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世界の端で、家を建てる  作者: 黒瀬リク
第一部 居場所を建てる

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5/22

第五話 柱は、同じ長さでなくていい

 日の出より前の町は、音が少ない。


 遠くで鶏が鳴き、パン屋の煙突から細い煙が上がり始めている。


 俺が仮の寝床を出ると、ガルドはすでに道の向こうで待っていた。


 肩には鋸と手斧。


 背中には縄や木製のくさびを入れた袋を背負っている。


「遅い」


「まだ太陽も出てない」


「俺は出てる」


「ガルドさんは太陽なのか?」


「置いていくぞ」


 冗談は通じなかった。


「わたしも行く」


 後ろからミラが追いかけてきた。


 髪は寝癖で跳ねたままだが、肩には小さな籠を掛けている。


「森へ遊びに行くんじゃねえぞ」


 ガルドが言った。


「分かってる。木を運ぶのを手伝う」


「お前一人増えたところで、大して変わらん」


「レオより力あるよ」


「それは否定できない」


「否定しろ」


 ガルドに頭を小突かれた。


 ミラを連れていくべきか迷う。


 森にはどんな危険があるか分からない。


 家を出る前、セナがエナを見に来てくれていた。ミラ自身も、家を建てるために何かしたいのだろう。


「俺から離れるなよ」


「どっちが?」


「ミラが」


「レオの方が迷子になりそう」


 今のところ、この世界の地理を知らない俺の方が危ない。


「二人とも俺から離れるな」


 ガルドが歩き始める。


 結局、俺たちは親鳥についていく雛のように、ガルドの後ろを歩くことになった。


     ◇


 町の東門を出ると、地面の様子が変わった。


 踏み固められた泥道の両側に、背の低い草が生えている。


 さらに進むと、木々が増え始めた。


 朝露を乗せた葉。


 湿った土。


 樹皮と苔の匂い。


 前の世界の山林とよく似ている。


 だが、完全に同じではなかった。


 木々の根元に、青白く光る小さな茸が生えている。


 枝の間を飛ぶ虫は、羽の後ろに淡い光を引いていた。


 何より、森の奥から流れてくる空気が、肌へまとわりつくように重い。


「何か変な感じがする」


 俺が言うと、ミラが首を傾げた。


「森だからでしょ?」


「町より空気が重い」


「魔素が濃いからな」


 ガルドが当然のように答えた。


「魔素?」


「お前、本当に何も覚えてねえんだな」


 呆れた顔をされた。


 どうやらこの世界には、やはり魔法が存在するらしい。


「魔法を使える人もいるのか?」


「町にも何人かはいる。火を少し強くしたり、水を動かしたりする程度だがな」


「ガルドさんは?」


「使えん」


「ミラは?」


「火花なら出せるよ」


 ミラが人差し指を立てた。


 指先へ力を込める。


 しばらく何も起きなかったが、やがて小さな赤い光が弾けた。


「熱っ」


 本人が驚いて指を振る。


「使えてないじゃないか」


「出たでしょ!」


「自分を焼いてる」


「前のレオなんて、一度も出せなかったくせに」


 俺にも使えるのだろうか。


 試してみたい気持ちはあったが、今は家を建てる方が先だ。


「魔素が木に影響することはあるのか?」


「ある」


 ガルドが森の奥を見ながら答える。


「長く魔素を吸った木は、硬くなったり、燃えにくくなったりする。逆に、魔素が偏れば中から腐ることもある」


「見た目で分かる?」


「分かる木もあれば、分からん木もある」


 普通の腐朽や虫害だけではない。


 この世界で建物を作るなら、魔法そのものを使えなくても、魔素が材料へ与える影響を知らなければならない。


 前世の知識が、すべてそのまま通用するわけではない。


 それでも、木を見て、触れて、状態を確かめることの大切さは変わらないはずだ。


 森へ入って間もなく、道を塞ぐ柵が見えた。


 丸太を組んだ簡素な門の横に、小さな小屋が建っている。


 その前で、一人の女性が弓の手入れをしていた。


 緑色の外套。


 日に焼けた肌。


 短く切った黒髪の間から、獣のように尖った耳が覗いている。


 俺の視線に気づいた女性が、顔を上げた。


「何を見てる、坊主」


「耳」


「初めて見たのか?」


「たぶん」


 身体に残る記憶を探してみたが、はっきりしない。


「レオ、この人は森番のネッサさん」


 ミラが小声で教えてくれた。


「怖いから、嘘つかない方がいいよ」


「聞こえてるぞ」


 ネッサが弓を置き、俺たちの前へ立つ。


 背が高い。


 ガルドよりは低いが、大人の女性としてはかなり大柄だった。


「ガルド。今日は何を盗みに来た」


「お前まで俺を泥棒扱いするのか」


「昔、勝手に森へ入って木を切っただろ」


「あれは二十年前だ」


「森にとって二十年は昨日みたいなものだ」


 ガルドにも、いろいろと前科があるらしい。


「去年の嵐で倒れた灰樫(はいがし)を見たい」


「北の水路に倒れたやつか」


「ああ」


「領主の印はついてない。だが、勝手には持ち出せない」


「分かってる。許可を取りに来た」


「お前が?」


 ネッサが驚いた顔をする。


「今日は槍でも降るのか」


「昨日まで雨だった」


「なら、次は槍だな」


 ガルドが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「木は何に使う?」


「家を建てる」


 俺が答えた。


 ネッサがこちらを見る。


「お前が?」


「ああ」


「三日前、パン屋の裏で残飯を探してたレオが?」


 この町で知られていない悪事はないのだろうか。


「今は、家を建ててる」


「変な熱でも出たか?」


「頭を打ったらしい」


「らしいじゃない」


 ミラが答えた。


「自分でもよく分からない」


 ネッサはしばらく俺を観察した。


 やがて、門の横に掛けられた板を指差す。


灰樫(はいがし)を持っていく条件は二つ」


「何だ?」


「倒木が塞いでいる水路を開けること。枝や腐った部分も、道へ残さず片づけること」


「片づけた枝は?」


「細いものなら持っていっていい。腐った部分は、印をつけた場所へ積め」


「もう一つは?」


「森の生木には手を出さない。小枝一本でも、勝手に切れば罰金だ」


「分かった」


「返事だけはいいな」


「今日中に終わらせる」


 ネッサが片方の眉を上げる。


「坊主。あの木は、お前が思っているより大きいぞ」


「見てから考える」


「気に入らない答えじゃない」


 ネッサは小屋から金属製の札を持ってきた。


 表面に木の葉の印が刻まれている。


「これを持っていけ。見回りに止められたら見せろ」


「ありがとう」


「礼は水路を開けてからにしろ」


     ◇


 倒木は、歩いて半刻ほどの場所にあった。


 見た瞬間、ネッサが警告した理由が分かった。


「大きすぎないか?」


 灰色の幹が、水路をまたぐように倒れている。


 根元の太さは、俺とミラが両側から腕を回し、ようやく指先が届くほどだった。


 枝は周囲の木々へ引っかかり、幹の一部が地面から浮いている。


 根は土ごとめくれ上がり、大きな壁のようになっていた。


「去年の嵐で倒れた」


 ガルドが幹を叩く。


 乾いた音が返ってくる。


「地面から浮いていたおかげで、全部は腐ってない」


「これなら柱が三本取れる?」


「先に、お前が見ろ」


 試されている。


 俺は幹へ近づいた。


 まず根元。


 水路へ沈んでいる部分は黒く変色している。苔が厚く、指で押すと樹皮の内側へ簡単に沈んだ。


 ここは使えない。


 先端側へ移動する。


 枝分かれが多く、節が集中している。


 上から落ちたときに衝撃を受けたのか、幹に長い割れも入っていた。


「根元からここまでは腐ってる。先端側は節と割れが多い」


「なら、どこを使う」


「真ん中」


 幹の中央部。


 長さは十分にある。


 樹皮に傷はあるが、広い範囲で浮いてはいない。


 手斧の背で軽く叩く。


 同じような音が返ってくるが、一か所だけ少し鈍い。


「ここは中に何かある」


 ガルドが俺の示した位置を見た。


「どうしてそう思う」


「音が違う」


「それだけか」


 樹皮の表面を見る。


 薄い紫色の筋が、幹を斜めに走っていた。


「この色は?」


「魔染みだ」


 ガルドが小刀で樹皮を少し削る。


 内側から、淡く光る筋が現れた。


 まるで木の中に、細い銀色の糸が埋め込まれているようだった。


「魔素が同じ場所へ集まり続けると、木に筋ができる」


「これがあると使えない?」


「少しなら問題ない。だが、筋が輪になっていれば、その内側が腐ってることが多い」


 幹の反対側へ回る。


 紫色の筋は、裏側にも続いていた。


 完全な輪ではない。


 しかし、半分以上を囲んでいる。


「この部分は避ける」


「正解だ」


 使える範囲は、思っていたより短くなった。


 根元側の腐朽。


 中央の魔染み。


 先端側の割れ。


 必要な長さの柱を三本取るには、ぎりぎりだ。


「どこから切る」


 ガルドが炭の欠片を渡してくる。


 俺は幹を見ながら考えた。


 柱の必要な長さ。


 切断するときに失われる刃の厚み。


 端部を整えるための余裕。


 魔染みを避ける位置。


 節の位置。


 ぎりぎりに印をつければ、切り口が曲がっただけで使えなくなる。


「ここ」


 必要な長さより、手のひら一つ分だけ余裕を持たせて線を引く。


「長くないか?」


「最後に端を整える分を残す」


「昨日よりは考えるようになったな」


「昨日からしか習ってない」


 ガルドが手斧を持つ。


「まず枝を落とす。幹が動く方向に立つな。引っかかっている枝を切れば、急に転がることがある」


「分かった」


「ミラは離れてろ」


「わたしも何かする」


「切った細枝を集めろ。幹の下へは入るな」


「分かった」


 作業が始まった。


 細い枝を落とし、太い枝は幹に近い位置から少しずつ切る。


 枝一本でも、俺の腕ほどの太さがある。


 ガルドが手斧を振るたび、正確に同じ場所へ刃が入った。


 木片が飛び、白い切り口が現れる。


 俺も反対側で鋸を使う。


 昨日よりは真っすぐ引ける。


 だが、姿勢が悪くなるとすぐに刃が重くなった。


「腕だけで引くな」


 ガルドの声が飛んでくる。


「身体ごと動かせ」


 足を開き、背中と肩を使う。


 鋸の音が少し安定した。


 それでも、一本の枝を切り終えるころには息が上がる。


「休むか?」


「まだやれる」


「聞いただけだ。休ませるとは言ってない」


「何で聞いたんだよ」


 ガルドは答えず、次の枝へ移った。


 昼前までかけて、ようやく幹の周囲が片づいた。


 切り落とした枝はミラが太さごとに分け、縄でまとめている。


「これ、屋根に使える?」


 ミラが細い枝を持ち上げる。


「真っすぐなものは、壁の下地に使える」


「曲がってるのは?」


「炉で燃やす」


「全部使えるね」


「ああ」


 無駄にできる材料は一つもない。


 次に、柱に使う部分を切り出す。


 ガルドと交代しながら鋸を引いた。


 幹が太いため、片側からでは刃が届かない。


 上から半分ほど切り、反対側へ回って位置を合わせる。


 切り口がずれれば、長さを失う。


 俺が引いた線を、ガルドが確認する。


「少し下だ」


「こっち?」


「違う。刃の厚みを考えろ。線の使わない側へ刃を入れる」


 線そのものを消してしまえば、必要な寸法より短くなる。


 前世なら当然のことだった。


 だが、自分の手で切ると、その数ミリの意味が重い。


 最後の繊維が切れた瞬間、巨大な丸太が地面へ落ちた。


 鈍い音が森へ響く。


 次は、この丸太から柱を取らなければならない。


「丸いまま使う?」


 ミラが尋ねた。


「使えなくはない」


 俺は答えた。


「でも、壁や横材をつなぐなら、面があった方が作業しやすい」


「四角く削るの?」


「三本分に割る」


 ガルドが言った。


「この太さなら、まず半分。その片方をさらに二つに割れば、三本取れる」


「全部同じ太さにはならないな」


「柱は太さが少し違っても使える。弱い材を屋根の負担が小さい場所へ回せばいい」


 丸太の端へ、炭で割る線を引く。


 木目を見ながら、ガルドが手斧で小さな切れ込みを作った。


 そこへ鉄のくさびを当て、木槌で打ち込む。


 一度。


 二度。


 三度。


 硬い音が次第に低くなる。


 丸太の表面へ、細い亀裂が走った。


「反対へ木のくさびを入れろ」


 言われた場所へ、俺が木製のくさびを差し込む。


 木槌で叩く。


 亀裂が少しずつ伸びていく。


 まるで、木自身がどこから割れたいのかを教えているようだった。


「線の通りに割れるんだな」


「木目が素直ならな」


 ガルドが別のくさびを入れる。


「無理に真っすぐ割ろうとすれば、木目に負ける。曲がる方向を見て、くさびの位置を変える」


 図面の線どおりに材料が動くとは限らない。


 木には木の都合がある。


 それを無視して力を加えれば、欲しい形ではなく、壊れた材料だけが残る。


 何本ものくさびを順番に打ち込む。


 やがて、大きな音とともに丸太が二つへ割れた。


 切り開かれた内部に、濃い紫色の変色が見える。


「魔染みの中だ」


 俺が近づく。


 紫色の部分は、表面で見えていたより広かった。


 中心には小さな空洞があり、黒い粉がたまっている。


「虫か?」


「魔食い虫だ」


 ガルドが黒い粉を指ですくう。


「魔素が集まった木に入り込む。食われた場所は脆くなる」


 小刀を刺すと、簡単に奥まで入った。


 避けたつもりだった。


 だが、傷みは使う予定の範囲まで伸びている。


「これじゃ、三本取れない」


 ミラが不安そうに言う。


「二本なら取れる」


 ガルドが割れた材を確認する。


「傷んだ中央を落とせば、左右から一本ずつだ」


「残り一本は?」


「ない」


 ガルドは淡々と答えた。


「森の別の木は?」


「倒木で使えそうなのは、これだけだ。生木は許可されてない」


「町へ戻って探す」


「昨日探しただろうが」


 必要な柱は四本。


 壊れた家から使える柱が一本。


 この木から取れるのが二本。


 一本足りない。


 期限は明日の日没。


 今から別の材料を探し、加工する時間はほとんどない。


「三本で建てるのは?」


 ミラが言った。


「三角の家にするとか」


「屋根だけならできる。でも、四方を壁で囲う条件を満たしにくい」


「じゃあ、やっぱり無理?」


 無理。


 その言葉が頭をよぎる。


 材料が足りない。


 時間が足りない。


 技術が足りない。


 前の人生で何度も使った言葉だ。


 だが、本当に足りないのは柱の本数なのか。


 必要なのは、四本すべてが同じ長さ、同じ太さの木材であることではない。


 屋根を支える位置に、必要な強さがあればいい。


「昨日、使えないって言った古い柱」


「根元が腐ってた材か」


 ガルドが答える。


「あれは、どこまで傷んでる?」


「下から四分の一ほどだ。上は使える」


「腐った部分を切れば、柱にはなる?」


「短すぎる」


「柱の下を高くする」


「何?」


 俺は地面へ四角を描く。


 四隅に柱を立てる。


 三本は同じ長さ。


 一本だけ短く描いた。


「短い柱の下に、石を積む」


「石を積んだだけじゃ崩れる」


「大きな石を土台にして、その上へ平たい石を重ねる。隙間は小石と粘土で詰める」


「木の柱と石の台がずれたら終わりだ」


「柱の底を少し削って、石の突起へかみ合わせる。横から動かないようにする」


 ガルドが黙って図を見る。


「高さが違えば、横材が水平にならん」


「柱の上端をそろえる。下が違っても、上が同じ高さなら屋根は載る」


 四本の柱が、すべて同じ長さである必要はない。


 地面の高さも、土台の高さも違う。


 だが、最終的に梁を受ける位置がそろっていればいい。


「地面から離せば、木も濡れにくい」


 俺は続けた。


「本当は全部の柱を石の上へ載せたい。今回は一番短い柱だけ台を高くするけど、残りも地面へ直接埋めない」


「風で浮くぞ」


「柱の足元を低い横材でつないで、四隅の外へ打った杭から控え縄を取る」


「縄は濡れれば緩む」


「雨の前と後に締め直す。期限を越えたら、縄の控えは木材へ替える。柱同士も木栓でつないで、一本ずつ動かないようにする」


 ガルドの視線が厳しくなる。


「石積みが沈めば、家が傾く」


「下の柔らかい土を取り除く。硬い地面まで掘って、大きな石から置く」


「時間がかかる」


「四か所だけなら、今日のうちにミラたちへ掘ってもらう」


「わたし、できる」


 ミラがすぐに答えた。


「石を選ぶ人間も必要だ」


「広場の人たちに頼む」


「お前に頼まれて、動くと思うか?」


「昨日は材料をくれた」


「それは、お前が排水溝を掃除したからだ」


「なら、また働いて返す」


「期限は明日だぞ」


「家が完成したあとに返す」


 先に信用してもらうしかない。


 昨日までのレオなら、誰も応じてくれなかっただろう。


 今も、簡単には信じてもらえない。


 それでも、排水溝を掃除したこと。


 ガルドの工房で働いたこと。


 小さな積み重ねは、完全なゼロではないはずだ。


 ガルドが割れた丸太へ手を置く。


「短い柱を使うなら、石台は俺が確認する」


「印を押してくれる?」


「安全ならと言ったはずだ」


「じゃあ、安全にする」


「簡単に言うな」


 そう言いながら、ガルドは傷んだ部分を避けて、二本目の割り線を引き始めた。


     ◇


 午後いっぱいを使い、二本の柱材を作った。


 丸太を割ったままでは、表面がでこぼこしている。


 手斧で大きな出っ張りを落とし、横材が接する部分だけ平らに削る。


 完全な四角柱にする時間はない。


 必要な場所だけを加工する。


「全部きれいに削らなくていいのか?」


 俺が尋ねると、ガルドは手を止めなかった。


「見栄えのために削る時間があるならな」


「表面を残した方が、強いこともある?」


「削りすぎれば細くなる。だが、樹皮は落とせ。虫が残る」


 何を残し、何を取り除くのか。


 限られた時間の中では、その判断が仕事の大半を占める。


 俺は手斧を振る。


 最初は刃が深く入りすぎた。


 角度を浅くする。


 木目に逆らわず、表面を少しずつ落とす。


 手のひらの傷が痛む。


 昨日巻いた布の上から、新しい血がにじんだ。


「レオ」


 ミラが心配そうに見る。


「大丈夫」


「大丈夫な奴は、そんな顔しない」


「どんな顔?」


「泣くのを我慢してる顔」


「泣いてない」


「じゃあ、変な顔」


 ガルドが手斧を取り上げた。


「握れなくなったら終わりだ。縄をまとめろ」


「まだできる」


「できるかどうかは、俺が決める」


 反論しようとしたが、指が震えていた。


 これ以上続ければ、道具を落とすかもしれない。


 俺は手斧を諦め、切り落とした枝と縄をまとめる。


 柱材二本。


 壁の下地に使える枝。


 燃料になる細枝。


 持ち帰るものは多い。


「どうやって町まで運ぶ?」


 ミラが柱を押してみる。


 当然、びくともしない。


「担ぐのは無理だな」


「当たり前だ」


 ガルドが太い枝を二本選んだ。


 地面へ平行に置き、その上へ短い枝を渡して縄で固定する。


「車輪は付けないのか?」


「付けても、この地面じゃ沈む。根にも引っかかる。車軸を作ってる時間もねえから、滑らせた方が早い」


 即席のそりへ柱材を載せる。


 前方へ長い縄を結び、三人で引く。


 一歩目から、足が土へ沈んだ。


「重い……」


「レオ、全然引いてない!」


「引いてる!」


「喋る力があるなら引け!」


 ガルドの怒声が飛ぶ。


 そりは少しずつ進んだ。


 根を越えるたびに止まり、石に当たるたびに持ち上げる。


 下り坂では、逆に柱が前へ滑らないよう縄で抑えなければならない。


 森の門へ戻ったころには、空が赤く染まり始めていた。


 ネッサが門の前で待っている。


「本当に水路を開けたのか?」


「見れば分かる」


「あとで確認する」


 ネッサは柱材を見る。


 紫色の魔染みを避けて割った断面へ手を触れた。


「二本だけか」


「中が虫に食われてた」


「だから大きいからといって、全部使えるとは限らないと言った」


「先に教えてくれてもよかっただろ」


「自分で見つけた方が忘れない」


 ガルドと同じことを言う。


 この世界の大人は、教える前に失敗させる決まりでもあるのだろうか。


「残りの柱はどうする?」


「短い木を、石の台へ載せる」


 ネッサの目がわずかに細くなった。


「石と木を直接触れさせるのか?」


「間に何か必要?」


「森の外縁で拾って、見回り小屋で乾かしてある赤樺の皮がある。生木から剥いだものじゃない」


「何に使うんだ?」


「乾かした赤樺の皮は、水を通しにくい。石と柱の間へ挟めば、木が水を吸いにくくなる」


 防水層の代わりになる。


「もらっていいのか?」


「枝を残さず片づけた礼だ」


 ネッサが小屋の横から、赤茶色の樹皮を数枚持ってきた。


「乾いてはいるが、使うまで地面へ置いて濡らすな」


「ありがとう」


「家が建ったら見に行く」


「明日の日没までに建てる」


「明日?」


 ネッサが初めて驚いた顔をした。


「無茶をするな」


「しないと土地を取られる」


「だからといって、崩れる家を建てれば、中にいる者が死ぬ」


「崩れない家にする」


「その言葉を、完成したあとにも言えるといいな」


「ミラ。お前は先に町へ戻れ」


 ガルドが言った。


「どうして?」


「短い柱を載せる石が要るんだろ。俺たちがこの重いそりを引いて戻るより、お前が走った方が早い」


 ミラが俺を見る。


「わかった。みんなに頼んでくる。石を集めて、四隅を掘るのも手伝ってもらう」


「一人で大丈夫か?」


「ここから町までなら迷わないよ。レオと違って」


「俺だって帰り道くらい分かる」


「くだらねえことを言ってないで、行くならさっさと行け」


 ガルドが町へ続く道を指す。


「それと、穴は柱の太さより一回り広く、柔らかい土がなくなるまで掘れ。分からなければ、石は集めるだけにして待て」


「分かった」


 ミラは肩の籠を抱え直すと、町へ向かって駆け出した。


 俺とガルドは、重いそりの前へ回る。


 ミラの姿は、すぐに道の向こうへ小さくなっていった。



     ◇


 町へ戻ったときには、日が沈みかけていた。


 仮の寝床の前に、何人もの人が集まっている。


 セナ。


 魚売りのボルツ。


 布売りのマーヤ。


 ほかにも、広場で見かけた商人や近所の住人たちがいた。


 地面には、大小さまざまな石が積まれている。


 家の四隅には穴が掘られ、底の柔らかい土が取り除かれていた。


「もう、ここまで進めたのか?」


 俺が尋ねると、ミラが胸を張った。


「石を集めるだけじゃ間に合わないから、穴を掘るのも手伝ってもらった」


「こんなに集まってくれるとは思わなかった」


「私も。最初はセナさんに頼んだんだけど、話を聞いた人が少しずつ来てくれたの」


「穴の深さは?」


「ガルドさんに言われたとおり、柔らかい土がなくなるところまで。石を置く前に見てもらおうと思って、そこから先は触ってない」


 ガルドが四つの穴を順番に覗き込む。


「勝手に石まで積まなかったのは正解だ」


「でしょ?」


「調子に乗るな」


「ガルドさん、そればっかり」


「それだけで、みんなが手伝ってくれたのか?」


 俺は集まった人たちを見る。


「もちろん、ただじゃないよ」


 セナが腕を組む。


「うちの店の雨漏りを見る約束」


「俺の露店の水がたまらないようにする約束」


 ボルツが続ける。


「破れにくい屋根の張り方も教えてもらうよ」


 マーヤも言った。


 借りが増えていく。


「全部、家が建ったあとにやる」


「建たなかったら?」


 ボルツが尋ねる。


「それでもやる」


 一瞬、周囲が静かになる。


 やがて、ボルツが笑った。


「なら、明日は魚を一匹持ってきてやる。働く奴が腹を空かせてたら、こっちの気分が悪い」


「代金は?」


「屋根を直してから考える」


 柱材を下ろす。


 ガルドが、昨日使えないと判断した古い柱を調べた。


 根元の腐った部分へ炭で印をつける。


「ここから下を切る」


「残りは使える?」


「上は硬い。長さは新しい柱の四分の三ほどになる」


「石の台で合わせる」


「石を積む前に、高さを出すぞ」


 ガルドは工房から持ってきた、細長い木樋を二つの石台の間へ渡した。


「水を少し入れろ」


 樋へ入れた水は、低い側へ寄る。


「両端の水面が同じ印へ触れるところが水平だ。樋の向きを反対にして、同じ結果になるかも見る」


 樋そのものが曲がっていれば、向きを変えたときに結果がずれる。


 四隅を一度に比べるのではなく、一つの石台を基準にして、隣へ順番に高さを移していく。


「もう少し高い」


「石一枚分?」


「厚すぎる。薄いのを二枚だ」


 大きな石を底へ置く。


 周囲へ小石を詰め、土を少しずつ突き固める。


 その上へ平たい石を重ね、ぐらつく場所には薄い石片を噛ませる。粘土は支えにせず、細かな土が隙間へ流れ込まないよう外側へ薄く詰めた。


 短い柱を置く角だけ、ほかより高く積む。


 四本の柱の上端が、同じ高さになるように。


「柱は、同じ長さじゃなくていいんだね」


 ミラが作業を見ながら言った。


「ああ」


「違うものでも、家になる?」


「必要な場所で支えられればな」


 俺は並べられた柱を見る。


 昔の家から残った木。


 森で見つけた木。


 長いもの。


 短いもの。


 太さも、色も、育った場所も違う。


 それでも、組み合わせ方を考えれば、一つの屋根を支えられる。


 人も同じなのかもしれない。


 一人ではできないことでも、それぞれが持っているものを持ち寄れば、形になる。


「今日は柱を立てない」


 ガルドが言った。


「どうして?」


「暗い中で組めば、間違える。石台と粘土も一晩置く」


「時間がない」


「だからこそだ」


 ガルドが俺を見る。


「焦って今日立て、夜の間に傾けば、明日の朝からやり直しだ。急ぐことと、雑にやることを一緒にするな」


 前の人生でも、何度も聞いた言葉だった。


 工期がない。


 時間がない。


 だから確認を飛ばす。


 その結果、やり直しにもっと時間がかかる。


「分かった」


「明日は日の出と同時に柱を立てる」


 ガルドが周囲の人間を見る。


「手を貸せる奴は来い。一人で立てられる重さじゃねえ」


「ガルドさんが人を集めるなんて珍しいね」


 セナが笑う。


「俺が頼んでるんじゃない。この馬鹿が勝手に建てる家だ」


「でも、明日も来るんだろ?」


「安全を確認するだけだ」


 ガルドは最後まで認めようとしなかった。


 西の空を見る。


 夕焼けの向こうに、黒い雲が集まっている。


 風が変わった。


 湿った空気が町へ流れ込んでくる。


「明日、また雨になる」


 マーヤが空を見上げる。


「日が沈む前には降るだろうね」


 期限の日。


 雨。


 屋根が完成していなければ、すべてが濡れる。


 完成していても、雨漏りすればガルドの認証はもらえない。


 材料は、まだ十分ではない。


 柱を立て、横材を組み、屋根と壁を作り、炉まで完成させなければならない。


 残された時間は、あと一日。


 地面には、四つの石台が並んでいる。


 その横には、長さの違う四本の柱。


 まだ、家には見えない。


 それでも、明日の夕方には、この場所で三人が雨を避けていなければならない。


「明日、家を建てる」


 俺が呟く。


 ミラが隣で頷いた。


「みんなでね」


 西から吹いた風が、赤い印の残る石壁を撫でていく。


 雨が降るまでに、屋根を上げる。


 期限まで、あと一日。

お読みいただきありがとうございます。


次回、いよいよ柱を立て、雨が降るまでに家の完成を目指します。

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