第六話 雨が、家を試す
家を建てる日は、朝が来る前から始まっていた。
「起きろ、レオ」
肩を揺さぶられ、目を開ける。
仮の屋根の外はまだ暗い。
入口に立っていたガルドは、すでに作業着姿だった。肩には道具袋を提げ、片手に油の入った小さな灯りを持っている。
「日の出と同時じゃなかったのか?」
「日の出と同時に柱を立てる。その前に準備をするんだ」
「昨日は暗い中で作業するなって――」
「組むなと言った。準備まで止めた覚えはない」
言葉を返す前に、ガルドは背を向けた。
「顔を洗って来い。寝ぼけた頭で縄を結ぶなよ」
「分かった」
「お前の分かったは――」
「信用できないんだろ?」
「分かってきたじゃねえか」
褒められた気はしない。
俺は身体を起こした。
昨夜は早く眠ったはずなのに、全身が重い。
森で柱を運んだ疲れが残っている。傷ついた手のひらも、布の下でじくじくと痛んだ。
それでも、横になっている場合ではない。
今日の日没までに家を完成させなければ、この土地はドーレン商会に回収される。
柱を立てる。
梁を渡す。
屋根を載せる。
壁を作る。
扉と開口部を設ける。
炉を完成させ、煙が外へ抜けることを確かめる。
そして、ガルドから居住可能の印をもらう。
やることを頭の中で並べるほど、時間が足りないように思えた。
「レオ」
ミラが藁の上から身体を起こす。
「わたしも行く」
「まだ寝てていい」
「今日、家を建てるんでしょ」
「ああ」
「わたしの家でもある」
ミラは眠そうな目をこすりながら立ち上がった。
その後ろでは、エナが毛布に包まれたまま、こちらを見ている。
「無理をするんじゃないよ」
「分かってる」
「二人ともだよ」
俺とミラが同時に返事をすると、エナは困ったように笑った。
◇
空が白み始めるころには、人が集まり始めていた。
パン屋のセナ。
魚売りのボルツ。
布売りのマーヤ。
森番のネッサまで、長い棒を肩に担いで立っている。
「どうしてネッサさんが?」
「家が建つところを見に来ると言っただろう」
「森の仕事は?」
「早朝の見回りは終わらせた」
ネッサが担いでいた棒を地面へ下ろす。
先端が二股に分かれている。
「柱を起こすときに使え。人の手だけで押せば、途中で倒れる」
「借りていいのか?」
「返せる状態で使え」
この町の人は、物を貸すときに必ず脅す決まりでもあるのだろうか。
「おい、レオ」
ボルツが大きな籠を置く。
中には、昨日約束していた魚と、平たい石が入っていた。
「魚屋は石も扱ってるのか?」
「馬鹿なこと言うな。市場の裏にあった石を持ってきてやったんだよ」
「勝手に持ってきてないよな?」
「俺をお前と一緒にするな」
過去のレオが盗みを働いたせいで、何を言っても弱い。
マーヤは破れた天幕を細長く切り分けていた。
「布を縄みたいに使えるようにしておいたよ」
「壁に張る分は?」
「ちゃんと残してある。全部ひもにするほど間抜けじゃない」
セナは大きな鍋を抱えている。
「昼に食べるものを作る。空腹で倒れられたら邪魔だからね」
「ありがとう」
「礼は屋根ができてから」
誰も、無条件で助けるとは言わない。
それでも、必要なものを持ってここへ来てくれた。
昨日までの俺は、この町で釘を盗んだ子どもだった。
今も、信用されたわけではない。
ただ、少しだけ様子を見てもらえるようになった。
その時間を無駄にはできない。
「まず、柱を立てる」
俺は地面へ張られた縄を確認した。
夜の間に、四隅の石台が崩れた様子はない。
粘土も固まり始めている。
短い柱を載せる石台だけ、ほかより高い。
「柱を置く前に、もう一度高さを確認する」
ガルドが言った。
「昨日合わせたんじゃないのか?」
「夜露で周りの土が緩んだかもしれん。小石が動いた可能性もある」
「誰も踏んでないよ」
ミラが言う。
「お前は一晩中見張ってたのか?」
「寝てた」
「なら確認しろ」
ガルドは二本の棒を立て、間へ縄を張った。
目の高さを合わせ、四つの石台を一つずつ確認する。
一か所だけ、昨日よりわずかに沈んでいた。
「石一枚分もない」
俺が言う。
「だから見逃すのか?」
「いや、直す」
薄い石を外し、下へ小石を詰め直す。
薄い石片を噛ませ、周囲の土を突き固めてから、再び高さを合わせた。
ほんのわずかな差だ。
だが、柱の上で梁を組むとき、そのわずかな差が大きなずれになる。
「最初の間違いは、上へ行くほど大きくなる」
ガルドが言った。
「覚えておけ」
前世で何度も見た。
基準の線がずれたまま仕上げまで進み、最後に扉が閉まらなくなる。
最初に数分かけて確認すれば防げたことを、後から何日もかけて直す。
「わかった」
「口じゃなく、手で覚えろ」
石台の上へ、森でもらった赤樺の皮を敷く。
乾かした皮は薄いが、触ると表面が滑らかで、水を弾きそうだった。
「柱を石に直接触れさせないんだっけ?」
ミラが昨日の話を思い出したように言う。
「そうだ。石が吸った水を、木へ移しにくくする。」
「これだけで大丈夫なの?」
「永遠にはもたない。でも、何も挟まないよりはいい」
「永遠にもつ家はねぇ」
ガルドが柱を転がしながら言った。
「傷んだ場所を直しながら住むのが家だ」
家は完成した瞬間で終わるものではない。
住み始めてからも、雨に打たれ、風に揺られ、人の暮らしに削られていく。
手入れをせず、永遠に同じ状態を保てる建物などない。
その言葉は、この世界でも変わらないらしい。
「持ち上げるぞ!」
ガルドの声に、人が柱の周りへ集まる。
最初に立てるのは、森から運んだ一番太い柱だ。
根元を石台の近くへ置き、柱の上部に四本の縄を結ぶ。
ネッサが持ってきた二股の棒を幹の下へ差し込む。
「俺とボルツが根元を見る」
ガルドが指示を出す。
「ネッサは棒で押せ。セナとマーヤは縄を引く。レオとミラは横から支えろ。柱の下に足を入れるな」
「分かった」
「せぇので上げるぞ」
ガルドが息を吸う。
「せぇの!」
柱がゆっくりと持ち上がった。
最初は軽く動いたが、角度がつくほど重くなる。
縄を引く二人が後ろへ下がり、ネッサが二股の棒を押し上げる。
俺は柱の横へ肩を当てた。
「重っ……!」
「声を出す暇があるなら押せ!」
足元が滑る。
ミラが隣で歯を食いしばっていた。
柱は地面から四十五度ほど起きたところで、一度止まった。
「縄を緩めるな!」
ガルドが怒鳴る。
「ネッサ、もう一段上だ!」
「分かっている!」
二股の棒が柱を押し上げる。
さらに縄が引かれた。
柱が垂直に近づく。
「根元を石台へ!」
ガルドとボルツが柱の下部を動かす。
赤樺の皮を敷いた石台の中央へ、柱がゆっくりと降ろされた。
「離すな!」
ガルドが一本目の縄を杭へ結ぶ。ボルツとネッサも残りの縄を四方の杭へ固定した。
柱はようやく、その場に立った。
まだ一本だけ。
梁も壁もつながっていないため、縄を外せばすぐに倒れる。
「立った……」
ミラが見上げる。
昨日まで地面に横たわっていた木が、初めて家の高さを示していた。
「次だ」
ガルドは余韻に浸る時間をくれない。
二本目。
三本目。
同じ作業を繰り返す。
一本ごとに、太さも重さも違う。
三本目はわずかに曲がっていたため、どの面を外へ向けるかを決めなければならなかった。
「曲がった方は外へ向けたほうがいいのか?」
俺が尋ねる。
「屋根の重さがかかったとき、どう動くか考えろ」
柱の曲がりを見る。
内側へ膨らんだ状態で置けば、屋根の力を受けたときにさらに内へ倒れやすい。
「膨らんでいる方を外へ向ける。内側へ出っ張ると、壁を張りにくい」
「屋根の重さで、さらに曲がるかもしれんぞ」
「だから梁と筋交いで動かないように押さえる。それでも、内側へ向けるよりはいい」
「なら、そうしろ」
最後の一本は、壊れた家から残した短い柱だった。
腐った根元を切り落としたため、ほかの柱より明らかに短い。
高く積んだ石台へ載せる。
「上を見ろ」
ガルドが言う。
四本の柱の上端を見比べる。
完全に同じではない。
短い柱の側だけ、指一本ほど高かった。
「石台を削る?」
「石を削ってる暇はない」
「柱を切る」
「切りすぎたら戻せんぞ」
必要な分だけ炭で線を引く。
柱を一度下ろし、線の外側へ鋸を入れる。
急いではいけない。
だが、時間はない。
矛盾する二つの言葉を頭の中で繰り返しながら、鋸を引いた。
切断面は、昨日より真っすぐになった。
再び柱を立てる。
今度は四本の上端がほぼ揃った。
「次は梁だ」
◇
柱の上へ横材を載せるには、足場が必要だった。
立派な足場を組む材料はない。
そのため、古い樽と木箱の上へ厚い板を渡し、簡易の作業台を作った。
「揺れる」
俺が板へ乗ると、足元がわずかに動いた。
「降りろ」
ガルドにすぐ止められる。
「この程度なら――」
「お前の意見は聞いてない」
板を外し、樽の下へ平たい石を詰める。
木箱にも斜め材を当てて固定する。
もう一度乗る。
今度は揺れなかった。
「家を作るための足場で怪我をしたら、笑い話にもならん」
ガルドはそう言いながら、自分で板の中央を何度も踏んで確認した。
柱と梁をつなぐ部分には、あらかじめ浅い欠き込みを作ってある。
柱の上端を少し削り、梁がずれにくい形にした。
本格的な仕口を作る時間も技術もない。
それでも、ただ上へ載せて縄で縛るだけよりは強い。
「梁を上げるぞ!」
再び人が集まる。
柱より軽いとはいえ、頭の上まで持ち上げるのは簡単ではない。
梁を縄で引き上げ、作業台の上で俺とガルドが受け取る。
「持つ位置を考えろ、指を挟むぞ」
「分かってる」
「言われた直後に危ない持ち方をするな!」
怒鳴られ、慌てて手を移す。
梁を柱の欠き込みへ落とす。
片側は入った。
反対側が入らない。
「柱が開いてる」
俺が下を見る。
二本の柱の間隔が、上部でわずかに広がっていた。
「縄を引け!」
ガルドが下へ指示する。
セナたちが柱に結んだ縄を引き、間隔を狭める。
梁の端が欠き込みへ入った。
「今だ。木栓を打て」
あらかじめ開けた穴へ、硬い木で作った栓を差し込む。
木槌で打つ。
一度。
二度。
三度。
「止めろ」
以前なら、もう一度打っていた。
だが、接合部の木がわずかに膨らんでいる。
「ここまで」
「少しは覚えたな」
四本の梁が柱をつないだ。
柱の足元にも低い横材を回し、木栓で四本をつなぐ。さらに四隅の外へ深く杭を打ち、控え縄で骨組みを地面へ引きつけた。縄は通り道へ出さず、夜でも見えるよう杭の先へ布を結ぶ。
「これで風に浮かされにくくなる」
「縄は雨の前と後に締め直せ」
ガルドが一本ずつ張りを確かめた。
「落ち着いたら、木の控えへ替える。仮のまま忘れるな」
仮の縄を一本外す。
柱は倒れない。
もう一本外す。
骨組みはわずかに揺れたが、形を保っていた。
「家みたいになった!」
ミラが声を上げる。
「まだ四角い木の枠だ」
俺は答えた。
「でも、昨日は縄しかなかった」
確かにそうだ。
地面の線だったものが、立体になっている。
しかし、ここで安心するわけにはいかない。
「横から押してみろ」
ガルドが言う。
「今?」
「今だからだ」
柱へ手を当て、体重をかける。
骨組み全体が横へ動いた。
「思ったより揺れる」
「四角は弱い」
「筋交いを入れる」
露店の骨組みから取った細い木を、柱と梁の間へ斜めに当てる。
長さを測り、端を削る。
木栓と縄を併用して固定した。
向かい側だけでなく、直角に交わる部分にも筋交いを入れる。
もう一度押す。
今度は動きが小さい。
「揺れなくなった!」
ミラが同じように柱を押す。
「斜めの一本が、四角の形を守る」
「細いのに?」
「太さだけじゃない。受け持つ力が違うんだ」
「受け持つ力?」
「柱と梁だけなら、横から押されたときに四角が潰れる。でも斜めに一本入れれば、こいつが突っ張って形を守る」
人の力も同じだった。
子どもの俺とミラだけでは、柱一本すら立てられない。
だが、誰がどこを支えるかを決めれば、一人では動かせない木を起こせる。
◇
屋根へ取りかかる前に、セナが魚の入ったスープを配った。座って食べる時間はなく、全員が器を手にしたまま流し込んだ。
太陽が高く上がるころ、屋根の骨組みへ取りかかった。
「ここからは手を分けるぞ」
ガルドが全員を見回した。
俺とガルドが屋根を組む。
セナとマーヤには、骨組みの間へ細い枝を渡し、壁の下地を作ってもらう。
ボルツとネッサには、俺が示した場所の土を掘り下げ、炉に使えそうな平たい石を選んでもらった。
ミラは材料を運びながら、人手の足りないところへ回る。
一つの作業が終わるのを待っている余裕はない。できるところから、同時に進めるしかなかった。
片流れの屋根にするため、片側の梁の上へ短い束を数本立てる。
束の上へ横木を渡して固定し、反対側の梁との間へ垂木を掛けた。
「もっと傾けなくていいの?」
ミラが尋ねる。
「傾きが急な方が、水は早く流れる」
「なら、もっと高くすればいいんじゃない?」
「高くするほど、風を受ける。それに材料も必要になる」
この屋根材は、形も大きさもそろっていない。
勾配が緩すぎれば、水が隙間から中へ入る。
逆に急すぎれば、板が滑り落ちやすい。
使える材料と風の強さの間で、ちょうどいい角度を探す必要がある。
前世なら、屋根材ごとに必要な勾配が決められていた。
今は、自分で雨の流れを想像するしかない。
「これくらい」
垂木の角度を決める。
ガルドが少し離れ、横から屋根の線を見る。
「昨日の仮屋根よりはましだ」
「褒めてる?」
「比較の相手が、昨日のお前だぞ」
やはり褒めてはいない。
屋根板を軒先側から並べる。
広場でもらった樽板。
壊れた家から回収した板。
露店に使われていた薄い木。
形も厚さも違う。
大きな板を下に置き、その継ぎ目を上段の板で覆う。
隙間が重ならないよう、位置をずらして並べる。
「下から置く理由、覚えてるか?」
俺がミラに尋ねる。
「下の板に、上の板を重ねるんでしょ」
「どうして?」
「雨が隙間に入らないで、そのまま下へ流れるから」
「正解」
「ほら、ちゃんと覚えてた」
「俺より?」
「レオより」
「そこは迷わないんだな」
「わたし、レオより覚えるの早いかも」
「否定できないのが悔しい」
板が足りない部分には、赤樺とは別の厚い樹皮を重ねる。
その上から、マーヤが持ってきた破れた天幕を細長く折り、押さえとして渡した。
「濡れた布が張りついたら、下の木まで傷むんじゃないかい?」
マーヤが言う。
「長くはもたない。今は板が飛ばないようにするための仮留めだ。雨が過ぎたら、布を外して押さえ木を留め直す」
屋根板の上へ細い木を渡す。
その上から、マーヤが細長く切った天幕をかぶせ、両端を垂木へ結んだ。
布が押さえ木を屋根へ引きつけることで、風が下から入り込んでも、屋根板が一枚ずつ飛ばされにくくなる。
完全ではない。
長く使えば、布も縄も傷む。
それでも、期限を越えたあとに順番に取り替えられる。
「雲行きが怪しくなってきたぞ!」
ネッサの声が飛ぶ。
西を見る。
昨日の夕方に見えた黒い雲が、町の近くまで迫っている。
風が強くなり、屋根の上の布が鳴った。
「あとどれくらい?」
ミラが空を見上げる。
「二刻もない」
ネッサが答えた。
屋根は、まだ三分の一ほど残っている。
壁は下地が組み上がっただけで、布も板も張られていない。
扉は手つかず。
炉も、土を掘って石を運び込んだだけだ。
「エナさんを、このまま仮屋根に置いておけないね」
セナが黒い雲を見上げた。
「店へ連れていくよ。雨が弱まったら戻る」
「お願いします」
エナは何か言おうとしたが、セナに肩を貸されると、おとなしく町の方へ歩いていった。
「まず屋根を塞ぐ!」
ガルドが怒鳴った。
「中へ雨が入れば、壁も炉も作れん! 全員、こっちへ回れ!」
マーヤ、ボルツ、ネッサも、いったん手を止め、屋根の作業へ加わった。
屋根板を運ぶ人。
下で長さを合わせる人。
上へ渡す人。
固定する人。
作業を分ける。
俺は屋根の上で板を受け取り、順番に並べた。
手のひらが痛む。
傷口が開き、布へ血がにじんでいる。
それでも、今は止まれない。
「レオ、板!」
「次!」
「こっちは樽板しかない!」
「継ぎ目のない方を軒先へ向けて!」
風が強くなる。
一枚の薄い板が手から離れた。
「あっ!」
板は風に乗り、屋根の外へ飛ぶ。
下にいたネッサが腕を伸ばし、空中でつかんだ。
「板を離すな、坊主!」
「助かった!」
「礼はいい! 気をつけろ!」
風が弱まった瞬間を狙い、ネッサが板を差し出す。俺は身を乗り出さず、屋根の縁で受け取った。
最後の隙間へ板を入れる。
上から押さえ木を渡し、縄を締める。
「屋根、終わった!」
ミラが叫ぶ。
「次は壁と扉だ!」
喜ぶ暇はない。
◇
壁の下地は、セナとマーヤが大半を組み終えていた。
柱と柱の間には、細い枝が縦横に渡され、網のようになっている。
「残ってるところを塞ぐよ!」
マーヤの声に、全員が手を動かす。
残った隙間へ枝を足し、その外側へ破れた天幕や古い布を張る。
壁をすべて木の板で作るだけの材料はない。
雨を受ける側には樽板と回収した屋根板を並べ、反対側の壁には、ひとまず布を張って風を止めることにした。
本来なら、枝の上へ泥と藁を混ぜたものを塗りたい。
だが、今から塗っても乾くまでに時間がかかる。
「今日は布で風を止める」
俺は言った。
「泥壁は、契約を守ったあとに仕上げる」
「布だけで壁と認められるのか?」
ボルツが尋ねる。
「外から閉じられれば条件は満たす。でも、ガルドさんが安全だと判断しなければ意味がない」
ガルドは答えず、壁の下地を揺らしている。
「下を固定しろ。風が入れば、布ごと持ち上がる」
壁の下端へ重い樽板を置き、木栓で下地へ留める。
余った部分は内側へ折り込む。
入口には、壊れた家から回収した扉を使った。
ただし、新しい家の開口部より大きい。
「切るしかない」
扉の腐った下部を落とし、幅も少し狭める。
蝶番は錆びていたが、まだ動いた。
釘は貴重だ。
昨日、排水溝で見つけた一本。
さらに、商人たちが持ち寄った曲がった釘を直し、必要な場所だけに使う。
「釘を打つ場所を間違えるな」
ガルドが言う。
「抜けば穴が広がる。二度目は利かなくなるぞ」
蝶番を当て、扉の動きを確かめる。
位置を炭で記す。
一度外し、下穴を作る。
釘を打つ。
木槌ではなく、ガルドが持ってきた小さな金槌を使う。
まっすぐ。
強く打ちすぎない。
最後の一打で、釘の頭が蝶番へ密着した。
扉を動かす。
ぎい、と錆びた音を立てながら開いた。
閉じる。
柱へ当たった。
「入らない」
「上が当たってる」
ミラが指差す。
扉の上端が、わずかに斜めだった。
蝶番の位置ではなく、扉そのものが歪んでいる。
「削る」
「どこをだ?」
ガルドが尋ねる。
当たっている場所だけを削ればいい。
だが、削りすぎれば隙間から風が入る。
炭を扉の縁へ塗り、もう一度閉める。
柱へ炭が移った位置を見る。
「ここだけ」
鉋で少し削る。
再び閉める。
まだ当たる。
もう一度。
三度目で、扉が枠の中へ収まった。
「閉まった!」
ミラが内側から扉を押さえる。
「外から開けられないようにするものは?」
「閂を作る」
端材を横へ渡し、柱の受けへ落とす。
立派な鍵ではない。
だが、夜に風や人が勝手に扉を開けることは防げる。
「窓は?」
マーヤが尋ねる。
「壁の上に小さな開口を残す」
ガラスはない。
そのため、上へ押し上げて開ける小さな木戸を作った。
雨の日は閉じ、炉を使うときは少し開ける。
採光と換気を兼ねる。
残るのは炉だった。
◇
入口近くには、ボルツとネッサが選んだ平たい石が積まれていた。
炉を置く場所の土も、すでに浅く掘り下げられている。
木の床は作れないため、家の中は地面のままだ。だが、炉の周囲だけは燃えやすい枝や布を遠ざけてある。
「この石でいいのか?」
ボルツが尋ねる。
「使える。大きいものを下にする」
平たい石を三方に積み、鍋を載せられる隙間を残す。
背面には、古い石壁から回収した厚い石を立てた。
「煙突は作らないの?」
ミラが尋ねる。
「今から石と粘土で煙突を作っても、乾く前に崩れる」
「じゃあ煙は?」
「屋根の高い側に、煙を逃がす穴を作る」
屋根の下へ溜まった熱い煙は、上へ上がる。
高い側の壁に開口部を作り、そこから外へ逃がす。
ただし、穴が大きすぎれば雨が入る。
外側へ小さな庇を取りつけ、風向きに合わせて開口の位置をずらす。
「火をつけるぞ」
ガルドが言った。
炉へ乾いた木くずと細枝を置く。
ミラが指を出した。
「わたしがやる」
「また自分の指を焼くなよ」
「大丈夫。ちゃんと小さく出せるから」
指先に、小さな赤い光が生まれた。
一度、揺らいで消える。
ミラは悔しそうに唇を噛み、もう一度指先へ意識を集中した。
今度は、先ほどより小さな火花が木くずへ落ちる。
薄い煙に続いて、小さな炎が上がった。
「ついた!」
「息を吹きつけるな。灰が飛ぶ」
ガルドが細い板でゆっくり風を送る。
火は少しずつ大きくなった。
煙が室内へ広がる。
「煙が抜けてない!」
ミラが咳き込む。
「まだ空気の流れができてない」
入口を少し開ける。
低い位置から新しい空気が入り、熱い煙が上部の開口へ流れ始めた。
しかし、すべては出ていかない。
屋根の低い側へ、煙が溜まっている。
「開口が小さい」
俺が言う。
「広げるか?」
「待て」
ガルドが外へ出る。
風向きを見る。
「風が穴へ吹き込んでる」
外から風が入るため、煙が押し戻されている。
「庇の向きが逆だ」
俺は外へ出て確認する。
雨を防ぐことばかり考え、風の流れまで見ていなかった。
「付け替える」
「時間がないぞ」
「このままじゃ認証されない」
庇を外し、向きを変える。
開口部の両側へ小さな板を追加し、風が直接入らない形にする。
もう一度、炉へ火を入れる。
煙が上がる。
入口から入った空気が室内を通り、煙を高い側へ押す。
今度は、開口部から外へ細い煙が流れた。
「抜けた!」
ミラが声を上げる。
室内にはまだ木の煙の匂いが残っている。
だが、目が痛くなるほどではない。
ガルドは家の中へ入り、壁や屋根の下を見回した。
「煙はいい。だが、炉の囲いが低い」
「石を足そう」
「背と両脇だ。火の粉がこぼれん高さまで積め。ただし、空気の通り道は塞ぐな」
指示どおり、背面と側面へ石を追加する。
ようやく、必要なものはそろった。
「完成した?」
ミラが尋ねる。
俺は家の中を見る。
三人が並んで眠れるだけの狭い空間。
不ぞろいな柱。
形の違う板を重ねた屋根。
布と樽板を組み合わせた壁。
古い扉。
石を積んだだけの小さな炉。
前世で関わった建物と比べれば、あまりに粗末だ。
それでも、屋根がある。
壁がある。
扉を閉じられる。
火を使える。
「完成した」
言葉にした瞬間、屋根から音がした。
ぽつり。
もう一度。
ぽつ、ぽつ。
雨だった。
「外を見るぞ」
ガルドが火へ砂をかけた。
◇
「どうして?」
ミラが尋ねる。
「まず外から屋根と壁を見る。濡れたまま中を歩けば、どこから入った水か分からなくなる」
雨脚が一気に強くなった。
空は暗くなり、風を受けた布の壁が膨らむ。
俺たちは家の周囲へ散った。
屋根を流れた雨水が、軒先から落ちている。
最初はまばらだった雫が、やがて途切れのない筋になった。
「溝に入ってる!」
ミラが声を上げる。
軒先の下に掘った溝が雨水を受け、家の後ろへ流している。
屋根の水は、狙った場所へ落ちていた。
だが、それだけでは安心できない。
「レオ、ミラ。足の泥を落として中を見てこい」
ガルドが言う。
「俺たちは外から壁を調べる」
「ああ」
入口の石で靴の泥を落とし、ミラと家の中へ入る。
室内は薄暗い。
屋根の裏を見上げる。
今のところ、板の継ぎ目から落ちてくる水はない。
壁の内側へ手を当てる。
冷たく湿ってはいるが、滴るほどではなかった。
「レオ、こっち!」
ミラが奥の角を指差す。
一本の柱を、水が細く伝っていた。
「屋根から?」
ミラと一緒に見上げる。
屋根板の隙間からではない。
軒の短い角へ風が吹き込み、外から回り込んだ雨が柱へ当たっている。
「庇が足りない」
俺は外へ飛び出した。
余っていた樽板を持ち上げ、柱の外側へ当てる。
「釘は柱に打つな!」
ガルドが怒鳴った。
「でも、固定しないと飛ぶ!」
「その板一枚のために柱を傷めるな。別の留め方を考えろ!」
柱へ留める必要はない。
雨が直接当たらなければいい。
樽板の上端を、軒先の押さえ木と屋根板の間へ差し込む。
隙間へ細い木片を打ち込み、楔にして噛ませた。
下端は外側へ斜めに出し、二つの石の間へ挟む。
即席の雨よけだ。
「中を見てくる!」
もう一度、家へ入る。
柱を伝っていた水は、少しずつ細くなり、やがて止まった。
「止まったよ!」
ミラが言う。
その直後、足元へ冷たい水が触れた。
「今度は扉の下!」
入口の外に泥水が溜まり、扉の隙間から室内へ流れ込んでいる。
屋根から落ちた水は溝へ入っている。
だが、風に押されて地面を流れてきた水が、入口へ集まっていた。
「入口の前にも溝を掘る!」
平たい板を鍬代わりにして、土を削る。
入口の手前を横切る浅い溝を作り、家の横の排水路へつなげる。
溜まっていた泥水が、ゆっくりと新しい溝へ流れ始めた。
扉の下から入る水も止まる。
「ほかも見るよ」
ミラが壁際へ目を走らせた。
俺も外へ出て、家の周囲を確認する。
壁。
屋根。
炉。
石台。
短い柱を支える高い石台の上側から、泥水が回り込んでいた。
石の隙間を埋めていた粘土が、わずかに流れ出している。
「ガルド、ここが危ない!」
俺がしゃがみ込む。
ガルドが石台へ手を掛け、力を加えた。
まだ動いてはいない。
「粘土だけで水を止めようとするからだ」
「今から何ができる?」
「石台の上へ水を近づけるな。斜面の上側に溝を掘れ。台の周りは石で押さえる」
「分かった」
ミラと二人で石を運ぶ。
石台の周囲へ一つずつ置き、互いに噛み合うように組んでいく。
さらに斜面の上側へ浅い溝を掘り、流れてくる水を左右へ分けた。
石台へ回り込んでいた水が止まる。
雨はさらに強くなった。
服は全身へ張りつき、手に巻いた布からも水が滴っている。
開いた傷が、脈を打つように痛んだ。
それでも、家は立っている。
強い風が吹き抜けた。
布の壁が大きく内側へ膨らむ。
骨組みが、ぎしりと鳴った。
その音に混じって、乾いた木の音がする。
家の中を見る。
筋交いを留めている木栓が、少し浮いていた。
「筋交いの木栓が緩んでる!」
俺は家へ飛び込んだ。
「ガルド、柱を押さえて!」
ガルドとボルツが、外側から骨組みを支える。
「木槌!」
ミラから受け取る。
浮いた木栓へ木槌を当てた。
一度打つ。
接合部を見る。
まだ隙間が残っている。
もう一度。
木栓が沈み、柱と斜め材の隙間が閉じた。
直角に交わる壁の筋交いも確認する。
そちらは緩んでいない。
「風が来るぞ!」
ネッサの声が飛んだ。
直後、家全体へ突風がぶつかった。
布の壁が鳴る。
屋根板が浮き上がろうとする。
押さえ木に縛った布が張り、縄が激しくきしんだ。
俺は柱へしがみつく。
骨組みがわずかにねじれた。
だが、筋交いが突っ張り、四角い形を元へ戻す。
石台は動かない。
四隅の控え縄が張り、杭も抜けていない。
屋根板も飛ばなかった。
「耐えた……」
息を吐く。
ガルドは答えなかった。
雨の中を歩き、柱を揺らし、壁と屋根を一つずつ確かめている。
しばらくして、黒かった空が少しずつ明るくなった。
雨は降り続いている。
だが、風は弱まり始めていた。
家は、まだ立っていた。
◇
日没が近づいたころ、紺色の外套を着た男が現れた。
昨日、赤い印を描いたドーレン商会の人間だ。
今日は一人ではない。
荷車を引く男が二人。荷台には、鉄の棒や大槌まで載っている。
最初から、残った壁を壊すつもりで来たのだろう。
「これは驚きました」
商会の男が、小さな家を見上げる。
「本当に何か建てたのですね」
「何かじゃない。家だ」
俺は答えた。
「それを決めるのは、あなたではありません」
男は濡れた革靴を気にしながら近づいてくる。
「期限は日没までです。親方の認証は受けたのですか?」
ガルドを見る。
男も同じ方向へ目を向けた。
「ガルド親方。まさか、これを家として認めるおつもりではありませんよね」
「今から見る」
「雨の中で急ごしらえした小屋でしょう。事故が起きれば、親方の責任になりますよ」
「分かってる」
気づけば、道の向こうでは、店から戻ってきたセナとエナも、検査の邪魔にならない場所で心配そうに、見ていた。
ガルドは道具袋から短い棒を取り出した。
まず、四本の柱を一本ずつ叩く。
音を聞く。
手で揺らす。
石台の沈みを確認する。
柱脚の横材と四隅の杭、控え縄の緩みも見る。
次に、梁と柱の接合部を見る。
木栓の入り方。
欠き込みの深さ。
筋交いの固定。
屋根の上を流れる雨。
軒先から落ちた水の行き先。
壁を押す。
扉を開け、閉じる。
かんぬきを掛ける。
窓を開ける。
炉へ火を入れる。
煙が上の開口から外へ出ていく。
検査されている間、誰も話さなかった。
雨の音だけが続く。
ガルドが家の中へ入り、屋根裏を見上げる。
土間の四隅へ手を当て、雨水が染みていないか確かめる。
入口の溝を見る。
そして、外へ出た。
「どうです?」
商会の男が尋ねる。
ガルドは答えない。
俺を見る。
「レオ」
「何?」
「この家は、何年もつ?」
予想していなかった質問だった。
「分からない」
正直に答える。
商会の男が笑う。
「自分で建てた家の寿命も分からないのですか」
「使っている木の状態も全部違う。布の壁は長くもたない。屋根の縄も取り替える必要がある」
俺は家を見る。
「このまま何も直さなければ、長くはもたない」
「なら、家とは――」
「でも、直す」
男の言葉を遮る。
「布張りの壁は、泥と藁で仕上げる。屋根を押さえている布と縄も、傷む前に木の留め具へ替える。石台が沈んでいないか、雨のあとに確かめる。屋根板が動けば、そのたびに直す」
ガルドが黙って聞いている。
「これは完成した家だけど、完成したまま放っておく家じゃない」
「言っていることが矛盾していますよ」
「してない」
前世では、完成という言葉を引き渡しの日に使っていた。
だが、そこで建物の時間が止まるわけではない。
「今日、三人が安全に眠れる家として完成した。明日からは、もっと暮らしやすい家へ直していく」
雨に濡れた不ぞろいな屋根。
廃材を組み合わせた壁。
四本の長さが違う柱。
それでも、人を雨から守っている。
「家は、一度作ったら終わりじゃない」
ガルドが、わずかに口元を上げた。
「ようやく、少しは分かったか」
道具袋から、木製の小さな札を取り出す。
表面には、手斧と板を組み合わせた印が彫られていた。
ガルドは入口の柱へ札を当てる。
金槌を取り出し、札に釘を一本あてた。
黒パン一つ分の価値がある釘。
一度打てば、簡単にはやり直せない。
金槌が振り下ろされる。
乾いた音が響いた。
「木工組合の親方、ガルドの名で認める」
もう一度。
釘が札へ沈む。
「この建物は、雨風を防ぎ、三人が暮らすことのできる家だ」
最後の一打。
札が柱へ固定された。
「そんな――」
商会の男の顔から笑みが消える。
「このような建物を認証すると?」
「契約書では、建築に関わる親方の資格を持つ者が認めれば、土地の使用契約は続く。違うか?」
ガルドが男を見る。
「違うか?」
「……契約上は」
「なら、壊すものはない。帰れ」
商会の男は、しばらく家と認証札を見比べていた。
「この程度の家では、いずれまた倒壊します」
「その前に直す」
俺が答える。
「土地があなたのものになるわけではありませんよ」
「分かってる」
「何の価値もない場所です」
「それを決めるのは、あんたじゃない」
男の眉が動く。
だが、これ以上言えることはなかった。
連れてきた作業員へ短く指示し、荷車とともに立ち去っていく。
赤い印のついた古い石壁は残っている。
区画の使用権も、まだ商会にある。
問題がすべて終わったわけではない。
それでも、今日壊されることはなくなった。
「住める……」
ミラが呟く。
家の中へ駆け込む。
扉を開け、奥へ進み、屋根を見上げる。
雨は降っている。
濡れた髪から雫は落ちていた。
けれど、屋根から新しい雨粒がミラの髪や肩へ落ちてくることはない。
「おばあちゃん!」
ミラが道の方へ向かって叫ぶ。
「家ができたよ!」
少し離れたところで、セナに支えられたエナが足を速めようとした。
「走らなくても、家は逃げないよ」
セナにたしなめられながら、エナはゆっくりとこちらへ歩いてくる。
新しい家の前で足を止める。
不揃いな柱へ、そっと手を添える。
入口の認証札を見上げ、それから俺へ顔を向けた。
「立派な家だねえ」
「狭いです。壁も、まだ途中で」
「そうだね」
エナは柱を撫でながら、屋根を見上げた。
「直すところは、まだたくさんあるんだろうね」
「はい。屋根も、雨がやんだら見直さないと」
「なら、これから少しずつ直していけばいい」
エナは開いた扉の向こうへ目を向ける。
「今夜、三人が雨に濡れずに眠れる。それなら、十分立派な家だよ」
エナは家の中へ入り、炉の前へゆっくり腰を下ろした。
ミラが、その隣へ寄り添う。
二人の姿を見て、ようやく身体から力が抜けた。
足元がふらつく。
「レオ?」
「大丈夫」
一歩進もうとして、膝が崩れた。
地面へ倒れる前に、ガルドが襟をつかむ。
「何が大丈夫だ」
「ちょっと疲れただけ」
「手を見せろ」
濡れた布を外される。
傷口は開き、手のひらが赤く腫れていた。
「今日はもう終わりだ」
「でも、道具を――」
「片づけは俺たちがやる」
「借りが増える」
「なら、治ってから返せ」
ガルドが俺を家の中へ押し込む。
「職人は怪我をしても働くんじゃなかったの?」
ミラが笑う。
「馬鹿はそうするらしい」
俺が答えると、ガルドが鼻を鳴らした。
「お前はまだ馬鹿の方だ」
◇
夜。
新しい家の中で、三人並んで横になった。
狭い。
俺は入口の近く。
隣にミラ。
奥にエナ。
少し身体を動かせば、すぐ隣へぶつかる。
夕食を温めた炉の火は消してあるが、石にはまだわずかな熱が残っている。
外では、まだ雨が降っていた。
屋根を打つ音がする。
だが、一滴も落ちてこない。
「レオ」
暗闇の中で、ミラが言った。
「何?」
「次は、どこに部屋を足すの?」
「もう増築の話?」
「狭いから」
「十分って言ってたじゃないか」
「おばあちゃんには十分。わたしは、自分の場所がほしい」
「贅沢だな」
「レオは?」
自分の場所。
前の世界で、最後まで作れなかったもの。
「俺は、作業する場所がほしい」
「何を作るの?」
「まだ分からない」
家を直す。
広場の排水を整える。
セナの店の雨漏りを見る。
ボルツの露店へ水がたまらないようにする。
マーヤへ屋根の張り方を教える。
すでに、いくつもの約束がある。
それを終えたら、また別の壊れた場所が見つかるだろう。
「でも、何か作る」
「じゃあ、次はレオの部屋だね」
「ミラの場所が先じゃないのか?」
「一緒でいいよ」
「狭くなるぞ」
「今よりは広い」
ミラの声が、少しずつ眠そうになる。
「大きくしていこうね」
「ああ」
「木みたいに」
「ああ」
返事をしたころには、ミラは眠っていた。
屋根を打つ雨音を聞く。
前の世界で、俺が最後に聞いた音と同じだ。
あの日、俺は雨漏りの原因を探しながら死んだ。
今は、自分で作った屋根の下にいる。
完璧な屋根ではない。
立派な家でもない。
明日になれば、直すべき場所がいくつも見つかる。
それでも、ここには雨を恐れず眠る人がいる。
俺は暗闇の中で、柱へ打たれた認証札を見た。
異世界で初めて建てた家。
そして、俺が初めて自分の意志で完成させた建物。
始まりは、三人が横になれるだけの小さな一部屋だった。
けれど、家は小さく始めればいい。
人の居場所も、きっと同じだ。
明日から、この家を育てていく。
そして俺は、この町にある壊れたものを、一つずつ直していく。
雨音を聞きながら、俺は二度目の人生で初めて、帰る場所を手に入れた。
お読みいただきありがとうございます。
レオたちは、無事に最初の家を完成させることができました。
次回からは、町の人々との約束を果たしながら、レオの建築が少しずつ周囲へ広がっていきます。




