなくても、家は逃げないよ」


 セナにたしなめられながら、エナはゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 新しい家の前で足を止める。


 不揃いな柱へ、そっと手を添える。


 入口の認証札を見上げ、それから俺へ顔を向けた。


「立派な家だねえ」


「狭いです。壁も、まだ途中で」


「そうだね」


 エナは柱を撫でながら、屋根を見上げた。


「直すところは、まだたくさんあるんだろうね」


「はい。屋根も、雨がやんだら見直さないと」


「なら、これから少しずつ直していけばいい」


 エナは開いた扉の向こうへ目を向ける。


「今夜、三人が雨に濡れずに眠れる。それなら、十分立派な家だよ」


 エナは家の中へ入り、炉の前へゆっくり腰を下ろした。


 ミラが、その隣へ寄り添う。


 二人の姿を見て、ようやく身体から力が抜けた。


 足元がふらつく。


「レオ?」


「大丈夫」


 一歩進もうとして、膝が崩れた。


 地面へ倒れる前に、ガルドが襟をつかむ。


「何が大丈夫だ」


「ちょっと疲れただけ」


「手を見せろ」


 濡れた布を外される。


 傷口は開き、手のひらが赤く腫れていた。


「今日はもう終わりだ」


「でも、道具を――」


「片づけは俺たちがやる」


「借りが増える」


「なら、治ってから返せ」


 ガルドが俺を家の中へ押し込む。


「職人は怪我をしても働くんじゃなかったの?」


 ミラが笑う。


「馬鹿はそうするらしい」


 俺が答えると、ガルドが鼻を鳴らした。


「お前はまだ馬鹿の方だ」


     ◇


 夜。


 新しい家の中で、三人並んで横になった。


 狭い。


 俺は入口の近く。


 隣にミラ。


 奥にエナ。


 少し身体を動かせば、すぐ隣へぶつかる。


 夕食を温めた炉の火は消してあるが、石にはまだわずかな熱が残っている。


 外では、まだ雨が降っていた。


 屋根を打つ音がする。


 だが、一滴も落ちてこない。


「レオ」


 暗闇の中で、ミラが言った。


「何?」


「次は、どこに部屋を足すの?」


「もう増築の話?」


「狭いから」


「十分って言ってたじゃないか」


「おばあちゃんには十分。わたしは、自分の場所がほしい」


「贅沢だな」


「レオは?」


 自分の場所。


 前の世界で、最後まで作れなかったもの。


「俺は、作業する場所がほしい」


「何を作るの?」


「まだ分からない」


 家を直す。


 広場の排水を整える。


 セナの店の雨漏りを見る。


 ボルツの露店へ水がたまらないようにする。


 マーヤへ屋根の張り方を教える。


 すでに、いくつもの約束がある。


 それを終えたら、また別の壊れた場所が見つかるだろう。


「でも、何か作る」


「じゃあ、次はレオの部屋だね」


「ミラの場所が先じゃないのか?」


「一緒でいいよ」


「狭くなるぞ」


「今よりは広い」


 ミラの声が、少しずつ眠そうになる。


「大きくしていこうね」


「ああ」


「木みたいに」


「ああ」


 返事をしたころには、ミラは眠っていた。


 屋根を打つ雨音を聞く。


 前の世界で、俺が最後に聞いた音と同じだ。


 あの日、俺は雨漏りの原因を探しながら死んだ。


 今は、自分で作った屋根の下にいる。


 完璧な屋根ではない。


 立派な家でもない。


 明日になれば、直すべき場所がいくつも見つかる。


 それでも、ここには雨を恐れず眠る人がいる。


 俺は暗闇の中で、柱へ打たれた認証札を見た。


 異世界で初めて建てた家。


 そして、俺が初めて自分の意志で完成させた建物。


 始まりは、三人が横になれるだけの小さな一部屋だった。


 けれど、家は小さく始めればいい。


 人の居場所も、きっと同じだ。


 明日から、この家を育てていく。


 そして俺は、この町にある壊れたものを、一つずつ直していく。


 雨音を聞きながら、俺は二度目の人生で初めて、帰る場所を手に入れた。

お読みいただきありがとうございます。


レオたちは、無事に最初の家を完成させることができました。

次回からは、町の人々との約束を果たしながら、レオの建築が少しずつ周囲へ広がっていきます。

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